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「レイル!!」
青年の珍しく荒げた声を背中で受け止めながら、しかしレイルはその歩みを止めようとしない。少年の華奢に見える背中は怒りを滲ませている。
ユーシスは少し駆け足で追いつくと背後から肩に手をかけた。
「どこに行くつもりだい?」
自然、青年と向き合う形となった少年は剣呑にブルーグレーの目を細め、その貌を忌々しげに歪める。
「決まっている、あの海賊のところだ」
「・・その海賊と一緒にいるセシリアさんの元に、だろう?」
その言葉にレイルはますます冷たく表情を凍りつかせ、乱暴に掴まれていた手を振りほどいた。
「海賊と婚約者を一緒にさせてはおけない」
ユーシスは目を丸くした。やけに素直な返しに驚きを禁じえない。あの後二人の間に何かあったのか、と考えながらいつものように微笑を顔に乗せる。
「彼女なら大丈夫、と言うより、あの海賊は彼女に手荒な事はしないと思うな」
「・・・どう言う意味だ」
「もう分かっているんだろう?」
しばらく睨み合いが続く。睨み合いと言っても一方は笑顔を貼り付けたままであったが辺りの空気は張り詰め、通りがかった部下の何人かが息を呑んでその場から離れて行った。
「・・もういい」
先に沈黙を破ったのはレイルの方だった。苛立ったように目を閉じるとまた歩き始める。
背後にいた副艦長は相変わらずどこか子供っぽい艦長を微笑ましく思いながら、一つ詫びを入れる。
「レイルに何も言わずにセシリアさんに頼んだのは確かに悪いと思っているよ」
「・・・俺は海賊風情の力など借りないと言ったはずだ」
聞く耳持たず、一刀両断である。レイルの海賊嫌いは有名だが、やはり頭が痛くなる事だ。
ますます不機嫌になったレイルの後を追いながら、もう少しでルキアの部屋に着くというところで角から人影が飛び出して来た。
前を足早に歩いていたレイルは見事に鉢合わせしたが、少しよろめく程度で倒れこみはしなかった。それは彼が軍人であり、見かけよりも鍛えているから。そしてぶつかった相手が彼よりも華奢な少女だったからだ。
「きゃっ・・」
反動で弾き飛ばされた少女は小さな悲鳴を上げて後ろに倒れかけるが前方から腕を掴まれ引っ張られたため何とか尻餅はつかずにすんだ。
少女の顔を見た瞬間、レイルが反射的に手を伸ばしたのだ。
「・・・セシリア」
「え・・レ、イル」
思いもかけない人物を目の前にしてセシリアは目を瞬かせた。その拍子に大粒の涙が零れ落ちるのも気付かずに。
彼女の涙が頬に跡を付ける様を捉えた婚約者は激しい眩暈を覚えた。
海賊と二人きりだった少女。海賊の部屋から飛び出して来た少女。――涙を流す少女。これらが意味するものは一つしかない。
「・・・何をされた」
怒りを必死に押し殺した、低く地を這うような声色にセシリアは身を縮める。
「何、が?」
「あの海賊に何をされたと聞いている」
いつのまにか両腕を掴まれて拘束されていた。質問と言うよりは尋問に近いそれに体が震える。
「・・別に、何も・・」
「ないならなぜ泣いている」
一瞬厳しい視線が柔らかくなり、零れ落ちる涙が拭われる。彼の手の暖かさにはっとして、ようやく自分が泣いているのだと知った。
自覚した瞬間、涙腺が決壊したように止め処なく溢れ出る雫にセシリア自身戸惑っていた。なぜ自分は泣いているのか。
「答えろ。何をされた」
確かに何か、はされた。だが未遂であるし何より彼が本気であんな事をしようとしたとは思えない。
頭では冷静に分かっているのに体は正直だ。止めようと試みても一向に鎮まる気配が無い。
「・・・これは、私が勝手に・・泣いてるだけよ」
ルキアに酷い事をされたショックで泣いているわけではないのだ。ただ、悲しくて悔しくて、どうしようもないだけ。
海賊王としての彼、ルキア自身としての彼をセシリアは随分信頼していた。彼ならばどんな事があっても仲間を裏切らないし弱い者の味方でいてくれると信じていた。
彼が例え一国の王子だとしてもそれは変わらないと思っていた。きっと海賊から民を解放してくれる、と。
そして――自分への嫌悪。
「・・・っ」
泣き顔をこれ以上見られたくない一心でレイルに抱き付いて顔を埋める。少年は一瞬ビクリとしたが腕の中の少女の痛々しい姿を見ていると激情も収まっていき、彼女の短くなった髪を何度も梳いてやった。
酷い事を言ってしまった。決して本心ではないのに、彼はどれほど傷ついているだろう。彼もまたレイルやレンと同じように過去に囚われ苦しんでいるのに。
――好きだぜ、セシリア。
かの言葉が脳裏を過ぎり、セシリアはそれを振り切るように強くレイルの服を掴んだ。
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