8
「レ・・イル」
ボタボタと血が胸から滴り落ち、彼女のドレスと白い肌を汚していく。口を覆っていた布は取り払われたが、代わりに口元からも一線の血が流れていた。
「あ・・あぁ・・」
ガタガタと震え、慄くレイルとは裏腹に母は微笑を浮かべてゆっくりと手を伸ばし、息子の頬に触れた。
「・・・レイル・・」
もう一度愛おしそうに呟くと、一気に体の力が抜けて少年の方に前のめりに倒れていった。
手にしていた剣に鋭い重みが加わったと感じた瞬間に生暖かい血が剣を伝わってレイルの手に零れた。
「あぁ・・は・・母上・・・!」
「・・いいのです・・・これで・・」
慌てて剣を引き抜こうとする手を押し留めてファミーユはさらに笑った。その瞳には一点の曇りも見当たらない。
「・・海賊・・の慰みものになる、くらいなら・・」
この身を汚されるのを防ぐためのただ一つの手段だった。元より命を捨てる覚悟だった身で息子を守れた事を誇りにすら思う。
ただ今は息子の身だけが心配であった。海賊は息子を放ってはおかないだろう。何とか息子だけは生かしたい。
無意識に少年の華奢な体を抱きこむ。剣はさらに身に深く突き刺さるが、そんな事はもう関係なかった。痛みも麻痺しているのだろうか。
壊れてしまったかのように体中が震え、目は見開かれているが何も映していない息子を哀れに思いながらも強く強く抱き締める。
「・・生きて・・」
それが最後の言葉だった。そして微笑みながらファミーユは静かに絶命していった。
その姿を静かに見ていた海賊達はあまりの衝撃に声も出ないようだった。今までの女達は皆自分の命を優先して自らを犠牲にするような事はしなかった。
「面白い・・・」
男は不敵な笑みを浮かべて固まるレイルの顔を覗き込んだ。レイルはようやく瞳の中に男の顔を映し出すと悲鳴を上げた。
甲高いそれに男は心底辟易しながらも剣を振るおうとはしなかった。
「女に免じてお前は見逃してやる」
「お頭!?いいんですか!?」
「構わない・・こんな腰抜け、切る価値もない」
言うと、最後にレイルを一瞥すると海賊達を連れて部屋から出て行った。
残された少年は冷たくなっていく母の体を必死に受け止めながら今だ目は男の眼差しを見ていた。
軽蔑と呆れと侮蔑と――蔑んだあの瞳が忘れられない。
その後、騒ぎを聞きつけたセシリアは慌ててレイルの元に駆けつけたのだが、その時見た少年の姿は彼女も今だ脳裏に焼きついている。
血の海の中、自らも血に塗れた少年が放心したように座り込んでいた。真っ白な頬には人の手形のような赤い跡が残されており、血に濡れた剣をしっかりと握り締めている。
「レイル・・・?」
恐る恐る声をかけても返事はなかった。聞こえていないかのように無反応でただひたすらに剣を見詰めている。ふと横を見ると布が被されたものが運ばれていく途中であった。一瞬見えた服の裾からそれが誰であるか分かってしまったセシリアは口元を覆った。
「・・・っ・・」
かける言葉が見付からなかった。あまりの衝撃でセシリア自身、声が出ずに目から涙が滲み出てくる。
セシリアに付き添っていたソフィアが少女の肩を気遣わしげに抱いた。
「今日は帰りましょう・・落ち着いてからまた・・・」
少女が小さく頷くのを確認するとソフィアは肩を抱いたまま屋敷を後にした。
「・・・でもそれから7年間、レイルとは会えませんでした。ファミーユ様のお葬式にもレイルは出席しなかったんです」
話し終わり、悔やむように歪められたセシリアの顔からユーシスは悟った。彼女もまた後悔しているのだと。あの時何も出来ずに帰ってしまった事を。レイルを救えなかった事を。
「一度も会えなかったと言う事は・・・レイルが避けていたのかい?」
「それもあるんですけど・・・レイル、海軍学校に入ったから・・・」
「そうか・・・レイルは復讐するために海軍に入ったのかな・・」
それなら全てが納得出来る。彼の海賊に対する非道ぶりは有名である。捕らえる事も出来るのにわざと殺しているように感じた事も何度かあった。
だが、海賊を切る時のレイルは憎悪と同時に悲痛な悲しみも宿していたように思う。
「・・・レイルは海賊を憎むと同時に母親を助けられなかった己の弱さを憎んでいたんだね」
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