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「海賊だー!!!」
嵐、多くの船が転覆していく中でその船だけは悠然と海を渡っていた――ドクロの旗を靡かせながら。
メリクリウス王国はその地形から海賊に狙われやすいためそれを撃退するため海軍に力を入れている。今では海賊も恐れて近寄っては来ないほどであった。
そのため人々は安心していた。そこをつかれたのだ。しかもその時は海軍トップである大提督と副大提督揃って同盟国の要請の元、討伐遠征に出かけていた。
結果は誰の目から見ても明らかだった。
「レイル様!奥様!海賊が・・・!!」
あっという間に陸に降り立った海賊は海岸沿いに並ぶ民家を見向きもせずに貴族の屋敷ばかりを襲っていった。
有数の大貴族、レイルの住む屋敷は比較的沿岸に近い所に位置していた。標的にされる事は分かりきっていた事だった。
使用人達は悲鳴を上げながら逃げ回り、その中の一人が青ざめながら二人のいる部屋に飛び込んで来た時にはもう全てが遅かった。
「ほぉほぉこりゃぁ美人な奥様だねぇ」
「旦那が羨ましいねぇ〜今日は留守みたいだけど」
ゲラゲラと笑い、血塗れた剣を弄びながら遠慮もせず海賊達が進入して来る。
「母上ぇ・・・」
怯える声と同様に震えてすがり付いてくる小さな手を懸命に受け止めて、この屋敷の主の奥方であるファミーユは毅然と海賊達を見据えた。
「この屋敷はあなた達のような者が入ってよい場所ではありませんわ!今すぐ出て行きなさい!」
いつも穏やかであった彼女がこのように声を荒げる事自体が信じられず、レイルも使用人達も目を丸くして彼女を凝視する。
勿論海賊達も怯えもせずに立ち向かってくる事など予想もしていなかったので、驚いて呆けてしまっていた。
「聞こえなかったのですか、私は出て行きなさいと言ったのです!」
再び声を上げた瞬間、レイルはハッとして母を見上げた。
彼女の手は酷く震えていた。だが、それを必死に堪えるかのようにレイルの手を握り締めていた――痛いくらいに。
レイルは顔を顰めながらも自らも母の手を決して離すまいと精一杯握り返す。
ファミーユは驚いて息子を見やり、一瞬だけいつもより少し悲しげに微笑んだ。
「母上・・・?」
その笑みに幼心に恐ろしいまでの胸騒ぎを感じ、少年はもう一度母の顔を見ようとしたが、もはや彼女の視線は息子に注がれてはいなかった。
「勇敢な事だ・・・惜しいな・・」
しっとりとしたバリトンと共に一人の男が静かに姿を現した。その男が現れた瞬間、海賊達は緊張し道を開けて行く。
奇妙な男だとレイルは感じた。顔を隠すほど大きなつばの付いた帽子をわざと斜めに被り、服はだらしなく胸元が開かれていたが決して貧相ではなくむしろ荒々しく映った。
服に比べてその黒髪は綺麗に整えられており、肩口であちこちにピョコピョコと跳ねている。
今まで見たこともないおかしな格好の男だったがその気配が彼が何たるかを物語っていた。
母にもそれは伝わったようで、一気に緊張が増したのが横から伝わってくる。
恐れる自分を叱咤するように一度大きく息を吐くと、その男も同様に睨む。そんな姿も酷く美しいと感じるのは子供の欲目ではないはずだ。
実際にファミーユは美しかった。父と結婚する前は国一番の美姫と言われたほどだ。レイルの美貌は母譲りのものだった。光を吸い込んだような金髪もけぶるような睫毛も薔薇色の頬も、全て。父から譲り受けたものと言えば、灰色がかった海のような瞳くらいか。
美しい母。海賊が見過ごすはずはなかったのだ。海賊達は財宝と共に女や子供を攫って行く。奴隷や娼婦として売るためだ。
男も値踏みするようにファミーユと彼女に縋る少年を眺めて口元を歪めた。
「ほう・・・これは久々の獲物だな。売るのが勿体無いほどだ」
売る、と言う単語にファミーユは僅かに動揺を見せたがあくまで態度を崩さなかった。
それがいけなかった。
男はますます面白そうに見やると何を思ったのか足早に彼女との距離を縮めた。
え、と思う時には男の手は母の細い腰を捕らえていた。
あまりの事に状況を理解しきれない女はただ間近に迫った男の顔を見詰めるばかりだった。
接近した男の顔は予想に反して繊細に整っていた。日に焼けた顔が男らしく獣のような獰猛性の垣間見える漆黒の瞳は色気すら感じる。
彼の吐息が顔にかかった時、ファミーユの止まっていた思考がようやく動き出した。
男の腕から逃れようともがくが所詮は女の力、びくともしない。
「無礼です!放しなさい!」
「近くで見ればますますいい女だな」
「いやぁ!!」
女として本能的な恐怖を感じたのだろう、怯えて叫び、暴れる。
「・・・っ!」
振り上げた手の先――綺麗に伸ばされた爪が男の顔を引っ掻いた。
思いのほか鋭かったのか、男の頬からはうっすらと赤いものが滲み出してきた。
徐々に男の瞳に怒気が宿り、彼女を捕らえていた手にも力が入り、ファミーユが小さく悲鳴を上げた。
「母上!!」
レイルは慌てて母に近寄ろうとしたが、男に睨まれて体が硬直してしまったのか、動けなくなってしまった。
少年の様子を滑稽そうに笑う男は、しかし突然笑いを止めると無表情に女を見下ろした。
その瞳は凍てつく氷のように冷たく、燃える様に激しい殺意に支配されていた。
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