夜も深くなり、本格的に嵐が激しくなってきて船も大きく揺れるようになった。こんな航海は初めて体験するセシリアは眠れるはずもなく、あまりに揺れるので気分を害してしまった。

 何とか起き上がって吐き気をやり過ごそうとするが、揺れはますます酷くなると同時に吐き気も酷くなっていく。

 「・・どうしよう」

 吐き気が酷い上に雷が鳴り響き、段々と一人では心細くなっていく。


 何度目かの雷鳴の後、セシリアは意を決してショールを羽織り、ランプを片手に部屋を飛び出した。

 ただでさえ入り組んでいる船内は夜の闇に包まれて昼とは違った顔を見せている。方向音痴ではないはずのセシリアでさえ困惑して立ち止まってしまった。

 医務室に行こうと思っても、ここがどこであるかすら曖昧になっている。同じような扉がいくつもあり、どれがどの部屋なのか見当もつかない。

 不味いと思い、部屋に戻ろうと振り返ったが随分と進んでしまっていたようで見慣れない景色が広がっていた。

 完全に迷ってしまった。揺れる体を必死に留めながら辺りを見渡しても誰もいない。誰か見回りでもしていると思っていたのに。



 いつまでもここにいても始まらないと思い、不安に押しつぶされそうになりながらも一歩一歩進んで行くと、雷雨の轟音に混じって微かに悲鳴のようなものが聞こえた。


 「・・・レイル・・?」


 確証は何もなかった。だが、ストンとレイルの名が落ちてきたのだ。彼が助けを求めているように感じるのはおそらく錯覚ではないはずだ。



 途切れ途切れに聞こえてくるそれを必死に辿ると初めて見慣れた扉の前に辿りついた。
 それは今日訪れたばかりの艦長室だった。

 胸騒ぎを抑えながら扉に耳を押し当てると、確かに中から呻き声のようなものが聞こえてきた。

 「レイル?大丈夫?苦しいの?」

 また先程のように頭を抱えているのでは、と思い何度も声をかけるが返事は一向に返ってこない。

 どうしようと悩みながら試しにノブを捻ってみると、

 「開いた・・・」

 鍵は掛かっていなかったそれはいとも簡単に開いてしまった。
 許可なく入る事は失礼だと分かっていてもどうしてもレイルの無事を確認したくて、声を掛けてランプを翳すとぼんやりとだが室内が見て取れた。


 相変わらずのガランとした部屋にちらほらと置かれた家具が一つずつ照らし出されていくが、ベッドの上に彼の姿はない。

 だが、不審に思いランプを少し下げた瞬間、それは静かに映し出された――蹲った姿で。

 「レイル・・・ッ!!」

 慌てて彼の元に駆け寄ってもレイルは気付きもしないのか、目を硬く閉じ体は小刻みに震え、時折悲痛な呻き声を洩らしていた。

 ランプを傍に置き、両手で彼の肩を揺さぶると、ようやくビクリと震えた後、ゆっくりと顔を持ち上げて彼女の顔を見た。

 「あ・・・セ、シリア・・」

 透き通る睫毛に縁取られたブルグレーの大きな瞳をいっぱいに見開いた瞬間、堪え切れないように涙が溢れ出していく。


 7年ぶりの少年の涙に少女もまた驚きに目を見開いていた。

 これは本当に昼間に見た彼と同一人物だろうか。そこにいるのは海軍の高官、リズホーク艦隊艦長ではなく、幼い頃のまま、気が弱く泣き虫な幼馴染の少年だった。

 「・・レイル!?」

 止め処なく涙を流しながら、母に縋る幼子のようにレイルの腕がセシリアに絡みついてきた。

 慌てて腕を引き剥がそうとしたが、あまりに強い力で巻きつくそれを容易に外す事が出来ずに文句を言おうとする。が、今のレイルが普通の状態ではないと気付いてされるがままにした。

 「・・やだ・・いやだ・・やめろ・・」

 ガチガチと噛み合わない歯、ひたすら震えながら否定の言葉ばかりを繰り返す。彼女に縋る腕は力を増していき、セシリアが痛みを感じるほどだった。

 「レイル・・・!?やだ・・しっかりして・・レイル・・・!?」

 このままではレンのように呼吸困難に陥ってしまうかもしれない。心臓が止まってしまうかもしれない。

 ――そんな事嫌・・・!!



 気ばかり急いてどうする事も出来ない自分に嫌気がさした時、再び轟音が聴覚を支配した。


 「ぅっあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 叫んだのはセシリアではなかった。何と彼女の腕の中にいるレイルなのだ。雷鳴が耳に届いたと同時に少年は狂ったように叫び続け、涙腺が壊れてしまったかのように涙を流す。

 「レイル!?レイル、しっかりして!!」
 「やめろ!来るなぁっ・・・あぁぁぁぁぁ!!」

 喉が潰れてしまったのか、声は掠れブルーグレーの瞳も真っ赤に充血し、それと対比するように青白いほどの美貌が恐怖に歪む。

 おかしい、一体彼はどうしてしまったのか。こんなレイルを今まで見たことなど・・・

 「!・・・あの日・・」


 記憶の糸を手繰り寄せると、7年前のあの日が蘇った。セシリアとレイルが最後に会ったあの日もこんな雷雨の轟く酷い嵐の日だった。あの時もレイルは狂ったようにただ泣き叫んでいた。幼い自分にはどうする事も出来ず、そのまま7年間少年に会う事はなかった。


 ――まさか、あの日の事がフラッシュバックしているの・・・!?


 たまに精神的なものが原因で発作が起こるというレイル・・やはり7年前の事が原因だとしか思えなかった。

 あの時はどうする事も出来なかった。だが、今は・・今度こそは彼の助けになりたい。

 ――でもどうやって・・?

 まだ自分は何も出来ていないではないか。彼を助けるどころか迷惑をかけ、心配させている。だが、このままでいいはずがない。


 痛々しいほどに叫び続けるレイルを見て、セシリアは意を決してその華奢に見えるが案外逞しい体を力の限り抱き締めた。

 肩口にレイルの顔が押し付けられて、くぐもった声がしたが叫び声はようやく収まった。咄嗟にレンにしたように抱き締めたが、間違ってはいなかったようだ。

 まだ彼の体は冷たく震えていたが、徐々に瞳に光が戻り、ようやくセシリアの存在をその中に映し出した。

 「リ、ア・・・?」
 「レイル!良かった・・・大丈夫?」
 「・・リア・・僕は・・」
 「レイル!?」

 ふっと体に力が抜け、ずり落ちていく体を必死に受け止めようとしたが出来るはずもなく、そのまま派手に後ろに倒れこんでしまった。

 したたか頭をぶつけて小さく呻きながら体を起すと、彼女の胸の上で目を閉じるレイルがいた。

 「・・・寝てる?」

 精神的に疲れ果ててしまったのだろう。安心しきったその表情にセシリアもようやく安堵の息を漏らした。

   











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