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「ここが艦長室だよ」
ユーシスに連れて来られたセシリアは、目の前に広がる大きな扉に息を呑み、尻込みしてしまった。
まだレイルと二人きりで会う勇気はない。いや、これからも出来るとは思えなかったがそれでも今は無理だと少女は感じていた。
「あの・・・私・・」
「大丈夫。今はレイル、ちょっとしょぼくれてるから慰めて下さい」
「え、あの・・・」
慌てるセシリアにニッコリと人好きのする笑みを浮かべるとユーシスはそのまま行ってしまった。
しばらく困惑して青年の姿を追っていたが、ややして諦めたように扉に目を向けた。
「普通に・・普通に・・・」
自らに暗示をかける様に口中で何度も呟いて、気持ちを落ち着けてから扉を二回軽く叩く。
だが、いつまで経っても返事は返ってこず、虚しいノック音だけが何回も木霊する。中から人の気配がする、レイルがそこにいる事が分かっているセシリアは段々とイライラしてきて、態度にもそれが表れてしまった。
「ちょっと、レイル!いるんでしょう!?無視してるんじゃないわよ!」
ガンガンと上品とは言い難い、ノックと言うよりは殴りつけるように扉を叩くと、
「・・・煩い」
絶対零度の瞳が少しだけ開かれた扉から垣間見え、セシリアはわずかに怯んだが逃げようとはしなかった。
「・・ちょっと話がある・・んですけど」
「・・・・・・・・・・・・入れ」
5秒ほどの沈黙の後、一言。一般的には冷たいと思うだろうが、レイルにとっては精一杯の気遣いだった。彼からしても、今はセシリアとは会いたくなかったのだ。
「・・おじゃましまーす」
恐る恐る足を踏み込み、キョロキョロと辺りを見回すと、机や椅子、ベッドなど必要最低限の家具しか置いておらず広い部屋だけにガランとして見えた。
何だかレイルらしいと苦笑しながら引き出された椅子に座ると必然的におりる沈黙。
この沈黙を打破するためには自らが動かなければいけない事を知っていたセシリアは口を開こうとするが、何から話せばいいのか分からず声を出せずにいた。
ルキア達の拘束を解いて欲しいが、どう説明すればいいのか分からない。言ってしまえばレイルにあの事が分かってしまうかもしれない。
グルグルと答えの出ない考えばかりが浮かんできて、あの、とか、えっと、とか取り留めのない言葉ばかりが出てくる。
「・・何が言いたい」
まさか助け舟を出してくれるとは思っておらず、セシリアが目を瞬かせると少年は苛立ったように髪をかき上げた。
「・・お前は用も無いのに来たのか?」
「ち、違います!あの・・ルキ・・牢に捕らえられている海賊達・・逃がしてくれるなんて事は・・」
「・・あるわけがない」
「だ・・よね」
「・・なぜそんなに奴らに拘る?」
見る見るうちに強張っていく婚約者の顔をレイルは冷ややかな目で見ていた。
諦めにも似た確信に支配されていく。目の前が真っ暗になったかと思ったら真っ赤に塗りつぶされた。
「・・・っ・・!」
突然頭を押さえる少年に少女は慌てて人を呼ぼうとしたが、少年はそれを許さなかった。
震えて、ぞっとするほど冷たい端正な手がしっかりとセシリアの手首を掴んで放さない。
「レイル!?放して・・人を呼んでくるから」
「・・駄目だっ・・・大した事はない」
青ざめた顔で何を言うのかと文句を言おうとしたが、痛いほど手首を握られてそこから彼の必死さが伝わって来るような気がした。
傍にいる事しか出来ずに、ただレイルの具合が良くなる事を祈っていると、ようやく落ち着いたレイルがゆっくりと掴んでいた手を放した。
「・・・すまない」
それは、迷惑をかけた事とセシリアに付いた手首の痣に関する二つの謝罪であった。だが、それがセシリアの不安を煽る結果となってしまった。
彼女の目には、苦しげに目を閉じるレイルの姿がかの日のレンとだぶって見えていた。
「・・レイル・・どこか悪いの?ちゃんと食べてる?何か痩せた・・・」
その時初めてきちんとレイルと向き合ったのかもしれない。曇っていた視界が開けると、麗しい少年の顔に陰りが見え、華奢な体がますますそれに拍車をかけている。
不安げに自分の体を見るセシリアにレイルは忌々しげに息を吐いた。
「・・・あなたこそ随分と痩せたように見える・・・それに傷も」
「あ・・流されている時に色々ぶつかったみたいで・・・もう全然平気よ?」
痛ましく目を細めるレイルに咄嗟にセシリアは大丈夫だと付け加えていた。
だが、言われてもレイルには所々に見える痣がとても痛々しく、自分が傷を負うよりも辛かった。
「・・・後で医務室へ行け・・・痕が残る」
「うん・・・ありがとう」
素直に嬉しさがこみ上げてきて、自然と笑みが零れていた。しかし、彼女の脳裏にはレンの姿が過ぎっていた。このまま話を曖昧には出来ないのだ。
「あの・・・さっきの話なんだけどね・・あの海賊達・・悪い人じゃないの」
瞬時に少年の顔が艦長のそれへと戻る。
「・・海賊に良いも悪いもない」
「でも・・!彼らは決して人を殺したり襲ったりしないし、貧しい人達から奪ったりもしないわ」
「俺は奪われた」
「・・・え」
「花嫁を」
「―――――っ」
カッと顔が熱くなる。本当なら自分は目の前の男の花嫁として結婚をしていたはずなのだ。
「・・・あなたは考えた事があるか?必死に花嫁を探した男を」
「私・・ごめんなさい・・」
「・・もう・・いい。今日は休むといい・・また日を改める」
謝る事しか出来ずに唇を噛む求めた花嫁を見、男は苦笑して立ち上がった。
断る理由もないセシリアは促しに従って立ち上がり、部屋を出て行こうと彼に背を向けた。
だが、視界の隅で短くなった銀髪がふわりと翻るのをとらえた瞬間、彼は自分でも思いもしない行動に出ていた。
「!?・・レ、イル?」
柔らかく指に絡む感触は同じ。だが・・・
「この髪・・・どうして・・」
「え?」
きょとんと見上げてくるセシリアにはっとしたようにレイルは手をどけた。
「どうしたの?」
「・・何でもない」
何をしているんだ、と自問自答しながら平静を装って扉を開けてやる。
「・・・おやすみ」
「え・・・うん」
何か言いたそうに見詰めてくる彼女から顔を背けると、諦めたようにセシリアは部屋を出て行った。
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