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艦長の花嫁の奪還と言う目的を達成し、浮き足立ってもいいはずのリーズホーク船内は、しかし妙な緊張感に包まれていた。
緊張感の源はこの場に相応しくないほどヘラヘラと振る舞い、あろう事か艦長の花嫁の肩をしっかりと抱いていた。
「だから俺もこの船に乗せて連れて行ってくれって言ってるでしょ?これでも結構な賞金首だから手柄になると思うんだけど?」
男――グレインはそう言って、一際セシリアを抱く手に力を込めた。それを見てレイルの眉がほんの少しだけ上がった事に気付いた者はおそらくユーシスだけだろう。
そんな上司を横目で見て、ひっそりと溜息を吐いてからユーシスは口を開いた。
「海賊が好きで捕まるなんて裏があると思うのが普通だよ。一体何を考えているんだい?」
「別に裏なんてないさ。仲間達も船に残して俺だけここに手ぶらで来たんだ。信用してくれてもいいんじゃない?」
「悪いけど信用出来ないなぁ」
微笑みながら切り捨てるユーシスをグレインはしばらく真顔で見詰めていたが、ややして小さく噴出した。
「あんたいいね。負けたよ・・・本当の事言うと、面白そうだからさ」
「面白そう・・?」
「そっ。これからあんた達がどうなるか興味があるわけ・・・なぁ・・セシリア?」
「え・・!」
少女は驚いたように青年を振り仰いだが、すぐに何か察したようでサッと顔を曇らせた。伏せられた瞳は睫毛が影を落としてよく見えなかったがその仕草からレイルは思い至った。
――何か隠している・・・?
昔から隠し事の出来ない少女だ。すぐに顔に出てしまう。
レイルがセシリアの伏せた顔を睨むように見ていると、ユーシスがどんよりとした空気を払拭するように大きく手を叩いた。
「取り合えず一度、国に帰るべきだと僕は思うよ。不本意だけど有名な海賊を二人も捕らえられたんだから、帰艦に周りも納得するだろうしね」
「・・・ああ」
「セシリアさんも国に帰るべきだよ。お父様も皆もとても心配しているからさ」
セシリアの伏せられた睫毛がピクリと動いた。父と言う懐かしい響きにふいに郷愁の念に駆られたものとユーシスは思っていた。
「取り合えずこの海賊さんは牢に入れておかないと・・・でも空きがないんだよ。彼らでいっぱいになっちゃって・・」
ふいにセシリアが顔を上げてユーシスを見た。
「・・あ、の・・彼らって・・」
「うん?セシリアさんを攫った海賊達だよ。途中で会って、捕らえたんだ」
あまりの衝撃に少女の体から一瞬力が抜けた。グレインが支えていなければおそらくその場に崩れ落ちていただろう。
”彼ら”と聞いた時から酷い胸騒ぎを感じていた。まさか現実のものとなるとは――
これは全てセシリア自身の問題であり、それにルキア達を巻き込んでしまったに過ぎない。それなのに自分のせいで彼らが捕まる事になるなんて・・・。
「あの・・彼らに会う事って出来ませんか?」
震える声で、しかし揺るぎない瞳で言った少女の問いに答えたのは静かな低いアルトだった。
「・・なぜだ」
「えっ・・・それは――」
それは、あの結婚式以来初めてとも言えるセシリアとレイルの会話だった。だが、それは若い、婚約を交わす男女のするそれではなかった。
「・・あなたは彼らに攫われたはず・・そのあなたがなぜ奴らに会う必要がある?」
レイルは己が酷く厳しい眼差しできつい口調になっている事を自覚していた。
彼の脳裏にかの日のルキアの言葉が蘇る。
”連れ去ったぁ?そいつぁ違うぜ。あいつが自分からついて来たんだ”
”本当の話だぜ?結婚が嫌で嫌でたまらないってな”
”海賊に来るぐらいだ。よっぽど相手が嫌いだったんだろーな”
「・・あれは真実なのか・・?」
ふと、今にも泣き出してしまいそうな、母に縋る幼子のような目をしたレイルにセシリアは絶句した。
少女の驚愕にハッとしたように顔を背け、グッと爪が食い込むほど拳を握る。そしてそのまま半ば逃げるように部屋を後にしてしまった。
「レイル!?ちょっ・・・全く・・」
可哀想な副艦長は、頭を抱えたがやがて諦めたように指示を出していった。
曰く、グレインは取り合えずルキアと同じ牢に入れておき、監視を増やすように。そしてセシリアは一緒に艦長室まで来て欲しいと。
艦長室、つまりレイルの部屋に行く事に抵抗を感じたが、
「今はまず話し合うことだよ。国に帰ったらしばらく会えなくなるかもしれないからね」
と言うユーシスの言葉に渋々頷いたのだった。
このまま国に帰る事は彼女にとっても避けたい事だった。あの事をどうするかはまだ全く分からないが、このまま国に戻ってしまったらもうどうする事も出来ないだろう事は明確だった。ルキア達の事もどうにかしなければならない。
意を決したように歩き出したセシリアを背後から眺め、ユーシスはそっと呟いた。
「・・その髪は・・・」
「え?」
聞き取れなかった彼女はきょとんと振り返ったが、青年は苦々しく笑って首を横に振るばかりだった。
少女の、肩辺でバッサリと切られたそれをもう一度悲しげに見やる。
レイルが一心に彼女の髪を見詰めていた事くらいお見通しだった。そんなに気になるのならば直接聞けばいい、と思うのだがそれを出来ない少年の性格を知っているから何も言えない。
恐らくレイルは恐れているのだと、ユーシスは感じ取っていた。
久方ぶりに会った花嫁は粗末な服を纏い、髪は切られ、自分を見ようともしない―――
まるで彼女が知らない誰かになってしまったかのような錯覚に彼は陥っているのかもしれない。
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