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 一瞬の出来事であったが、それはセシリアの目頭を熱くさせるには十分だった。
 泣き顔を見られまいと必死にレイルの胸に顔をうずめて彼にしがみ付く。

 「・・・どうして・・私と結婚するのは出世のため、でしょ」

 彼ははっきり言ったはずだ。セシリアが副大提督の娘だから結婚をすると。
 だが、レイルは否定するどころか肯定でもって彼女に答えた。

 「・・ああ、そうだ・・君との結婚は俺が大提督になるための手段の一つに過ぎない」
 「酷い・・・私は愛のない結婚なんて嫌よ」
 「愛していない・・・だが、俺は君と結婚する」

 何度も愛なんてないと繰り返しながら言葉とは裏腹にセシリアを強く抱き締めていく少年が分からなかった。彼の言葉が真実なのかどうか、彼が何を考えているのか。

 「分からない・・・あの頃は何でも分かったのに・・」

 もう7年前には戻れないと言われている様で辛かった。だが、セシリアにも本当は分かっていたのだ。あの頃に戻るには二人とも成長しすぎてしまった。あの関係でずっといる事なんて出来はしないと知ってしまった。

 それでもやはり悲しかった。あの頃、レイルといる事がセシリアにとっての最上の時であったから。それはレイルにとってもそうであったのだが、彼はそれを捨てる決意をしてしまった――あの事件のせいで。

 「どうしても・・復讐をするの・・?」
 「ああ・・・これはけじめなんだ」

 何のけじめかと聞く事が出来たらどんなに楽だろうか。だが、レイルがそれを拒絶する。これ以上関わるな、と暗に伝えてくる。
 しかしそれで引き下がれるほどセシリアは聞き分けのいい貴族のお姫様ではない。

 「・・・どうしてもって言うなら私も一緒に行くわ」
 「なっ・・・!?」

 レイルの腕が震えたのがその腕の中にいたセシリアにはよく分かったが、彼女の意志は固かった。

 「あなたの傍であなたの復讐を見届ける」
 「そんな事・・・これはあなたには関係が」
 「ないなんて言わせない。これは私のけじめなの」

 顔を上げたセシリアの瞳の光の強さにレイルはたじろいだ。彼女がこう言う目をする時は何を言っても無駄だと長年の付き合いから理解していた。

 しばらくお互い睨み合っていたが、やがてレイルが小さく溜息を吐いて彼女をゆっくりと解放した。

 「・・・分かった・・君は昔から言い出したら聞かないからな・・」

 少しだけだが、表情の和らいだ少年にホッと胸を撫で下ろしたセシリアだったが、
 「・・それで、その海賊の居場所はどこなんだ」

 次の瞬間にはすっかり艦長の顔をしている彼に寂しい気持ちを感じる事となる。しかしすぐに諦めたように目を瞑ると、ゆっくりと口を開いた。

 「その海賊は、リオール王国にいるらしいわ」
 「・・リオール王国?確か東方の小さな内陸国だったはずだが・・そんなところになぜ奴が?」
 「分からないわ。私もそこにいるとしか聞かなかったから」
 「・・リオール王国の情報がいるな・・だが、東方に詳しい者など・・情報屋を使うのも・・」

 考え込むように口元に手を当てる少年をしばらく見ていた少女であったが、何か思いついたように小さく声を上げた。

 「そう言えば、レン君が確かリオール王国の出身だわ」
 「レン?」
 「ルキア達と一緒に小さな男の子がいたでしょう?」

 ルキアと言う単語にすぐさまレイルは眉を寄せる。そして彼女が何を言いたいのか理解したようで、首を横に振る。

 「海賊の手を借りるつもりはない」
 「ルキア達は海賊だけど、普通の海賊と違うの!人を傷付けたりしないしお金持ち相手にしか海賊行為をしないもの」
 「それでも海賊は海賊だ」

 聞く耳持たないと言うように吐き捨てるレイルの気持ちは理解出来るが、そんなに頑なになっても前に進めないのでは、とセシリアは不安に思う。

 ――海賊を憎んでばかりでは・・・。

 考えて、セシリアは一つの手を思いついた。少し強引だが仕方がない。

 「じゃぁ私が勝手にレン君に聞くわ。牢まで連れて行って」
 「なっ・・そんな事・・・」
 「レイルが嫌なら私一人で行く」
 「おい・・・!」

 本当に一人で歩き出した幼馴染の少女に焦ったように海軍の少年は腕を伸ばした。

 「私が言い出したら聞かない事、よく分かっているでしょう?」
 「・・・・・・」

 レイルの負けだ。セシリアをこのまま夜の船内を一人で歩かせるわけにはいかない。

 「・・・分かった・・但し今日はもう遅いから明日だ」
 「本当に?明日になったら知らない、とか言うんじゃぁ・・」
 「俺が君との約束を破った事があったか?」
 「・・・ないわ」

 それこそ嘘だ。一つだけ、たった一つだけ彼はセシリアとの約束を破った。7年前――明日も来るから、と言ったのにもう二度とレイルは彼女の元を訪れなかった。

 「信じてるから・・レイルの事」

 ――信じさせて、今度こそ。

 言うと、レイルは昔の面影を残すその美貌を和らげて少しだけ悲しそうに微笑んだ。      











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