「やっぱり行っちゃうの・・・」

 泣きそうになるのを耐えながら見上げてくる少女にセシリアは必死に笑顔を作った。

 「チェルシィ、本当の妹が出来たみたいで嬉しかった。本当にありがとうね」
 「お姉ちゃん・・・絶対にまた来てね」
 「・・・うん」

 ぎゅっと握る小さな白い手を両手で包み込んで軽く叩いてやるとチェルシィの目から大粒の涙が溢れ出た。

 「チェルシィ・・・」

 兄が引き寄せると、妹は彼にしがみ付いてついに声を上げて泣き始めてしまった。
 オロオロとするセシリアに大丈夫だと力強く頷きながら、アッシュは目を伏せる。

 「・・本当にあなたがいてくれて楽しかったです」
 「私の方も、お世話になりました」

 深々と頭を下げた後、上げられた顔を見てアッシュは苦笑する。

 「大丈夫です。もうあの仕事は辞めるつもりでいますから」
 「でもそれでは・・」

 確かに辞めて欲しかったが、それでこの兄妹の暮らしが酷いものになってしまうのは耐えられなかった。その矛盾からセシリアはアッシュに言い出せずにいたのだ。

 「・・いいんです。今回の事でよく分かりましたから。貧しくても妹の傍にいてやるようにしたいんです」
 「・・・頑張ってください」

 彼女が言って差し出した手を迷わず握り返しながら今度はアッシュが心配そうにその顔を歪めた。

 「あなたの方こそ・・・あの話・・どうするつもりなんですか」

 さっとセシリアの顔に陰りが出来る。

 「・・まだよく分からないんです。どうするべきなのか・・」
 「危険な事だけはしないで下さいね。そんな事をしたらチェルシィはもちろん、俺も泣きますよ」
 「覚えておきます」

 握られた手に力が入り、セシリアはやっと微笑む事が出来た。

 どちらともなく手を離してセシリアは意を決したように船に乗り込もうとした時、今まで兄にしがみ付いて泣いていたチェルシィが顔を上げた。

 「お姉ちゃん!幸せになってね!あの人ならお姉ちゃんを幸せにしてくれるはずだから!」

 涙でぐしゃぐしゃになった顔でつっかえながらも紡がれた言葉はセシリアが首を傾げるものであったが、チェルシィがあまりにも真剣だったので彼女は笑って頷いた。











 ゆっくりと遠ざかる軍艦を見詰めながらアッシュはつい先程目の前で繰り広げられた事を思い返していた。


 突然目の前に現われた目を見張るほど美しい海軍服を着た少年と凍りつく少女。
 彼の目を見た瞬間、敵わないなと悟った。自分なんて入り込む隙間なんてないんだと。


 どこか悲しげに長い指を彷徨わせながら「生きていたんだな」とただ一言少年が呟くと、翡翠から真珠が溢れ出た。

 ごめんなさいと何度も謝る彼女に悲しげに微笑した彼の瞳はぼんやりと光が無かった。

 泣いているセシリアを前にしても彼は戒めのように彼女に決して触れようとはせずに、しかし指先はゆらゆらと揺れて心の葛藤がアッシュには分かった。


 二人の間にどのくらいの壁があるのかは分からないが、それは相当厚いように思われた。だがそれは少年がほんの少し力を入れれば簡単に壊れるようにも思える。


 最後に見た少年の秀麗な顔は美しかったが作り物めいており瞳はビー玉のようで白い肌は硬い陶器のようだった。

 だが、セシリアを前にした彼は苦しげに柳眉を寄せ、切なげに目を細める姿は正に人間のそれで――


 「素直になればいいのに・・・」

 独り言めいた言葉にチェルシィは分かっているのかいないのか、得意げに目を擦りながら、

 「絶対にお姉ちゃんは幸せになれるよ!」

 と睨むように見上げてくるのでアッシュは目を瞬かせながらクスリと笑った。


 「そうだね・・・きっと・・いや絶対に壁が崩れる時は来るさ」
 「かべぇ?」

 真っ赤に目を腫らしながら不思議そうにする妹の頭をくしゃくしゃと撫でてからセシリアと握手した方とは反対の手でチェルシィの手を握る。

 「家に帰ろう。お腹すいたしね」
 「うん!!」

 笑顔で駆け出す妹に腕を引っ張られながらアッシュは最後にもう一度だけ随分小さくなった船を見た。


 初めからずっと一緒にいられるなんて思っていなかった。彼女は地上に舞い降りた天使だったのだから。

 願わくは彼女が笑っていられるように。


 ――だけど・・・




 ”・・教えてくださいアッシュさん・・”

 ”知らなければいけないんです私は。彼よりも先に”




 あの海賊に関われば彼女は必ず不幸になると分かっていた。けれど話してしまった。彼女の目があまりにも真剣だったから。


 ”その海賊は今、リオール王国にいる”  











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