早く帰途に着きたかったアッシュであったが、その意志に反して帰宅は深夜となってしまった。明りの消えている我が家のドアを音を立てない様に開けて中に入ると、

 「お帰りなさい」
 「・・セシリアさん・・起きていたんですか」

 アッシュの帰りをウトウトしながらも懸命に待っていたセシリアは、彼の姿を捉えた瞬間一気に眠気が吹き飛んだ。

 やんわりと笑いながら近付いてくるアッシュを少し緊張した面持ちで彼女は見詰め返す。

 「・・こんな時間まで仕事ですか?飲食店で働いていると聞きましたが」
 「ああ。酒屋も兼用しているのでたまにそちらも手伝うんですよ」

 何の淀みもなくスラスラと口に出るそれは嘘とは思えない。やはりアッシュを疑うなんてお門違いであったのかと、セシリアは少し後悔した。

 だが、彼なら何か知っているかもしれないと言う気持ちに変わりはない。チェルシィの言っていた崖の向こうの事がまだ引っかかっていたからだ。

 疲れを色濃く見せるアッシュに悪いとは思いつつも、セシリアは再び口を開いた。

 「・・今日、チェルシィと海に行ってみたんです」
 「それはありがとうございます。チェルシィに付き合ってくれて」
 「・・港が・・港が一つもなかったんです。チェルシィは崖の向こうにあると言っていて・・」

 アッシュの目が一瞬、鋭く光った。

 「・・どうして崖の向こうに行ってはいけないのですか?一体崖の向こうに何が・・」
 「あなたは知らなくても良い事です」

 それは彼が初めて見せた拒絶の色だった。今まであれほど優しかった青年の変貌にセシリアの疑惑が確信へと変わっていく。


 ――やっぱり何か知っているんだわ。


 それを知っても何の意味もないかもしれない。だが、可能性は出来る限り試していきたい。それを一つ一つ地道にしていく事が今のセシリアにとっては何よりも重要であった。

 コクリとセシリアは小さく息を呑んだ。

 「・・私、ある人を探しているんです・・でも全く手掛かりが掴めなくて・・」
 「ある人?」
 「・・・海賊・・私は海賊を探しているんです」

 瞬間、アッシュの瞳が驚愕の光に眩んだ。

 「アッシュさんは何か知っていませんか?」
 「か・・海賊なんて、会った事もないですから」
 「でも・・」
 「すみません。疲れているのでもう休みます」

 逃げるように部屋へと飛び込んでしまったアッシュ。あの様子からして彼はやはり何か知っている。しかも海賊の事を。


 彼が話してくれるのを待っている時間も根気ももはやセシリアには残されてはいない。

 「・・仕方ないわね・・」

 このまま大人しくしている事なんて出来ないから。









 ゴソゴソと動き出す物音でゆっくりと瞼を持ち上げる。
 始めから眠ってはいなかった。彼の朝はいつも早いので寝過ごしてはいけないと徹夜をしていたのだ。

 やがて、ドアが開かれて閉じる音がひっそりと家に響くのを聞いた後、セシリアは急いでベッドから抜け出した。

 そろりとドアを開けて外を窺うと、少し小さくなったアッシュの背中が見えた。

 朝早いおかげか、周りに人の気配がしないのが有難かった。コソコソと隠れる自分はおそらくかなり怪しく見えるだろう。

 尾行なんて一度もした事がなかったセシリアのそれはかなり拙いものであったはずだが、近付きすぎない事とアッシュが疲れている事が幸いして気づかれずに済んでいるようだ。









 「・・何なのよここ・・」

 崖の向こう側はまるで別世界であった。まだ朝だと言うのにむっとする酒の香りが辺りに充満して、酔った男達が娼婦の肩を抱いて店に入って行く。
 男達の格好にまともなものは見当たらず、着崩した盗賊風のものが多い。

 そんな男達を見ても平然として挨拶まで交わすアッシュにセシリアは戸惑いを隠せなかった。

 建物の影に隠れて見た海は何故か澱んで見え、その海には多くの船が我が物顔で泊まっていた。

 その船の帆を見てセシリアは大きく目を見開いてしまった。


 真っ黒な旗に不気味に描かれる骸骨。それを見れば人々は恐怖におののくと言われる――

 「海賊船・・・!!」

 今ではその旗を付ける事は珍しい事だが、一部の海賊達は自らの力を誇示するためにその旗を掲げている。

 「ど、どうして海賊船が・・」

 海賊、と言う言葉にアッシュが反応を見せたので何らかの情報を持っているのではと思ってはいたが、ここまで直接関係しているとは考えもしなかった。


 動悸を感じながら、視線を戻すとそこにはもう見慣れた後姿はなくなっていた。船に夢中になっている内に見失ってしまったのだ。

 慌てて影から飛び出して辺りを見渡すも、どこにもその姿はない。

 「やだ・・どうしよう・・」

 この中に取り残される事を考えると体が震えた。これ以上ここにいるのは危険だと頭の中で警報が鳴っている。

 目の前に広がる異様な光景に無意識の内に後ずさりする足は、数歩ほどで止まってしまった。

 背中に軽い衝撃があり、誰かにぶつかったのだと気づいたが振り返る勇気が出せずにいると、

 「おいおい、いてぇじゃねぇか」
 「!!!」

 そこに立っていたのは気だるげに首を捻りながらにやにやと厭らしい笑みを浮かべる男だった。その風貌は、海賊そのものであった。

 そこでようやくセシリアは自らの愚かさを嘆いた。


 人々に恐れられ、非道の限りを尽くすのが海賊。だが、ルキア達のような海賊に出会ってしまった彼女は海賊と言うものを少しばかり美化してしまっていた。彼らが特別である事は分かっていたはずであるのに。    











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