序
「お兄ちゃん、今日もお仕事に行っちゃうの?」
妹の縋るような目には慣れているはずだったが、今日は何となく気がひけた。ちらりと部屋の奥に目をやると、見慣れない少女がベッドの上で寝ている。
妹も彼女の事が心配で自分にも一緒についていて欲しいのだろう。
「ごめんな。もう一人でも大丈夫だろ?ちゃんとあの子の事見ていてあげろよ」
不安がっているのはよく分かるが、それでも仕事に行かないわけにはいかない。今日は取引相手が来る大事な日なのだから。
まだ幼い妹には詳しい仕事の内容は言ってはいない。言えないような仕事をしている自覚はあった。それでも兄弟2人、生きていくためには仕方がないと割り切っている。
取引相手とは海賊の事だ。彼らに武器や情報を売って変わりに金や食料を貰っている。この島では珍しい事ではない。
忌み嫌われている海賊だが、自分にとっては大切な商売相手で血の気は多いが騒がれているほど悪い奴らでもないと思っている。
だが、一人だけもう二度とお目にかかりたくないと心から思った海賊がいた。
この仕事を始めたばかりだった頃、随分前の事になるのだがあの日の事は一生忘れないだろう。
「・・お兄ちゃん?」
気付いたら考え込んでしまっていたようだ。妹の声にはっとして時計を見るともう随分時間が経ってしまっている。
「ああ、ごめん。もう時間だから行くよ。今日は早く帰るようにするから」
「・・・うん」
最後に頭を撫でてから急いで駆け出していく兄の背中が見えなくなるまで幼い少女は瞬きもせずに見詰めていた。
姿が完全に見えなくなると少女は静かに溜息を吐いて部屋の中へと戻って行った。
兄のベッドには変わらず静かに寝息を立てている少女がいる。
海岸で意識を取り戻したかに見えたがそれは一瞬の事ですぐにまた美しい瞳を瞼の裏側に隠してしまった。
「お姉ちゃんはどこから来たの?」
答えは当然返っては来なかったが、それでもよかった。いつも一人でいる部屋に他に人がいる事実だけで良かった。
兄が自分のために頑張って働いてくれている事は幼いながらも理解していたので我侭は言えないのだが、それでも今日のように甘えてしまう事がある。
「お姉ちゃんがお兄ちゃんのお嫁さんになってくれればいいのに」
そうすればずっと彼女は家にいて、自分と遊んでくれるかもしれない。赤ちゃんが産まれれば自分も面倒を見る事ができるかもしれない。
無意識に呟いた冗談だったはずなのに、口に出したら不思議とそれが最高に良い考えなのではないかと思ってしまう。
兄は彼女を何かと気遣っていたし、彼女ももし行くあてがないならここで暮らせばいいのではないか。
思わず3人で仲良く海に出かけるところを想像して、少女は頬を赤くした。
それはとても素敵な事に思えた。
だが、少女は知らない。眠っているセシリアが夢を見ている事を。
その夢の中では一人の少年が微笑んでいる事を。
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