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海から助け出した女を見て、まずレイルは安堵の息を吐いた。
顔も年齢も全て彼女とは当てはまらない。どこからどう見てもセシリアとは別人だった。
助け出された彼女に真っ先に駆け寄ったのはユーシスとエリオットだった。
まずエリオットが呼吸と鼓動の確認をする。
「・・・心臓は僅かですが動いています。ですが、呼吸の方が・・」
「人工呼吸をした方がいいと言う事かな?」
「そうですね。私がします。医学を少しですがかじった事があるんです」
そして手際よく人工呼吸をして応急手当を始める彼の様子にユーシスもレイルも目を白黒させた。
前からなかなか有能な青年であるとは思っていたが、まさか医学にまでその手を伸ばしているとは思わなかった。
剣ではレイルにこそ敗れたが、日頃他の者と打ち合っている姿を見る限り、なかなかの腕前である事は確かだった。
ユーシスがにこにこと感心し、レイルが無表情で見守る静寂の中で女の激しい堰が止め処なく溢れてきた。
それは息をしている証。どうやら女は助かったようだ。
「もう大丈夫でしょうけど、休養が必要ですね」
見ると、女は荒い呼吸をしながら、目を開けようとはしない。体はピクリともせずぐったりとそのまま横たわっている。
「医務室に運んでもよろしいですか?」
「ああ、いいよ。先に行っていて、僕達も後から行くから」
エリオットが意識のない女を抱えて船内へ足早に入っていくのを手を振りながら見送った後でユーシスはレイルの方を振り返った。
その顔からは先程の笑みはすっかりと消え、副艦長としての彼がいた。
「変だと思わないかい?」
「・・・何がだ」
「本当に君はそう言う所は疎いと言うか・・・彼女だよ。何でこんな海の中にいたんだろう」
その疑問は最もだ。普通、女は船にはよほどの事がない限り乗らない。なぜか古くから女が船に乗ると良くない事が起こると言われているからだ。
娼船と言う特殊なものもあるが、今この辺りにそれらしき船があると言う情報はない。命があった事から海に落ちてそれほど時間が経っているとも思えない。
では彼女は一体どこから来たのか。
「これはひょっとするとひょっとするかもしれないよ」
そうこうしている間にドゥール海に船は入った。情報が正しければこの海域にいるのはルキアの船であるはずだ。
彼女がその船から来たとまではいかないが、何らかの情報はあるように思う。
話し終わり、レイルの白磁の横顔を見ると、彼はひどく厳しい表情をしていた。
だが、その厳しい表情とは裏腹に彼の澄んだ瞳はゆらゆらと揺れている。
期待、不安、恐れ、悲しみ。その全てを含んだような複雑な瞳はぼんやりと揺らいだまま、やがて長い睫毛に覆われて見えなくなってしまった。
その女が目を覚ましたのは翌日の昼頃であった。
報告を受けたレイルとユーシスは足早に彼女の寝ている医務室へと向かった。
もう少しで医務室、と言うところで女独特の甲高い叫び声が響いて二人の耳にも飛び込んで来た。
何事かと急いで部屋に入ると、そこにあったものは涙を零しながら髪を振り乱して短剣を手にする女とそれを必死に押さえているエリオットだった。
見ると、エリオットの頬と女の腕には血が滲んでいる。
「離してぇ!!死なせて・・・私に生きている資格なんてないのよ・・・っ・・!」
狂ったようにそれだけを繰り返す女からエリオットは自分も傷つきながら何とか短剣を奪い、遠くへ放り投げた。
短剣の落ちる音を聞いた途端に女は突然力を失い、ベッドへと崩れ落ちて泣き伏してしまった。
「・・・これは一体どういう事だ・・」
「彼女、目が覚めたら突然私の短剣を奪って自殺しようとしたんです」
「自殺!?」
声を上げたのはもちろんユーシスだ。思わずベッドに目を移すと、女は細い方を震わせて泣きじゃくっている。
――もしかして自分から海に飛び込んだ・・・?
自殺をしようとしたのなら、そう考えるのが普通だ。一体何がこの女性をそこまで追い込んだのか。
ユーシスは彼女の弱弱しい姿を放っておけなくて、怖がらせないようにそっと近付いた。
「一体どうしたんだい?死ぬなんて・・・良かったら訳を話してくれないかな。ひょっとしたら何か力になれるかもしれない」
その優しげな声に促されて顔を上げると、今まで向けられた事のない親しみと優しさの篭った笑顔があった。
自分にはそんなものを向けられる資格なんてないのに。
女はまた堪えきれずに涙をボロボロと流しながらも、それでも許しを請うようにポツリポツリと話し始めた。
もしかしたら女は本当にユーシスに許しを求めたのかもしれない。
「わ、たしにはもう生きている資格なんて、ないんです・・っ・・」
レイルもエリオットも静かに女の話に耳を傾ける。
女はひゃくりを上げながらも懸命に話した。
「わ、たし・・人を殺してしまったんです・・っ」
「!」
思わず息を呑んだユーシスの様子を敏感に感じ取った女は必死に彼に縋りついた。
「そんな気はなかったんです!私、セシリアさんを殺すつもりなんて全然・・」
その瞬間、時が止まった。
女、ヒルデはまだ何か話していたが、その場にいた者にその声はもう届いてはいなかった。
レイルは女から彼女の名前が出た途端、頭の中が真っ白になった。自分が今立っているのか座っているのかももう分からない。
感覚のない体とは裏腹に頭の中ではある言葉を繰り返していた。
嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。
セシリアが死んだ・・・?そんな事―――
「嘘だ!!」
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