セシリアの体が漆黒の海に消えていくのを呆然と見ていたヒルデであったが、すぐに自分のやった行為を思い出して絶望した。

 「わた、しは・・・何て事を・・・!!」

 セシリアは助からないだろう。
 この辺りの海は比較的穏やかだと言っても、海中にはどんな生物がいるか分からない。人を食すものもいるやもしれない。

 「セシリ、アさ・・・っ」

 人を殺してしまったのだと言う事実を目の前に突きつけられてヒルデはガクガクと震えた。

 こんな事をするつもりではなかった。だが、自分はそれをしてしまった。

 確かにセシリアさえ現われなければ、と何度も思った。彼女とグレインの姿を見るたび胸が張り裂けそうだった。

 それでも、こんな思いは今まで何度となく味わってきたのでもう少しの辛抱だと思っていたのだ。グレインがセシリアを飽きるまでの辛抱だと。

 それなのに――

 「本気になるなんて・・・!!」

 彼女がこの船に来てからは一人も女を部屋に呼ばなくなった。それではセシリアが相手をしているのかと思えばただ話をしているだけだと言う。

 信じられなかった。憤りを感じた。惨めだった。・・・憎らしかった。

 なぜこんな小娘が、と眠る彼女を見て泣いた夜もあった。だが、そのたびに少女に罪はないと己を律してきたのだ。
 自分だけが彼女に優しくする事によって、グレインに良い印象を与えたかった。少しでも関心を持って欲しかっただけだったのに。

 だが、あの男はそんなヒルデのいじらしさに気付こうともせずに、いとも簡単に言ってのけた。

 ”他の女を連れて船から下りてくれないか”

 久しぶりにグレインの方から話しかけてくれて舞い上がっていたのに。

 ああ、何て愚かな自分。どんな女が現われようとも自分だけは彼は手放さないと勘違いしていたのだから。

 彼女達に何と言えばいいのだろう。なぜこんな事になってしまったのだろう。

 一人になりたくて船外にいたのに、そこに彼女が・・・セシリアが現われたりするから、ヒルデの押さえ込まれてきた憎しみの感情が爆発した。心配そうに見てくる瞳が腹立たしかった。

 底から湧いて出る怒りに任せて、ふと気が付いたら彼女の首を絞めていた。

 我に返ってからはセシリアを殺そうなどと言う感情はなくなったはずだった。だが、彼女の華奢な体が船から投げ出された時、手を伸ばしながらも心のどこかでは思っていたのかもしれない。

 彼女さえいなくなれば、きっとグレインは船から降りろなんて言わなくなる、と。

 その醜い思惑が届くはずだった手を一瞬躊躇させたのではないか。

 「最後の最後まで何て醜く浅ましい・・・。こんな女であるからグレイン様からも捨てられるのだわ・・・」

 セシリアを手にかけた自分が生き残れるはずなどあるわけないのに。
 この事実を知れば、グレインはヒルデを生かしてはおかないだろう。

 「愛するあなたの手にかかるのもいいかもしれないわ・・」

 少なくともその瞬間だけはグレインは自分だけを見ていてくれる。

 そう考えて、それも悪くはないと思ったが、最後の最後まであの男に翻弄されるのも何だか癪である。
 もうグレインのために一喜一憂するのにも疲れた。これまでの人生、人に決められてそれに逆らわずに流れに身を任せていたが、最後にそれに抗ってみるのもいいかもしれない。

 「こんな事になるのなら、始めから素直に自分を出せばよかったわね・・」

 それでグレインに呆れられても捨てられても本当の自分を彼に見せられたのに。

 少し心残りだが、今となっては何もかもが遅すぎたのだ。

 ヒルデはしっかりとした足取りで船の縁に近付いて、そこから海を眺めた。

 「・・・少しは思い出してくれるかしらね・・」

 何年経ってもいい。いつか、こんな女もいたと思ってくれるだけでいい。それだけで自分の生きた証となる。

 ヒルデはゆっくりと目を閉じて、両手を広げて漆黒の闇の中へと飛び込んだ。


 最後に彼女の唇が僅かに動いたが、何を言ったのかは本人以外、誰にも分からなかった。











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