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 それから何日かは平穏に時が過ぎていった。いつものように照り付ける太陽。いつものように波打つ海。いつものように寛ぐ海賊達。

 その中でただ一つ違うのは、船長であるグレインの行動であった。普通は一人で行動する事が多い彼だが、最近はいつもある少女を連れて歩いている。
 その少女は最近船に来たばかりの新入りで始めは皆、またグレインが愛人を連れて来たのではと思っていたが、どうも様子が違う。

 愛人であるはずの少女だが、夜に船長室に呼ばれた事は一度きりしかない。しかもそれも単に話をしただけだと言う。グレインの手の早さを知っている海賊達は一様に首を傾げた。

 気まぐれではないか、と思っていたがどうも違うようでグレインは飽きる事無く少女の相手をしている。

 これに船内にいる他の女達はひどく反発した。
 それも当然だろう。誰にも本気にならないグレインだからこそ女達の間でも均衡が保たれていた。だが、まだ女の匂いも乏しい少女の出現でその均衡は揺らぎかけていた。

 「一体どんな手を使ったのかしらね」
 「新入りのくせにずうずうしい!きっとすぐにグレイン様も飽きるわよ」
 「あんな小娘のどこがいいのかしら」

 女達のいる部屋に入るなり、ちくちくとした嫌味を言われる事にまだセシリアは慣れてはいない。

 何も好きでグレインの傍にいるわけではないのだが、それでも事実に変わりはないので、いつも彼女達の悪口を甘んじて受けている。

 だが、ヒルデは違うようでいつもセシリアを庇うように彼女達を諌めている。

 「お止めなさい、あなた達。揃いも揃って・・・恥ずかしくないのですか」
 「なぜヒルデ様は庇うのですか!?悔しくはないのですか!?」

 ヒルデは悲しげに微笑んでからセシリアを引き寄せた。

 「もちろん悔しいし悲しいわ。でもそれはあなた達がこの船に来た時も感じた事なのよ。それに彼女はまだ幼いわ。私達が助けてあげなくてはならないのではなくて?」

 私があなた達にそうしたように、と続けて言うヒルデに誰も返す言葉などなかった。

 そんな彼女達に困った様に微笑んで、ヒルデはセシリアを連れて自分の部屋へと入って行った。

 「ありがとうございます、ヒルデさん」
 「いいのよ、お礼なんて。本当の事だもの・・・」

 大人だなぁとセシリアはしみじみ思う。自分だったら果たしてこんな風に笑えるだろうか。

 「それよりもセシリアさん、グレイン様は本当にあの夜、あなたに何もしなかったの?」
 「・・はい・・?」

 答えたものの、なぜヒルデが突然こんな事を聞くのか分からずに曖昧なものになってしまった。

 それを聞いたとたん、ヒルデはさっと青ざめて、その瞳は暗い光が宿り、ゆらゆらと揺れる。

 「ヒルデさん?」

 普通ではない様子を不安に思って尋ねると、ヒルデはすぐに目が覚めたように肩を大きく震わせてこちらを見た。その瞳には変わらず暗い光を宿しながら。

 「あ、何でもないの・・・ちょっと疲れているみたいだわ」

 明らかに嘘をついていると思うが、本当に顔色が悪いのでそうも言えず、少し寝ると言うヒルデにお大事にと言うしかなかった。

 おそらく、皆にはああ言ったがヒルデも辛いのだろう。本当ならセシリアに優しくなど出来る状況ではないはずだ。

 自分がここにいてはヒルデの心は休まらないだろうと思い、部屋を後にしようとした時、遠くから自分を呼ぶグレインの声が聞こえて、セシリアは焦った。

 ――ヒルデさんがこんな状態なのに・・・!!

 そうしているのは自分のせいでもある事が分かっているから、ますます辛い。

 その後、慌てて出て行ったセシリアの背中をヒルデは無言で見詰めていた。









 セシリアを呼んだグレインは酒に酔っており、散々話や食事に付き合わされたせいで部屋に戻るのは皆が寝静まった深夜であった。

 ヒルデも既に休んでいるだろうと思い、起さないようにそっと部屋に入ったが、ベッドに彼女の姿はなかった。

 「あれ?」

 こんな時間に一体どこへ行ったのだろう。
 顔色の悪かった彼女を思い出すと、いてもたってもいられなくなり、そのまま部屋で休む事無くヒルデを探すために再び廊下へ出た。

 慣れない上に暗い船内は迷路のように入り組んでいるように感じる。
 そのまま当てもなく歩いていると、波の打つ音が聞こえてきた。どうやら船外近くまで来てしまったようだ。

 少量ではあるが、グレインに呑まされた酒で少し体が火照っていたので、ちょうどいいと思い、船外に向かって足を進めると、波の音の他にも人のすすり泣きのような物も聞こえて来て、セシリアはその足を止めた。

 ――もしかしてヒルデさん?

 妙な確信をもって見てみると、暗い中にぼんやりと浮かぶ儚げな女の姿があった。
 声を殺して泣く姿は今にも消えてしまいそうで、咄嗟に声をかけてしまった。

 「ヒルデさん!?」
 「!!セシリアさん・・」
 「こんな所でどうしたんですか。体に良くないですよ?」

 努めて明るく振舞ったが、彼女の前では無意味だった。
 再び目を伏せて視線を海に戻すと、ポツリと言った。

 「・・・このまま海に溶けてしまえたらどんなにいいかしらね」

   ぎょっとした。これは死にたいと言っているようなものだからだ。

 と、ふいにヒルデがクスクスと笑い始めた。それに狂気染みたものを感じてセシリアは本能的に後ずさる。

 「私達、もういらないんですって。・・・いつかこうなる日が来るのではないかと思っていたけれど、案外早かったわ・・・あなたが現われたからね」

 笑いを飲み込んでセシリアを見詰めるヒルデの目にはもう何の感情も窺えない。

 「あなたさえ、あなたさえ現われなければ私はまだグレイン様の傍にいられた筈だったのに・・・あなたさえいなければ・・」

 何を言っているのかは分からないが、ヒルデが普通では無い事だけは分かった。
 ふらふらと覚束ない足取りで近付いてくる彼女に底知れぬ恐怖と自分の身の危険を感じた。

 後一歩で手が届く所までヒルデが来た瞬間、セシリアは反射的に身を翻して船内に逃げようとした。
 だが、一瞬ヒルデの方が早く、セシリアの腕を凄い力で掴むと船の縁にその体を押し付けた。

 「ヒルデさん・・・どうしてこんな・・」
 「あなたさえいなければ・・・あなたさえ消えてしまえば・・」
 「う・・」

 肩を押さえつけていた手は首に達して、セシリアの呼吸を止める。
 掠れる視界に見えたヒルデは大粒の涙を流しており、彼女もこんな事をしてしまうほど辛いのだと思った。

 息の出来ない苦しさと罪悪感で、諦めたように力を抜いたセシリアを見てヒルデはようやく正気を取り戻した。

 セシリアの首を絞めていた手を咄嗟に外してその場に崩れ落ちたが、セシリアの上半身は船の外に出ており、ヒルデの腕によって支えられていたようなものだったので、彼女が腕を放すと自然、その体は傾いた。

 船の外へ。

 「セシリアさん!!」

 腕を伸ばしたが、今度はセシリアが落ちる方が早かった。


 そのまま意識の無いセシリアの体は暗い海に飲み込まれていった。  











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