10
抱き締められた次の瞬間には背後にあったダブルベッドに押し倒されて、セシリアは呆然と圧し掛かっているグレインの顔を見た。
抵抗のないのをいい事にグレインは真下に居る少女の首筋に顔を埋めて羽織っていたローブを剥ぎ取ろうとした。
そこで初めて自分の状況のおかしさに気付いてセシリアは声を上げた。
「やだ!何するんですか!!」
渾身の力を振り絞って暴れてもびくともしない。ルキアの時といい、男の力を嫌と言うほど思い知らされてセシリアは恐怖した。
グレインは口を開く事なく黙々と服を脱がす作業を続ける。
彼女の白い素肌が外気に晒された瞬間、セシリアの口から悲鳴となって出て来たのは、グレインにとっては思いがけないものであった。
「いやぁ!!助けてぇ!誰か・・・!!ルキア!レン君!!・・・ッレイル!!」
「・・・レイル?」
それまで彼女の一切の言葉を無視していたグレインであったが、突然動きを止めると訝しげに眉を寄せながら体を起した。
セシリアはようやく開放されて慌ててグレインの下から逃げ出し、ベッドの端に避難した。
グレインは相変わらず困惑の表情を顔に貼り付けて、ゆっくりと口を開いた。
「レイルって、まさか海軍の美人な坊やの事?」
「えっ?」
無意識に出た名前であったのに、まさか反応が返ってくるとは。しかもグレインはレイルを知っているようだ。
セシリアは少し怯えながらもグレインがもう自分をどうかする気はないだろうと少し体の緊張を解いて乱れた服を直しながら言った。
「レイルの事、知ってるんですか?」
「知ってるも何も・・・」
言って、苦笑しながら着ていた薄い布を脱ぎ出したので、セシリアは慌てて顔を背けた。
だが、服の下から出てきた腕には包帯が巻かれており、薄く血が滲んでいた。
「それ・・・」
「レイルにやられたんだよ」
「レイルが・・・?」
彼は海軍である。海軍は海賊を殲滅するのが任務だ。だが、まさか本当にレイルが海賊、ひいては人を切るなど彼女は信じられなかった。
――虫も殺せなかったのに・・・。
昔の自分とは違うと言うレイルの言葉が蘇り、セシリアは唇を噛み締めた。
自分がこうしてここにいるのは昔のレイルに戻って欲しいからだ。だが、目の前に今のレイルを突き付けられると自分のしている事は意味の無い事なのでは、と思えて悲しい上に悔しかった。
しかし感傷に浸っている時間などない。グレインが抑揚の無い声でこう言ったのだ。
「・・・どうして海賊であるルキアの船に乗っているお嬢さんが海軍の坊ちゃんと知り合いなの?」
「あ、あの・・それは・・」
グレインの目を見て簡単な言い訳ではとても無理だと直感する。かと言って素直に話すわけにもいかない。
「レイルは私の婚約者だったんです・・・でも政略結婚で、私はそれが嫌で偶然乗り込んできたルキアに訳を話して連れ出してもらったんです」
本当の理由は別のところにあったのだが、ルキアをも納得させたこれならグレインにも通用するだろうと思った。
だが、この青年はさすがに女性の扱いに慣れており、すぐに彼女の嘘に気が付いた。
「お嬢さん?俺は本当の事が聞きたいんだけど」
「嘘なんかじゃ・・」
「じゃぁ何でさっきレイルの名を呼んだんだよ。逃げ出すほど嫌いなら男なら普通は名前も出したくないだろ」
「・・・・・・」
図星を指され、言い返す言葉も無かった。
グレインは笑ってはいるが、その笑顔は言外に真実を言えと語っている。
「・・・ある海賊を探しているの」
しばらくして独り言に近いくらい小さな声で言った少女の言葉には先程には無い真実味が見られた。
「海賊?」
「どんな海賊かは詳しくは分からないけれど、私はどうしてもその海賊を見付けたいの」
見付けてどうする、と聞かれれば分からないと答えるしかないほど途方もない望みであったが、それは今のセシリアの全てであった。
真摯な彼女の思いが通じたのか、グレインは詳しく追求しようとはせず、小さく笑っただけであった。
「それは本当に途方もない話だな〜。この世には海賊なんて星の数ほどいる。そこから一人を見付けようなんて」
「そんな事は始めから分かってます」
「その気の強い所にルキアが惚れたのかね」
「だから違うって・・」
「あ〜はいはい。この会話にはもう飽きたよ。何か急に疲れてきたし、腕も痛むし、もう寝ようか」
「・・・寝る?」
再び警戒心を強めたが、グレインは物ともせずに大きく欠伸をするとその場に寝転がった。
何もする気が無いのなら、自分は部屋に戻ってもいいのではないかと思い、ベッドを降りようとしたが、
「だ〜め」
グレインに腕を掴まれ、そのままベッドに引き戻された。
「何もしないから、取り敢えずここで寝てくれない?俺が途中で女を返すなんて事したら嵐が来ちゃうからさ」
最後の方はほとんど聞き取れなかった。代わりに聞こえてきたのは安らかな寝息だ。
「寝ちゃった・・・」
呆気に取られつつ掴まれた腕を取ろうとしたが、寝ているにも関わらずそこだけ力が加えられており、どうやっても取れそうになかった。
途方に暮れてグレインの寝顔を見たが、その顔は数多の女を惑わせる男とは思えないほど幼く邪気のないものであった。
いつも貼り付けている笑顔と言う仮面も取り外された今、初めてグレインと言う青年を海賊と言うレッテル無しで見れたような気がした。
気持ち良さそうな寝顔を眺めているうちにセシリアも睡魔に襲われて、出来るだけグレインと距離を取ってからベッドに身を任せた。
しばらくしてセシリアが本格的な眠りに入った頃、グレインはそっと瞼を開けた。
ゆっくりと体を起して、月明かりの中に浮かび上がる少女の顔を眺める。
そして彼女の腕を掴んでいた手を離して、そっと顔に掛かる髪を払うと現われたおでこにそっと口付けを落とした。
「・・・おやすみ」
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