8
ゆっくりと島を離れる海賊船をユーシスは厳しい眼差しで見詰めていた。
有利であったはずなのに、なぜ突然撤退をするのかが理解出来なかった。
釈然としない気持ちを引きつりながらも、島で憮然としているだろう少年を思い出して、表情を緩めた。
――どんな顔をするのか、見物だな。
めったに表情を崩さない彼だからこそ、その顔がどんな風に彩られているのか楽しみだ。
しかし、ユーシスの予想は外れて、レイルは港にはいなかった。
ユーシスは今度こそ顔を引き締めた。
幾らなんでも遅すぎる。まさか海賊船に気付いていないわけではないだろう。彼に何かあったとしか考えられない。
あの少年に限って滅多な事はないだろうが、万が一と言う事もある。
近くにいた部下に声を掛けようとした時、ふと遠くで何かが動いたような気がした。
目を凝らしてみると、それが人影である事が分かる。ひどくゆっくりとした動作でこちらにやってくるそれに、胸騒ぎがした。
――まさか・・・?
待ちきれずにその場から駆け出す。
段々とその人影がはっきりと見えてきて、一人が一人を担いでいるような格好を取っているのが分かった。
――まさか・・・!?
担がれた方は意識がないのかぐったりともう一方の男に身を預けている。肩口から見えた髪がキラリと太陽に反射する。金髪だ。
――まさか・・・!!
走る速度が自然と上がり、はっきりと顔が見える位置まで来た。
ああ、やはり。
「レイル!!」
顔を覗き込むが、海を思わすブルーグレーの目は閉じられており、長い睫で影を落としていた。しかも雪の肌には所々赤い血のようなものが付いている。
「一体何があったんだい!?」
レイルから彼を背負っていた人物に視線を移してユーシスは意外なその人物に驚いて言葉を失った。
「君は・・・」
「エリオットです」
そうだ。彼がレイルに勝負して敗れた海軍学校首席の青年。あれ以来レイルに突っかかるような事はしなかったが、レイルを真に認めているわけでもなさそうだった。その彼がなぜレイルを抱えているのだ。
戸惑いが顔に出ていたのだろう。エリオットは困ったように笑んでから、詳しくは船内でお話しますと再び歩みを始めた。
艦長室のベッドにゆっくりと横たえて、怪我などしていないか確認しようとしたその時、
「レイル様にお怪我はございません。頬の血は返り血です」
エリオットが静かに言い放った。
「返り血・・・?」
誰の、と暗に問いかけるが明確な答えは返ってこなかった。エリオットはただ力なく首を横に振る。
「わかりません。若い男でしたが、一般人には見えませんでした」
「・・・何があったんだい?」
先程の問いを繰り返す。
「・・・それが、私にも良く分からないんです。私がレイル様を見付けた時にはもう既に男と切り合っていて・・・」
「そう・・・」
傍らに眠る少年の顔を見て溜息を一つ。どうやら彼が目を覚まさなければ話は始まらないようだ。
いつもよりもさらに辛そうに眠る少年の頬に付いた血を拭ってやると、少しだけだが表情が和らいだ。
ホッとしてこちらも表情が和らいだ時、エリオットが自分を呼ぶ声がした。
その声があまりにも重々しく感じた通りに、言葉を発した本人もひどく困惑しているようで普段は生き生きとしているブルーブラックの瞳が今は漆黒に淀んでいる。
「どうしたんだい?」
「あの・・・レイル様は大丈夫でしょうか?」
大丈夫。抽象的すぎる言葉に首を傾けると、エリオットは続けて言った。
「男と切り合っていたレイル様は何だか別人のようだったんです。私とやった時は冷静さと余裕が見えたのですが、あの時のレイル様は何かに取り付かれたように剣を振るって・・・」
レイルが何時にも増して辛そうに眠っていたわけが分かった。
彼は今頃囚われているだろう。過去の幻影に。悲しみに。そして、自分の罪に。
少年の肩に手を置いて揺り動かして覚醒を促す。
自分に出来る事は少年の悪夢を一刻も早く終わらせてやる事だった。
そんな事しか出来ない自分の不甲斐なさに初めて嫌悪を覚えた。
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