レンは東方に位置する内陸国、リオール王国の貧しい夫婦の元に産まれた。リオール王国は貴族主義国家として有名でレン達のような平民には決して住み良い国とは言えなかったが、レンは貧しいながらも優しい父と母の元幸せであった。
 しかしレンが9歳の時、元々水が不足しがちなリオール王国で何ヶ月も雨が降らない日々が続いた。作物は枯れ果て、わずかな川や泉は干上がった。


 大飢饉が起きたのだ。


 食料のほとんどは貴族達に奪われ、平民に食物が回ってくるはずがない。またリオール王国は他国と国交が無かったので、食料を輸入する事もなかった。
 幸いレンの家では農業を営んでおり、わずかに採れた作物やこんな時のために蓄えておいた水もあったので命の心配はしなくてもいいと思われた。
 



 ルキアはそこで言葉を切った。呆然としながらも必死にルキアの話を聞いていたセシリアは突然の沈黙に不思議に思いながらも続きを促すように隣を見る。
 少年はその紅い目を細め、何か迷っているように眉を寄せていた。続きを話すべきかどうか考えているのだろうか。一瞬目が合ったが、そこからは何も読み取れなかった。



 この話を聞いてショックを受けるかもしれない。いや、受けるだろう。しかしそれを恐れていてはいつまでたっても海賊達にルキアに、そしてレンに認めてもらえるようにはなれない気がするのだ。

 「私なら大丈夫だから話して?聞きたいの」
 そう言ってセシリアは腕の中のレンを後ろのベッドにそっと横たえた。

 ルキアは思ってもみなかった言葉に驚いたが、すぐに思い直した。この女のこんなところが気に入ったのだった。

 ――余計な気遣いは無用のようだったな。

 柄にも無い事を考えていた自分に驚きを覚えながら後ろで寝息をたてているレンを肩越しに見る。この船に来てから見せた事も無い穏やかな顔をしている。
 レンと自分が怖いくらいにダブって見える事もあり、この話をするのは辛い。それゆえ今まで誰にも話した事はなかったのだが。


 レンから視線を外して横にいるセシリアに移す。

 「お前、人に裏切られた事あるか?」
 「え?」
 「レンの父親はそのせいで死んだんだ」









   レン達家族は、困っている近所の人々を放っておけずにわずかな食料を分け与えていた。そのせいで自分達も空腹でいる事が多くなったが気にはならなかった。


 だが、その優しい心が身を滅ぼす事となる。


 それまで食料を分け与えて貰っていた一部がもっと寄こせと言ってきたのだ。レンの父親はこれ以上は自分達の食料が無くなる、と断ったが連中は力ずくで奪おうとした。そして父親と取っ組み合いになり、その時に激情した奴らに殺された。

 それからはレンにとって不幸の連続であっただろう。父親が殺されたレンと母親は畑を奪われ家を追われた。他に行く所が無い二人は外で寝るようになり、少しでも食料を得るために母親はその身を売った。
 貴族や金持ちの商人達は平民が多く飢えているにも関わらず、食事を切り詰めることもせずに豪遊していたのだ。そんな奴らに生きるためとはいえその身を売るのはどれほどの屈辱であったろう。


 しかしそんな生活も長くは続かなかった。元々体があまり丈夫ではなかった母親は栄養失調だった事もあり、臥せるようになってしまったのだ。そしてレンは幼いながらも母親のために何とか食料を手に入れようと貴族達の屋敷に忍び込んでは盗みを働いていたが、そのたびに自分達とはかけ離れた暮らしぶりを目にし、悔しさが募っていった。

 元々身軽で体が小さかったため盗みは成功していたが、そんな息子の姿に母親は心を痛め、捕まった時の事を考えて恐れた。一方のレンはどんなに母に反対されても生きるにはこれしか方法がないと盗みをし続けた。

 しかし盗みにも大分慣れた頃、事件は起こった。屋敷を警護していた兵士に捕らわれたのだ。

 その時の虫けらを見るような兵士達の目つきと嘲笑うような笑み、そしてどうやって殺そうかとおもしろそうに話す彼らを、おそらくレンは一生忘れないであろう。

 隙をついて何とか逃げたが、顔を見られていたので盗みの常習犯として街にも人相絵が張られ、レンは身動きが取れなくなってしまった。
 何かしなくては餓死する事は目に見えていた。しかし、もうどうする事も出来ない。体は空腹を訴え、心は絶望に支配されていた。


 日に日に弱っていく体と痩せ細った母親を見てレンはこのまま死んでもいい、これでは生きていても死んでいるのと同じ事だと思うようになっていった。

 しかし、母はそうは思っていなかったのだ。自分は死んでも構わない、だが息子のレンだけは死なせたくない、生かしたいと考えていた。



 そしてある時突然、か細い声で言ったのだ。父親が亡くなってから見せた事のない笑顔を浮かべて。

 「私を食べなさい。そうすればあなたは生きられる」

 もちろんレンはそんなつもりはなかった。だが、その言葉によって目の前の母が食料となりうる事、まだ自分は心のどこかで死にたくないと思っていた事に気付いた。
 これにレンはひどく戸惑い嫌悪したが、母は諭すように頷いて近くにあったガラス片を手に取り首を掻ききった。最後の力を振り絞ったであろうそれは深く、血飛沫が踊るように散った。




それはさながら雨のようであった。












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