10
異様な空気がセシリアとルキア、そして夢の中にいるレンを包む。
口を噤んだルキアはもうこれ以上話す気はないようだ。セシリアにとってもそれはありがたかった。
ルキアは癖毛の黒髪をかき上げながら長く深く息を吐き出した。その表情は苦しげで何かに耐えているようにも見える。
「辛いの?」
気分が悪いのかと掛けた言葉は思いがけない笑顔で返された。これまで見てきた“にやり”と言うものではなく、正に“にこり”と呼ぶに相応しいそれに瞠目する。
「あんたってほんとに変な女だよな」
しみじみと言われてますます意味が分からないが、ルキアはなぜか満足気にセシリアを眺めている。
だが、彼女の背後から一瞬光が見えて笑みを潜める。
手に取った物は何かの欠片のように見える。鋭く光るそれに見覚えがあった。果たして何であっただろう。
記憶を探っているところに背後から声が掛かり、彼はそれが何であるかを悟った。そしてレンがなぜ発作を起こしたのかも。
――これはレンの母親の形見じゃないか。
前に聞いた事があった。父が母との結婚の折りに無理をして買ってプレゼントした物で、母の唯一のお洒落道具であったと。
今となっては形見であるブローチを大切にする事で償いがしたかったのではないかとルキアは考えていた。そのブローチが割れてしまった事によってレンの心の均衡が崩れてしまったのだ。
この船に来た当初から食事を摂っても吐いてしまう事が多く、たびたび呼吸を乱していたが、唯一の拠り所を無くしたこれからは一体どうなるのだろうか。少年が心を寄せるルキアでさえも抑える事が出来なかったのだ。
――だが・・・
振り返って座り込む少女を見る。
――こいつにはそれが出来た。
世間知らずのお嬢様の何がレンの心を動かしたのかは分からないが。
当のセシリアはルキアの視線よりもその手の中にある物に意識が行っていた。
「あの・・・それ、割っちゃって・・」
恐る恐る言う彼女に形見である事を告げると、止まりかけていた涙がまた溢れ出て来てルキアは柄にも無く焦った。
「どうしよう私とんでもない事しちゃった・・・!」
手で顔を覆い落ち込む少女とは裏腹にルキアは逆にこれでよかったのではないかと思っていた。レンは母親に囚われすぎている。その元凶である物が無くなるのは少年が新たな一歩を踏み出すのにちょうどいいように思われた。
不思議と今のレンにはそれが出来るような気がするのだ。レンは認めないだろうがセシリアと言う存在はその一歩に必要不可欠なはずだ。
しかし、それを直接セシリアに言うつもりはなかった。それでは意味がないと思うからだ。
「じゃぁオレ戻るから。レン頼むな」
「ちょっと待って!!」
慌てたように引き止められてルキアは仕方なく立ち止まる。どうしたらいいかと相談を持ちかけられると思っていたが、彼女は思わぬ事を口にした。
「何か接着出来る物ないかな」
「は?」
思わず聞き返したが、すぐに彼女が何をしようとしているのか分かった。そして湧き上がってくる驚き。
「あんたまさかブローチくっつけるとか言うんじゃ・・・」
「それくらいしか私には出来ないから」
先程とは別人と思うくらい真摯な眼差しと決意の篭った口調に、ルキアは無理だと言う言葉を飲み込んだ。そんな事は言われなくても散らばった細かいガラス片を見れば分かる事だ。それでもやると言うのだったら止めたところで無駄だろう。
「じゃぁ後で持ってこさせる」
「ありがとう」
ホッとしたように笑って立ち上がろうとしたが、足に激痛が走ってすぐにまた座り込んでしまった。足を捻っていた事をすっかり忘れていた。
痛みに呻くセシリアを呆れつつも、ルキアは冷やすものもいるなと軽く笑って部屋を後にした。
静かに閉まる扉の音。
夜は更けていく中、セシリアの長い夜が始まろうとしていた。
BACK NOVELS TOP NEXT
|