11
「イタッ」
これで何度目だろうか。ガラスで指を切るのは。
流れ出る血を見ていると、話に聞いたレンの過去が思い起こされる。年の割りに体が小さい事、手足が折れそうなくらい細い事、貴族である自分をあそこまで嫌悪する事。
色々な事が分かったが、同時に自分が全くの無知である事を知った。飢饉なんて知識としては知っていたものの実際まだあるなんて知らなかった。そして貴族の傍若無人ぶりも。
昔はよくレイルと出掛けていたが、いつも護衛が付いていたし栄えた城下町には行っても貧しいと言われる地域には行った事がなかった。少し本を読んでそれで全てを知った気になっていた事を恥ずかしく思う。
そっと息を吐いて手の中のガラス片を見る。それはまだブローチと呼ぶには程遠い。細かく砕けたのか、所々欠片が見付からずに隙間が開いてしまっている。
元の形に戻すことは不可能だ、しかもそれを一晩でやるなんて土台無理な話なのだ。そんな事は始めから分かっていた。だが、それでも何かしなくてはあまりにレンに申し訳ない。
自分の中にある罪悪感を無くしたいだけなのかもしれない。しかしレンの大切な母の形見を何とか元に戻したいこの気持ちは本物のはずだ。
セシリアが物思いに耽っていると、突然ベッドからくぐもったような声が僅かに聞こえてきた。
レンが起きたのかとそちらを見ると、
「ん・・・」
寝返りをうった拍子にかぶっていた毛布がずれる。
船内と言っても夜は冷える。このままでは風邪をひいてしまうと毛布を直そうと手を掛けた瞬間、僅かに動いたレンの手がセシリアの髪を掴んだ。
痛くはなかったが、このままでは作業が出来なくなるのでセシリアはレンを起こさないようにそっと外そうとしたが、力いっぱい握っているようでなかなか外れない。
3、4回試みたが失敗に終わったので無理に外すのは諦める事にした。自分の髪を握ったレンはとても幸せそうに笑みを浮かべていたのだ。
年相応の愛らしい寝顔にこちらまでつられて笑みが零れるが、すぐに表情を曇らせる。
もうすぐ夜が明ける。今はこんなに穏やかな表情をしているが、起きてブローチを見たらどうなるだろう。また発作を起こすかもしれない、二度と口をきいて貰えないかもしれない。どちらにせよ目の前で眠る少年の笑顔は二度と見る事は出来ないだろう。
他の海賊にしても同じ事が言えた。仲間だと認められるには皆の役に立つ事をしなくてはならないのは分かっているが、自分に出来る事は少ない。海賊や海軍に関する知識はそこらへんの女の子より持っている自信はあるが、それが本当の海賊相手に通用するとは思えない。
――完璧な役立たずね・・・。
いや、役立たず以下だろう。多くの海賊がハンモックで寝ている中、セシリアは女と言うだけでこうして部屋を与えてもらっている。反発する海賊は多いはずだ。いくらルキアが言ったところでそれは変わらないだろう、セシリア自身が動かなければ。
どんどん気持ちが落ち込んでいく中、レンに握られた髪が灯りに照らされてキラリと光った。
セシリアのそれは世界でも珍しいと言われる銀だ。彼女の国では女性は一般的に髪を伸ばすものだが、古きを重んじる貴族にそれがよく言えた。女性の美しさの一つが髪だと言われて、貴婦人達はこぞって髪を伸ばして毎日手入れをしていた。
セシリアは腰まで届く長髪に始めは煩わしさを覚えていたが、今では誇らしく思っている。
――レイルもよく褒めてくれたっけ・・・。
あまりにも褒めるから、からかいのつもりで髪を切ると言った時があった。するとレイルは顔を青ざめて必死で反対した。こんな綺麗なのにどうして、と。
その時からセシリアは自分の髪を大切にしようと心に決めた。そしてそれは今も変わってはいない。レイルに避けられても会えなくても、レイルが大切にしてくれたこの髪さえ伸ばしていればまた昔のように笑いあえると思っていた。彼女は髪に願掛けをしていたのだ。
しかし、今なら分かる。待っているだけでは、願っているだけでは駄目なのだと。だから自分はこうしてここにいるのだ。例えそれがレイルを裏切る形になっても。
セシリアは少し大きめのガラス片を手に取る。
これは儀式だ。迷いを捨てるための。
ガラス片をレンの握っている髪にあてる。
ここからがセシリアの海賊としての第一歩だ。
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