レンは部屋から出ると、夜風に当たるために船内から出ようと壁に手を付きながら重い足を引きずるようにして歩き出した。

 吐き気が酷い。
 その理由は分かっている。あの女のせいだ。


 あいつがいたせいで加減を忘れた。あんなに食べるつもりではなかったのに。

 吐けば楽になる事は知っている。いつもなら何の躊躇もせずに胃の中の物を追い出すのだが。

 「くそっ・・・」


 "勿体無い"


 あいつの言葉が蘇り、気分の悪さに拍車をかける。

 いっそ吐いてしまおうか。

 だが、なぜかそれをしてはいけない気がした。





 浅い息を繰り返しながら、やっとの思いで外へ出る。

 月の無い夜。波の音と潮の香りに五感が支配される。
 吹き付ける風が心地いい。

 適当な所に腰を下ろして大きく深呼吸をすると吐き気が少しおさまる。

 こんな夜はいつも眠りもせずに波の音を聞きながら朝を迎えるのだ。
 特にセシリアがいるあの部屋には戻る気にはなれない。


 レンはここで一晩明かす事を決めて瞼を閉じた。











 レンが部屋に戻らない事を決めたちょうどその頃、セシリアは扉から視線を断ち切った。

 温かかった料理は冷めはじめている。

 食事を続ける気にはどうしてもなれず、セシリアは席を立つと用意された粗末なベッドに腰をかける。
 ギシッとベッドのあげた悲鳴が部屋中に響き、妙に孤独な気分にさせられた。

 しかし、今はその孤独にどこかホッとしている。あのままレンと二人でいたら、息苦しさでどうにかなりそうだった。
 こんな事では駄目だと分かってはいるが、今まで子供相手、まして海賊の子供など会った事も話した事もないので、どうしたらいいのかまるで見当がつかない。

 そのまま仰向けになろうと体重を後ろにかけたところで、あるものに気付く。

 木製の机が一瞬光ったように見えた。
 何だろうと思い、近付いて見ると光源が机ではなく机の上に置いてあったものだと知る。

 少年の部屋には相応しくない、女物のブローチ。
 硝子で出来ており、シンプルだが美しい。

 ―――どうしてこんなものがレン君の部屋に?

 首を傾げながらそっと手に取って見ると、輝きが増した気がする。
 今までもっと豪華で華やかな装飾品を見てきたが、ここまで心が動く事は無かった。

 柔らかに光るそれに、魅入られたようにしばし時を忘れていると、今まで遠くからしか聞こえていなかった海賊たちの笑い声が突然近くに感じられた。どうやら食事が終わったらしい。


 セシリアは驚いて、うっかり手を滑らせてしまった。

 「あっ!」

 手から離れていく硝子のブローチ。
 地面への衝突を食い止めようと手を伸ばしたが、間に合わなかった。


 そして







 割れた。











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