9
真紅の軍服から、同色の鮮やかな紅が零れ落ちる。ゆっくりと木製の甲板に染み渡るのをレイルは呆然と見詰めた。
痛い。痛い。痛い。左肩に熱せられた鉄を押し付けられたような錯覚に陥る。
流れ出る血液と共に、彼の意識も徐々に薄れ、気付いた時には目の前に青空が広がっていた。
「・・あ・・俺は・・」
倒れたのか、と続くはずの言葉はしかし渇いた咳に飲み込まれる――喉が酷く痛い。
絶叫により潰れた喉のすぐ横に剣が突き刺さる。頭を少し動かしただけで、首にチクリと痛みが走った。
「終りだ、坊主」
このまま放っておいても出血多量で死ぬだろう。
「今度こそ殺してやると言ったはずだ」
しかし、レイルを見過ごす選択肢など残酷な海賊にありはしない。
突き刺した剣を抜くと、正確に彼の心臓の真上へと剣先をずらす。
柄を握り直すと荒い息を繰り返す美貌の少年を無感動に見下ろす。
「じゃあな。あの世で美人のママに会えるだろうよ」
海賊の言葉が果たしてレイルに聞こえたのか、彼は口中で何か呟くと諦めたように瞼を閉じた。
訪れるであろう痛みと安寧を待つ僅かな間、彼はそれを聞いた。混濁した意識の中で聞こえた、空耳かもしれない。だが、例え空耳だとしても最期に彼女の声を聞けた事に少年は幸福だった。
そのまま意識を手放し、永遠の眠りの中に身を沈めようとしたその時、
「・・・今すぐ剣を離しなさい」
今度こそ空耳ではないはっきりとした声が鼓膜を打った。
突き動かされるように見開いた目は思い焦がれた銀髪が揺れるのをとらえた。
「セ、シリア・・・!?」
今頃安全な場所に避難しているはずであった彼女が海賊に剣を向けて、立っていた。
どうして、と思うより前に彼は止めろ、と叫んでいた。
少女が対峙している相手はおそらくこの場にいる誰も敵わないであろう海賊、ジェイだ。ろくに剣術も習っていない彼女など一瞬で殺されてしまう。
しかし、レイルの狼狽振りに男は何を感じたのか、冷酷に笑むと意外にも素直に剣を捨てた。
セシリアもまさか本当にするとは思わなかったのだろう。ガシャン、と言う音に肩を震わせる。
だが、すぐに気を取り直したように震える手で剣を握りなおした。
「・・・レイルから離れて」
「はっ、言うねぇ。嬢ちゃんが俺に敵うと本気で思ってんのか?そんな震える手で」
「レイルを傷つけるなら、私があなたを――」
「殺す――ってか?」
鋭く言って大きく一歩踏み出した海族と少女の距離が一気に縮まる。
思わず後ずさりしそうになるのを必死に堪えて構えなおす剣の刃を何と海賊は素手で握った。
「嬢ちゃんに俺は殺せない」
「は、放して・・!!」
焦って手中から剣を引き抜こうとしてもビクともしない。セシリアは両手、ジェイは片手であるにも関わらずだ。
「俺は嬢ちゃんを殺す事なんて簡単に出来る」
殺す、と言う言葉に顔色を変えるセシリアにジェイは満足そうに目を細めると、剣から手を放した。
「だが、今逃げるなら生かしてやってもいい」
オレは優しいからな、などと今まで多くの人を皆殺しにしてきた海賊の口から出ても白々しく聞こえるだけだ。
しかし、男はこのまま少女が逃げ出す事を疑わなかった。例え嘘だと分かっていても弱者には逃げ出す事しか出来ないのだから。
だが、ジェイの予想に反して、少女は何の躊躇も見せず、震えながらもきっぱりと言い放った。
「レイルを置いて、そんな事出来るわけない」
ピクッと海賊の眉が動く。期待通りの答えではなかった事に軽い憤りを覚える。
「この坊主に嬢ちゃんが命をかける価値があるわけか?」
7年前のあの時は母親が、今は少女がレイルを助けようと死を賭している――気に食わない。
脆弱で他人に守られているだけの少年。彼を見ていると全てを奪ってやりたくなる。
無言で傍に転がる剣を手に取るとそれを再びレイルに向ける。
セシリアは動かないで、と何度も叫んだが男の言う通り、人を殺す事は勿論、傷つける事すら彼女には出来なかった。それを良く分かっていたから剣を手放したのだ。
「・・・7年前と同じ、俺はお前を見ると殺したくなる」
今度こそ躊躇なく剣を振るう。鈍く光るそれに少年の記憶が一気に巻き戻されて、7年前のあの日でピタリと止まる。
――止めろ。
「駄目!!」
割って入るセシリアと母親の姿が被って見えた。恐ろしいくらいに全てが同じ。
全身に雷が落ちたような衝撃が走り抜ける。
――止めてくれ・・!!
それはまるで、7年前の悪夢の再現であった。
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