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 大きく見開いたセシリアの翡翠の瞳を見ているうちにレイルはおや、と思った。

 目に映る光景に霞がかかってきて、耳鳴りが酷い。足元も覚束なくなってきて、あれほど痛みを感じていたはずの肩なのに、今は痛みどころか感覚がない。

 ――何かセシリアが話している。

 それは分かるのに声が聞こえて来ない。聞きたいのに、君の温かな声が。

 けれどもレイルは鉛のように重くなる瞼と強烈な睡魔に勝てず、ゆっくりと目を閉じた。

 悲鳴を遠くに聞きながら、完全に意識を失う刹那、少年はそれを聞いた。


 ”生きて”

 誰だ?

 ”生きて、レイル”

 母上?あぁ、そうか。これは7年前のあの時の記憶。この言葉を最期に母上は――

 ”そして、どうか幸せに”

 え?

 ”幸せに・・・レイル”

 その時初めてレイルの忌まわしい7年前の記憶は完全に蘇った。事切れる間際、強く息子を抱き締めて言った母の最期の言葉はひたすらに息子の幸せを願うものだったのだ。

 どうして忘れてしまっていたのだろう。母は復讐なんて望んでいなかった。レイルの幸せだけを願っていたのに。


 それなのに、俺はそんな事も分からずに、自分の弱さを認めたくなくて復讐ばかりに囚われていた。純白の軍服が血に濡れ、真紅になるほど数多の海賊をこの手で殺めてきた。

 命を奪うたび、返り血を浴びるたび、自分が自分でなくなるのが分かった。感情が凍りついていき、希望など全く見えなかった。ただ、海軍のトップとなりこの世から海賊を一掃する事のために、母上の復讐をするためだけに生きようと徹した。


 そんな現実が辛くて苦しくて、しかしそうする事しか出来ない自分が疎ましくて絶望して、いつしか俺は死を願うようになっていた。
 復讐を果たして、それで死ねるなら本望だった・・・・本望だったんだよ。


 でも、幸か不幸か、君は俺に生きる意味を、目的を与えてくれた。君といれば今まで暗闇だった未来を見る事が出来た。

 復讐よりも君との未来を考えられた。

 だが、海賊とは言え多くの命を奪ってきた俺はこの先もきっと苦しみ、罪を背負って生きていくだろう。

 それでも、君となら生きていけると。今なら自信を持って言える。

 ずっと君に恋していたのは、俺の方。









 少年が目を開けた時、飛び込んで来たのは見慣れた天井だった。

 ゆっくりと瞬きをしながら視線だけを左右に動かし人影を探すが、どうやら他には誰もいないようだ。
 声を出そうとしても上手く言葉を発する事が出来ず、起き上がろうとしてもかなわず、思わず息を吐いて眉を寄せた時だった。

 「お、起きたか」

 ガチャリと乱暴にドアを開けて入って来た人物にレイルはますます眉間に出来た皺を深くした。
 どうして貴様が、と目線だけで訴えるとルキアは苦笑いをしながらドアを閉める。

 「そんな顔すんなって。あんた、一体自分が何日眠ってたと思ってたんだ?」
 「・・・?」
 「3日だぞ、3日!おかげでセシリアは寝不足で倒れちまうし、散々だぜ。ったく」
 「っ!?ぐっ・・・!」

 反射的に飛び起きようとするが、全身に激痛が走り、喉から僅かにうめき声が漏れたのみであった。

 「おとなしくしてな。セシリアなら大丈夫、寝てりゃ治る事だ」

 呆れたように笑うと椅子にどかりと座り、ベッドの上のレイルを見やる。その顔にはもう笑顔はなく、静かに口を開いた。

 「・・・海賊達についてはこっちで捕虜にしてある。処罰もオレの国の法に則ってやるつもりだ・・・異論はないな?」

 気を失う前の記憶を辿りながらレイルが小さく頷いたのを確認すると、ルキアは言葉を続ける。

 「あんたらはこれから母国に帰るんだろ?帰ったら、メリクリウス王にこれ渡してくれ」

 そうして無造作に取り出したのは親書である。椅子から立ち上がると、呆然と少年の横たわるベッドへと歩み進んだ。

 「オレも一国の王になるわけだし、外交ってやつもしないといけねぇんだよ」

 ルキアはそう言ったが、レイルには分かっていた。この親書はレイル達海軍の面目を保つためのものだと。
 表向きは海賊の一掃で出国したのだ。セシリアを連れ帰ったとしても何の手柄もないのでは、外聞が悪い。しかし、ルキアからの親書があれば任務も果たし、その上同盟国を求めていた自国の方針にも適うだろう。

 かつて忌み嫌っていた海賊の施しに、不思議とレイルは反発を覚えなかった。
 親書を受け取ろうと震える腕を持ち上げた刹那、ふいに海賊はその腕を掴み、顔を寄せた。

 「今度泣かせたらまた攫っていくからな」

 ハッとして顔を上げると、ルキアは口角を上げて意地悪く笑んでいた。

 何を、などと言わなくてもレイルは十分すぎるほど理解していた。

 ――必ず。幸せにする。

 口に出さなくても目と目で通じるレイルの一生分の決意の言葉に、ルキアは満足したように手を放すと、

 「オレの用はこれだけだ。じゃぁな」

 親書をベッドの上に置くと、すぐに踵を返して部屋から出て行った。彼の表情を伺うことは出来なかったが、レイルはその背中が小さく震えている事に気付き、もう一度決意を固めるように頷いた。











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