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レイルの艦長就任記念式典を明日に控えた朝、セシリアの眠りは深かった。
太陽が高く上り、セシリア付きのメイド、ソフィアは必死に主を起こそうとするが、ここのところ夜遅くまで悶々と考え、昨夜も眠りに就いたのが明け方近くであったセシリアは、軽く揺らすくらいでは起きない。
焦ったソフィアがさらに強く揺り起こそうとするところに、ドアの向こうから自分を呼ぶ声がする。
ソフィアは、はっとドアの方に顔を向け、大慌てで部屋を飛び出して行った。
勢い良くドアが閉まる音で、ようやくセシリアの重い瞼が上がる。
体を起こし、部屋に誰もいないことに気付き、
「あんまり起きないんで見捨てられたのかしら・・・」
などと呟きながらベッドから降りて、軽く伸びをする。
そして、そのまま部屋の隅にあるドアを少し開け、外の様子を伺い、人の気配が無い事を確かめると寝着のまま部屋を出る。
この場にパトリックやソフィアが居れば、はしたない!と怒りそうなものだが、あいにく彼女にそんな事を言うものはこの場にはいない。パトリックは今日、夕方まで明日の式典の準備で帰らないのだ。
水でも飲もうと階段を下りている最中であった。
「お待ちください!セシリア様はまだお休みになっているのです!」
馴染みのメイドの声が聞こえたと思ったら、目に太陽のような光を放つ、金色が飛び込んで来た。
それが人の、男の人の髪であると理解するのに数秒を要した。
セシリアが言葉を発する前に声を上げたのはソフィアであった。
「セ・・・セシリア様!!そのようなお姿で何をなさっているのですか!」
その悲鳴にも近い声により、我に返ったセシリアは自分が寝着のままで、目の前には男がいる事に気付き、焦った。
「あっ・・・!」
そして焦ったあまり、ここが階段上である事を失念して見事に足を踏み外し、体がふわりと宙に浮く。
――落ちるっ・・・!
痛みを覚悟し、目を硬く閉じる。
しかし、衝撃は思ったより軽いもので、かわりに自分を包み込む温かいものを感じた。
――・・・あれ?
不思議に思い、恐る恐る目を開くと、まず竜の紋様のような刺繍が目に入る。
その紋様に見覚えがあり、どういうものだったか考えていると、
「そろそろ退いてくれないか」
上から澄んだ、少し低いアルトの声が降って来た。
驚いて上を見ると、そこには先ほど見た金色の髪と、訝しそうにこちらを見る、美しい灰色がかった青い目があった。
その瞬間、セシリアはあの紋様が海軍を示すものである事を思い出した。そして、今、自分が凭れ掛かっているいるのが誰であるのかも。
「――――――――っ!」
急いで身を起こし、踊り場を数歩後づさる。
目の前にいる人物がレイルであることは分かるのだが、信じられないと言う気持ちの方が勝った。
7年前の、セシリアの記憶の中にいるレイルと目の前にいる男とが、どうしても結びつかない。
それは、あの頃よりもずいぶん高くなった背のせいかもしれないし、先程聞いた、男らしい低い声のせいかもしれない。
しかし、一番の理由はその無表情な顔のせいだろうとセシリアは漠然と思う。
レイルはいつも微笑んでいるような優しい少年であった・・・あったのだ。
戸惑うセシリアを尻目に、レイルは体重を感じさせない動きで立ち上がると、軍服に付いた埃を払い、こちらに視線を向けてきた。
その鋭い視線に、セシリアの肩がビクリと跳ね上がる。
そんな事は気にも留めず、レイルは淡々と話し出した。
「今日はこちらに伺うと、提督から聞いていませんでしたか?・・・それとも、これは私に対するあてつけか何かですか・・・?」
――知らない・・・
「・・・このような場所で話すことでもありませんね。それに、あなたは早く着替えるべきだ」
――こんな人知らない・・・
「・・・セシリア嬢?」
――こんなのレイルじゃないっ!!
「セシリア様!?」
急に背を向けて階段を駆け上がって行くセシリアをソフィアは慌てて追いかける。
そんなセシリアのただならぬ様子を見ても、レイルのその目に感情の色は無く、無表情のまま遠ざかっていく彼女の背を見詰めていた。
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