一度彼の顔が浮かんでしまったらもう二度と消えてはくれなかった。

 それどころかサラサラの黒髪とか幼さの残った整った顔とか意地の悪い笑顔とか、どんどん浮かんできて泣きそうになる。

 「どうして気付かせたりするのよぉ・・・!」

 今まで必死に律してきたのに。気付かないように目を逸らしてきたのに。一度目を向けてしまったら最後逃げられない事はよく分かっていたから。


 しかも気付いた時にはもう終わってしまっていた。彼はあたしに愛想をつかして今もきっと他の女の子と・・・。

 「っ・・・!」
 「・・・茉莉・・・?」

 考えただけで涙が出るこの気持ちに、もう嘘は吐けない。あたしが今ここにいて欲しいのは御影君じゃなくて――

 「帝く・・・」
 「・・・言わないで」

 案外広い胸板に顔を押し付けられる形で抱き締められて、くぐもった声が出た。
 御影君の行動よりも彼の声があまりに真剣で強張っている事の方があたしを驚かせた。

 慌てて顔を上げようとしても制する様に強く頭を抱えられて、ますます困惑するあたしの耳元に苦しげな囁きが聞こえた。

 「・・分かって、た・・ホントは・・全部」
 「・・・・」

 何を分かってたって言うの。聞きたかったけどそれは叶わない。だけど不思議に予感はしていた、御影君は何も知らない天然で無垢なだけの少年では無い事を。


 「・・茉莉・・がもうオレ、好きじゃない事・・・今、好きなのは、遊園地の・・でしょ」

 声が出せない代わりに小さく頷くと諦めにも似た溜息が首筋をくすぐった。

 「・・・駄目、と最初から分かってた・・けど会いたい・・気持ち、伝えたら諦めようと・・・だけど」

 ゆっくりと腕の力が緩んでいき、ようやく顔を上げる事が出来た。すぐに目に飛び込んで来たのは御影君の狂おしげな栗色の瞳だった。

 「・・茉莉・・全然、幸せそうじゃない・・」

 今度は優しく包み込むように抱き寄せられた。――抵抗はしなかった。

 「・・・どうして・・幸せじゃない?・・あいつ・・何かした・・?」

 慰めているのだろう、髪を撫でられて、ついに今まで必死に閉じ込めておいたものが弾けて大粒の涙となって現れた。

 「何も・・してない・・義弟として接してくれる・・けど・・それが辛いの」

 義姉として接して欲しいと言いながら本当にそうなったら辛いなんて、矛盾してる。
 どこかできっと驕っていたんだ。あたしが何を言っても何をしても帝君はあたしを好きでいてくれるって。

 あんなに素直に感情をぶつけられる事も、好きだと言ってくれる人もいなかったから。

 彼の気持ちを利用してずっと好かれていると言う優越感に浸っていた。今の曖昧な関係のままで大丈夫なんて思ってた。

 帝君はどこにも行ったりしない、なんて安易な事を考えていて。

 「最低なのはあたしなの・・・愛想つかされるのも無理ない・・」

 愛情を返しもしないで与えられている幸せに気付きもしなかった。
 ようやく気付けた時にはもう遅くて、彼はもうあたしを見てくれない。向き合ってくれても目だけは合わせてくれない。


 義姉さん、と冷めた声と作り笑顔で接する帝君。もう耐えられない。

 「ごめっ・・・御影君にこんな事・・でも・・・!」
 「・・・泣く、と・・少し楽になる・・泣いて?・・隠してあげる」

 途端、声を上げて幼い子供のように泣く。涙が御影君の質の良い服に染み込んでいく事さえ気付かずにひたすら縋り付く。

 最低だと分かっていた。あたしを好きだと言ってくれた人の腕の中で他の人の事を思って泣くなんて。よく分かっていたけど、どうしようもなかった。


 二人に比べてあたしは何て身勝手で弱いんだろう。

 そんなだから部屋のドアが少し開いていた事も、ましてそのドアが静かに閉められた事なんて知る由もなかったんだ。











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