次の日もその次の日も、御影君との曲作りは進んで行った。あたしは脳裏に常に帝君の言葉が過ぎりながらも必死にそれを押し隠して曲作りに専念した。

 随分とかかると思っていた曲作りも調子よく、御影君は今日完成出来るかも知れないと言っていた。

 その言葉を受けてきっとあたしは酷い顔をしていただろう。


 今日で二人でいられる時間も終わり。これからはこうやって一緒にいられない。
 そう思うと胸が張り裂けそうで、御影君がヴァイオリンを弾く指を何度止めようとしたか分からなかった。

 耳には帝君の言葉が響いて、奏でられる音色を掻き消している。

 あれから彼には会っていない。朝食も夕食も一緒に摂らないし、帰りも・・・。やはり避けられているのだろうか。

 考えるだけでムッとする。避けるとしたらあたしの方ではないか。一方的に酷い言葉を浴びせられて十分に傷ついたと言うのに。

 だけど、避けてくれて正直ありがたかった。今彼の顔を見たらどうかなってしまいそうだ。ただでさえ不安定な心は今微妙な均衡を保っているのに、それが揺らいでしまいそうで。


 一息吐いて、思考を止めた。これではまた御影君に心配されてしまう。せっかく今日曲が出来上がりそうなのに帰ろうと言いかねない。


 その方がいいんじゃないの?


 どこからか声が聞こえた。だが、当然そこにはあたしと御影君しかいない。それはあたしの心の声だ。

 帝君の言う通り、あたしは卑怯でずるくて臆病者だ。こんな自分は大嫌い。いつからこんなにも醜くなってしまったんだろう。

 恋をすると女の子は綺麗になると言うのに全く正反対じゃないか。恋するほどに、どんどん汚れていく。


 「・・桐堂・・・出来た・・・」

 それでようやく音色が止んだ事を知り、驚愕して彼を見た。出来たとは、まさか・・・。

 「・・曲、出来た・・聞いてみて、くれる?」

 嫌だ、聞きたくなんてない。

 「・・うん・・」

 無理に笑うたびに心が泣いているのが分かる。心のままに行動できない辛さから涙はどんどん流れて体に染みていく。


 心の傷を癒すように美しいヴァイオリンが始められ、御影君はゆっくりと瞳を閉じた。
 あたしには分かっていた。彼がそうする時は必ずシェリスさんの事を想っている事を。

 敵わないのだ。何をしても。彼の中にはいつだってシェリスさんがいる。死してなお彼女は彼の全てなのだ。


 彼の手は何の澱みも無く音楽を奏でていく。続きが無い、と悲しげに言った事が嘘の様に。


 やがて、彼は目を開けて儚げに微笑みながらヴァイオリンを置いた。

 「・・何で・・泣いてる・・?」
 「あたし・・・?」

 言われて初めて気付いた。頬に手をやると雫が手に纏わりついて改めて泣いているのだと実感させられた。
 御影君は心配そうに瞳を曇らせる。

 「・・曲・・変だった・・?」
 「違うの!」

 違う。彼を悲しませたいわけじゃないの。だけど涙が止まらない。



 御影君はあたしが泣き止むまで何も言わずに傍にいてくれた。その優しさが嬉しくて、また悲しくもあった。

 ゴシゴシと腫れた目を擦りながら、安心させるように口の端を上げてみた。

 「ごめんね・・何でもないの、大丈夫だから」
 「・・・言いたい・・事、あるなら・・言って欲しい・・」
 「え・・」
 「・・いつも・・無理、してた・・何かあった?」
 「――――!」

 胸を突かれて言葉に詰まる。心臓が飛び出すほど早鐘を打ち、手にはじっとりと汗が噴出す。


 駄目よ。駄目、止めなさい。


 「・・あのね・・あたし・・」


 結果は分かっているでしょう。傷つきたいの?

 もちろん傷つきたくなんかない。でも・・・


 「曲が・・完成しても、こうして二人で会えないかな・・?」

 生唾を飲み込んで、必死に自らの拳だけを見詰める。


 困惑する御影君の様子は分かっていた。だけどもう後戻りは出来ない。


 ”振られたらそれでお終いなほど弱い気持ちなわけ?”


 違う。そんな生半可なものなんかじゃないもの、あたしの気持ちは。


 誘拐犯から助けてくれたあの日から、ずっと心のどこかに彼がいて学園で再会して、また助けてもらった瞬間、彼の微笑を見た瞬間、恋は始まった。


 届いて、この想い。実るわけはないけれどせめて知って欲しいの、あなたに。


 「・・好きなの・・あたし・・御影君の事・・もうずっと前から・・」


 しばしの沈黙。けれどあたしには永遠にも思われるほど長いそれを破った言葉は予想通りのものだった。


 「・・・ごめん・・」




 また一粒、涙が零れた。











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