突然飛び出して来たあたしに彼らは驚いたように目を見張ったが、振り上げられた手を止める事は出来なかった。

 硬い教室の床に大切なヴァイオリンが叩きつけられてしまうと考えたら、咄嗟に体が行動を起していた。


 「うっ・・・!!」

 背中に鋭い痛みと息の詰まる衝撃が走る。あまりの痛みに一瞬意識が飛んで、崩れ落ちるあたしに彼らもまた衝撃を受けたようで、すぐに逃げるように教室から飛び出していった。

 朦朧とする意識の中であたしはただ一つの事だけをずっと考えていた。

 ヴァイオリンは無事だろうか。

 頭だけを左右に動かすと、すぐ傍にヴァイオリンが無造作に投げ出されていた。あたしが見る限り大きな傷は見当たらない。

 「よかったぁ・・・」

 ホッとしたら力が抜けて、そのままあたしの意識は混濁していった。









 ゆらゆらと体が揺れる。コツコツと足音が揺れにあわせて聞こえてくる。誰かが運んでくれているんだろうか。何だかとても暖かくて気持ちがいい。

 あたしの体を気遣ってくれているのが分かって、一体誰が運んでくれているんだろうと疑問に思った。

 だけど目を開ける力も残っていなくて、一定のリズムで聞こえてくる足音とトクトクと言う胸の鼓動に誘われるようにまた意識を失ってしまった。




 次にあたしが目覚めた時、迎えてくれたものは消毒液の匂いと真っ白なカーテンだった。

 それは普通の保健室と同じ光景で、一瞬ここが星城学園である事を忘れてしまう。だが、ズキズキと痛む背中が記憶を蘇らせていく。

 そうだ、あたしは・・・・


 「・・・大丈夫・・?」

 ギクリとした。無機質だが透明感のあるそれに聞き覚えがあったからだ。

 「み、御影君・・・」

 柔らかそう栗毛色の髪がふわりと踊り、同色の瞳は伏せられて長い睫毛が影を落としていた。
 相変わらずの日本離れした美しさに目を見張ると同時にあの時に言われた言葉が頭を過ぎり、反射的に視線を逸らしてしまった。

 こんな態度を取ってはますます悪い印象を与える事になると頭では分かっていても、どうする事も出来ない。

 だが、彼はあたしのそんな態度を全く気にした風でもなく、淡々とした口調で話し始めた。

 「・・・保健室の先生・・もうすぐ来る、と思う・・」

 いるんだ本当に保健室の先生が。見渡すとベッドも3つしかなくてはっきり言って広いとは言えない。超お金持ち学校なのにどうしてだろう。

 「・・・近くに・・学園と提携を結んでいる大病院がある・・・だから保健室は必要ない・・らしい・・」

 珍しく丁寧に教えてくれる御影君が珍しくて思わず凝視すると、彼はふとその表情を和らげた。その手にはヴァイオリンがしっかりと握られていた。

 「・・ヴァイオリン・・・無事だから・・・」
 「え・・」
 「Merci.」
 「―――っ」

 あたしの恋の始まりであるあの日と同じ言葉。一つだけ違うのはその顔に静かな微笑がたたえられている事だった。

 「・・・でも・・どうして・・・?」

 それはあなたが好きだから。それを言えたらどんなにか楽だろう。だがあたしには振られる事を分かっていて告白する勇気なんてありはしなかった。

 焦ったあたしは咄嗟に話題を変えようと試みた。

 「それにしても何で御影君はあの音楽室にいたの?もう来ないって言ってたのに」

 言ってからすぐにしまったと口を押さえても飛び出した言葉は戻らない。自分で傷をえぐるような真似をするなんて、本当にあたしは馬鹿だ。

 「・・・え・・そんな事言った・・か・な・・?」
 「は?」

 もしかしてもしかしなくても彼は覚えていないのだ。あの時あたしに怒った事も言った事もすっぽりと記憶から抜け落ちているらしい。

 初めはホッとした。もう怒っていないのだと分かったから。でもすぐにあたしは落ち込んでしまった。御影君にとってあたしなんてその程度の存在に過ぎないのだ。

 「・・・嘘だよ・・覚えてる・・ずっと謝ろうと、思ってた・・」
 「えっ・・」
 「・・春江さんに怒られた・・・謝りなさいって・・・」

 春江さん、と口の中で復唱するとあの小さな楽器店の人の良さそうなおばあさんが脳裏に過ぎった。

 「だから・・・ごめん・・・」

 例え人に言われたから仕方なく言っているのだとしても嬉しかった。本当に涙が出るほど嬉しかったのだ。

 「ううん・・いいの。あたしも悪かったから・・・」

 潤んだ目を隠すように顔を伏せて、あたしは改めて自分の気持ちに向き合っていた。


 好きだ。御影君が好きだ。どうしようもないくらいに。


 「ヴァイオリンも無事で良かった!あたし、あなたの弾くヴァイオリンが好きだから」

 言外に込められた気持ちなんてきっと彼は気付かないだろうけど、それでも構わない。

 瞬きをして涙を拡散させてから勢いよく顔を上げると、御影君がヴァイオリンを構えていた。

 そしてそのまま弦を滑らせて音を奏でる。綺麗な高音がゆっくりと紡ぎ出されてそれは美しい音楽へと変わる。クラシックに詳しくないあたしはそれが何の曲であるのか分からなかったけれど、とても優しい曲である事は分かった。

 聞いていると自然と落ち着いて、胸が安らぐ温かみのある曲。


 だけどしばらくして、突然音が止まってしまった。閉じていた目を開けると、御影君が途方にくれたような顔をしてヴァイオリンを机の上に置いた。

 「どうしたの?」
 「・・この曲の続き・・ないんだ・・」
 「・・どう言う事?」

 いぶかしむあたしにゆっくりと顔を向ける彼の顔には深い悲しみの色がありありと見て取れた。


 彼にそんな顔をさせる人をあたしは一人しか知らない。


 彼が大切に持っている写真の中の女の子・・・シェリスさん・・・。  











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