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「え・・・帝君が熱を・・?」
休日の朝、昼頃まで寝ていたあたしにメイドさんの一人が心配そうに言った、帝君が風邪をひいた様だ、と。
それを聞いた瞬間、すぐに昨日あたしがかけた水のせいだと分かった。あの後彼は時間がなかったのか、着替えもせず出掛けてしまった。秋が深まる季節に体を濡らしたままだったのだ。
彼が風邪をひいたのは当然だ。血も涙もない悪魔だと思っていたが人並みに病気にはなるらしい。
そんな事を思いながらも少し罪悪感は感じていた。彼が風邪をひいたのはあたしのせいなのだから。いくらカッとなったからって水をかけるのはやり過ぎだったと反省している。
「・・お見舞いに行こうかな・・?」
何となく、軽い気持ちでそう言ったら、メイドさん達は皆嬉しそうに笑った。
「そうして下さると助かります!帝様、私達を部屋に入れて下さらないのです」
ですが、茉莉様ならと期待を込めて見る瞳にあたしは問い掛けで返した。部屋に入れてくれないって一体どう言う事なんだろう。
「私達もよく分からないのです・・入ってくるなの一点張りで・・一体どうなさったのでしょう・・」
あの猫かぶりの王子様がなぜここで我侭王子になったのか。普段なら笑顔でメイドさん達も部屋に入れるのに。
考え込んでいると、メイドさん達が着替えを持って来て早く着替えてれと言わんばかりに急かせる。余程早く帝君のお見舞いに行って欲しいようだ。
しかし今、彼に会うのはちょっと勇気がいる。あんな事を言われて、まだその傷が癒えていないからだ。
もしまた御影君の事で何か言われたら、自分でもどうなるか分からないのが正直なところだ。
だが、そんな事情も全く知らないメイドさん達の期待を裏切るわけにもいかず。
「・・じゃぁちょっと行って来ます・・」
あたしは帝君のお見舞いを義姉としてしなくてはならなくなった。
取りあえずノックをしてみたが、当然のように返事はなかった。寝ているのか無視しているのかは分からなかったが、ここで引き下がるわけにはいかない。
大声で呼びかけてやろうと思ったが、その必要はなかった。駄目もとで手を掛けたドアのぶが回ったのだ。
「帝く〜ん・・?」
恐る恐る鍵のかかっていなかったドアを開けてカーテンを閉め切っているせいで薄暗くなっている部屋に入る。
部屋の一角に設けられた大きなキングサイズのベッドに彼はいた。眠っている状態で。
熱が高いのか、荒い呼吸と苦しげに寄せられた眉、染まる頬。額には汗が滲んでいてとても苦しそうだった。
「うっ・・あ・・」
「帝君?」
てっきり目を覚ましたのかと思ったが、魘されていただけのようだ。悪夢でも見ているのだろうか。
「あ・・・か・・さん・・」
「え、何?」
何を言っているのか確かめようとベッドに近付いて彼の顔の横に手を付いた瞬間、帝君が突然凄い力であたしの手を握ってきた。
驚いて顔を見ても相変わらず目を閉じたまま苦しげに眉を寄せていた。寝ぼけているのかと思い、握られている手を外そうとしてもなかなか取れない。
「あ〜もう・・」
良く見ると帝君の表情も和らぎ始めているし、このまま手を握らせておくことにした。それに彼の寝顔を見れるなんて滅多にない事だ。
「寝顔は天使なのね・・」
いつも浮かべている作り笑いもないし、人を馬鹿にしたような目も今は閉じられて長い睫毛に覆われている。年相応に幼く見えて何だか可愛らしい。
だけどいつまでもこうしているわけにもいかない。この体勢、実は結構きついのだ。
「腰が・・・」
「年だからだろ。オバサン」
え、とベッドを見ると眠っていたはずの天使が悪魔の微笑を浮かべてこちらを見ていた。
「い、いつから起きて・・」
「人の部屋に勝手に入って、人の寝顔をジロジロと・・セクハラはよくありませんね」
「あ、あたしだって好きでこんな事してるわけじゃないわよ!」
あんたが手を握ったから、と続けようと手元を見るとすでにもう手は離されていた。何だか証拠がなくなったようで、あたしは思わず声に詰まる。
「用が済んだならさっさと出てけよ、風邪うつされたいのか」
この悪魔の事を少しでも心配したあたしが馬鹿だったわ。こうなったらさっさと出て行くのが身のためだ。
そう結論付けて、言う通り部屋を出て行こうとしたがどうしても気になる事があったので足を止めた。
「ねぇ・・どうして部屋にメイドさん達を入れようとしないの?看病してもらえばいいのに」
メイドさん達には天使な彼の看病なら皆喜んで引き受けると思うのに、それを拒否する訳がどうしても分からない。
聞くと、帝君は気だるげに髪をかき上げると当然のように言い放った。
「こんな姿、人に見せられるかよ」
それは弱っている自分を見られたくないと言う意味だろうか。確かにプライドの高そうな帝君なら納得がいく。
しかしどこか引っかかるところがあって釈然としない。風邪と言ってもあそこまで魘されるものなのかも気にかかる。
「あの・・」
「そんなに風邪うつされたいか?・・キスするとうつるらしいですよ、義姉さん?」
「!さよなら!!」
顔を赤らめるあたしを見て馬鹿にしたように笑う少年に心底腹が立ちながら、本当にキスしかねないので慌てて部屋から出る。
ドアを閉めて、大きく深呼吸して怒りと羞恥を沈める。
帝君の様子はいつもと変わらなかった。昨日、あんな事があったのにもう忘れてしまったのだろうか。
謝って欲しいとは思っていない。あたしも悪い事をしてしまったと思っているから、喧嘩両成敗ってやつだ。
「あたしなんてどうでもいいって事か・・」
怒らせても泣かせても何も感じないのだろう。その心に罪悪感、後悔の心は存在しないのだろうか。
だけどあたしは気付いてしまった。早く出て行くように急かせる彼の瞳に僅かな気遣いの光が見えた事を。仮面の笑顔が少し歪んでいたのを。
そして、ドアを閉める瞬間、垣間見た彼の顔が少し寂しそうだった事を。
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