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ママが遠い異国の地に旅立った翌日、もうとっくに起きなくてはならないのだが、あたしは今だベッドの中にいた。
「お嬢様、もうお起きになりませんと・・」
メイドさん達が慌てたように言ってくるが、そんなに強く言えないようで戸惑っているのが布団の中からでも伝わった。
その様子に気の毒だと思うけれど、今はそっとしておいて欲しい。学校に行きたくない。
驚いた。ママがいなくなっただけなのにこんなにも心が折れるなんて。あんなママでもあたしの支えになってくれていたんだ。
布団で全身を包んで何の反応も示さないあたしにメイドさん達はどうする事も出来ずにただオロオロとするばかり。
そんな時、明らかにメイドさんとは違う男物の声がした。
「あれ、義姉さんはまだ寝ているんですか?」
「帝様・・」
布団の中であたしは身じろぎした。何でこんな時にあいつが来るのよ。今一番顔見たくないのに。
何をされるかと内心ドキドキしながら息を詰めていると、人の気配が近付いてくるのに気付いた。
「義姉さん、どうしたんですか?体の調子でも悪いんですか?」
その白々しい演技に噴出しそうになった。反動で布団が大きく動いたのを見て帝君は何を思ったのか、
「ちょっと僕から話してみるので席を外してくれませんか?」
そう柔らかな口調でメイドさん達を部屋から追い出した。
戸惑いながらも帝君なら大丈夫だと部屋から出て行くメイドさん達に声を掛けたくして仕方なかった。このまま二人きりになったらと思うと恐ろしい。
だけどあたしの儚い願いも虚しくパタンとドアの閉まる音が静寂に包まれていた部屋に響いた。
ドアが閉まり、完全に人の気配が近くにない事を確認して帝君は持ち前の辛辣な口調でベッドの上の布団の山に向けて声をかける。
「いつまでそんな事やってんだよ。お前、学校行く気ないのか?」
「・・・・・・」
彼は一向に口を開かないあたしに苛立ったように大きく息を吐いてから、突然手を布団に掛けて勢いよく引っ張った。
「さっさと起きろ。ガキかお前は」
何とか布団を取り返そうと手を伸ばしたが、すでにそれはベッドの下。
帝君にぱじゃま姿を見られるのなんて別にもう何とも思っていない。今はそれよりも見られたくないものがあった。
「手間かけさせるな・・・おい・・お前・・」
「っ・・・!」
目があった瞬間、呆れ顔から驚いた表情へ変化していく彼に、あたしは慌てて顔を彼とは反対側へ背けた。
だけど遅かった。帝君はバッチリあたしの顔、涙で腫れ上がった瞼を見ただろう。
自分でも酷い顔をしている自覚はある。だからこそ見られたくなかったのに。
「・・泣いてたのか。それにしても酷い顔だな」
やっぱり。こう言われるのが分かっていたから帝君とは会いたくなかったのに。弱かった心に彼の棘は鋭すぎる。
やっと止まった涙がまた溢れそうになった時、ドアが閉まる音がした。
見ると、帝君の姿はもう部屋にはなかった。あたしの顔をこれ以上見ていられないと言う事だろうか。
悔しさと情けなさとでますます緩む涙腺に従い、このまま泣いてしまおうと思ったが、急にまたドアが開いたので驚いたあたしは完全に泣くタイミングを失ってしまった。
ドアから入って来たのは出て行ったはずの帝君だった。
「どうして・・」
予想外の展開に目を丸くするあたしに彼は無言で手にしていた濡れタオルを投げ付けてきた。
「いきなりなにするのよ!」
「それで目冷やしとけ」
淡々とした口調でそれだけ言うと用は済んだとばかりに部屋を後にした。
「何なのよ・・一体・・」
湧き上がった怒りの感情は一瞬の内に消え去り、残ったものは戸惑いの感情だけだ。
帝君の事だからあたしを散々馬鹿にするのかと思ったのに、まさかこんな気遣いを見せるとは。
受け取った濡れタオルをしばし眺めていると、コンコンと控えめなノックの音がした。
「お嬢様、今日は学園には欠席のご連絡をしておきますわ。何かありましたら声を掛けて下さいませ、外に控えておりますので」
「え、あの・・」
「帝様も心配しておいででした。今日はゆっくりとお休みになって下さい」
メイドさんの優しげな声を最後にドア越しの会話は終了した。
きっと帝君が指示を出したんだろう。何を言ったか分からないが、これで一人でゆっくりと出来る。
「変なの・・」
最悪な奴かと思えばこんな風に意外な一面も見せる義弟にどう対処したらいいのか分からなかったが、今は少しだけ感謝してもいいかなと思った。
そして僅かに微笑してタオルを目元に押し当てた。ひんやりとした感触が気持ちいい。
その冷たさが帝君の不器用な優しさのようで、あたしはまた少し笑った。
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