その場にいる事が耐えられなくなって店を飛び出した。後ろから男の呼び止める声が聞こえたが、あたしは振り返らなかった。


 あれは何だったの?

 信じられない。

 今まで騙してたの?

 きっと何かの間違い。


 様々な思いが湧いては消える。今はとにかく一人になれる場所に行きたかった。






 がむしゃらに走っていると、前をよく見ていなかったため人にぶつかった。
 衝撃と共に後ろに尻餅をつくと、上から声が降ってくる。

 「痛ぇなぁ〜気をつけろよ」

 不機嫌そうに棘の入った声色にあたしは怯んだ。

 立ち上がる事も相手の顔を見る事も出来ないでいると、男が手を伸ばして来るのが分かる。

 「や・・・」

 あたしの手を取る前にそれはピタリと止まった。

 不思議に思い、恐る恐る見上げると男はこちらを見て固まっていた。いや、正確にはあたしの背後を見ている。

 何かあるのかと振り向く前に男は、
 「んだよ、オレは何もしてねぇって・・・じゃぁな!」
 早口に言うとそのまま走り去ってしまった。何かにひどく怯えているようだったが、一体どうしたというのだろう。




 訳が分からず座り込んでいると、突然後ろから手が伸びてきてあたしを抱え上げた。

 「なっ・・・!?」
 「いつまで座り込んでいるつもりですか」

 抵抗しようとしたが、呆れたようなその声に聞き覚えがあった。あたしが今こんな事になっている元凶。



 しっかり立ち上がった事を確認すると手は離れていった。
 相手が分かっているだけに余計に振り返られない。今は顔を見たくない。

 押し黙るあたしに痺れを切らしたのか、背後にいたはずの少年は正面に回って重々しい口を開いた。

 「無視ですか」
 「・・・」
 「責めないんですか」
 「・・・」
 「何とか言えよな」
 「・・・っ・・・騙してたんでしょ!」

 そこで初めて目を合わせた。その顔はひどく冷たい。先程の店で一瞬見せた表情に酷似している。

 「騙していたわけじゃない」

 事も無げに言われて返す言葉が見付からない。

 「上辺だけで俺がどんな人物か知ったような気になっていただけだ・・・誰も本当の俺など見ようともしないんだから当然だが」
 「っ・・ひどい・・」

 零れ出た一言に帝君は眉を寄せる。

 「誰にも迷惑をかけているつもりはないのだから、ひどいと言われる筋合いもない。むしろ感謝して欲しいぐらいだよ、優等生桐堂帝を演じてやってるんだから」

 涙が出そうだった。これが本当の帝君なら今までの事は全て偽りだったのか。

 あたしを姉だと言ってくれた事も?一緒に食事をした事も?優しく微笑んでくれた事も?

 「全部嘘だったって言うの・・・?」

 言葉にしたらどっと涙が出て来た。悔しさ、寂しさ、空しさ・・・その全てが一気に押し寄せてきた。

 目の前でボロボロと泣くが、少年は何もしてくれない。いつもの、いやあたしの知っていた帝君ならば優しい言葉の一つでも掛けてくれただろう。

 「・・・これが本当の帝君なんだね」

 自嘲気味に笑うと少年は少し目を細めたがそれだけだった。

 一つ大きく深呼吸をして努めて明るく振舞う。

 「どうして今日ここに連れて来たの?」

 これが一番の疑問である。優等生を演じてきたのならなぜそれをあたしの前でも貫き通さなかったのだろう。彼にはそれが出来たはずなのに。

 「義弟だからと言って近付いてくるお前がうざかったんだよ」

 その声に戸惑いはない。いっそ清々しいまでの言い様に涙よりも笑いがこみ上げてくるあたしはもうどこかおかしいのかもしれない。



 「どうして演技なんて・・・」

 無意識の内に出たそれに帝君は答えてくれた。

 「社長になるためだ」

 あたしもこれには眉を寄せた。社長になる気はどうやらあるらしい。それならこんな事をする必要などないはずだ。


 ”僕は普通の人よりも恵まれた生活をしています。それは僕が桐堂家の次期社長と言う重い責任を担っているからです。多くの部下の生活を支えていくんですから多少の制限はされて当然だと思っています”


 いつだったか言った彼の言葉が蘇る。もしかしたらそれは真実では?

 だが、そんな甘い考えは彼の一言で無残にも打ち砕かれた。


 「俺が社長になるのは、桐堂財閥を潰す為だ」











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