19
「あたしはあんたなんかと結婚しないから!!」
明さんが急に立ち上がって甲高い声で叫んだ。
てっきりこれから深刻な打ち明け話が待っていると思っていたあたし達はぎょっとして固まってしまう。
その様子を満足げに見下ろしてから、明さんはゆっくりと腰掛けて噴出した。
「すみません、驚かせましたね。先程の言葉は櫻と初めて会った時に言われたものです。あの時の僕と全く同じ反応を皆さんするので、何だかおかしくて・・・」
クスクスと笑いながらも懐かしげに目尻を下げる明さんに、帝君は心底戸惑った風に口を開いた。
「あの母さんがそんな事を・・・?信じられない・・・」
「帝が生まれてからは丸くなったけれど、最初の内はお嬢様とは思えぬ言動でそれは凄かったんですよ」
言いながら、明さんがふと視線をあたしに向ける。じっと見つめられると、何だか未来の帝君に見られているようで、恥ずかしくなって来る。
帝君もそれに釣られる様にあたしを見る――美形親子の眼力に、あたしの平凡な顔が焼け付きそうだ。
「な、何ですか・・・?」
「茉莉さん・・・あなたはどことなく櫻に似ています。・・・初めて会った時には驚きました」
「え?」
「帝も感じたでしょう?写真を見せた時、確か戸惑っていましたよね」
話題を振られて、帝君は目に見えて動揺した。頬を羞恥に染め、顔を背ける姿はまさに図星を指されたと言った風で・・・。
「帝が茉莉さんに惹かれるのは何となく予想が付きました。帝は昔からマザコンでしたから」
「マザコンじゃねぇ!!そ、それに、茉莉は母さんと似ても似つかないだろ!母さんの方が百倍は美人だったし!」
・・・それを人はマザコンと言うんだよ、帝君。しかもさり気なくあたしを貶すのは止めてもらいたい。ちょっと、いやかなり傷付いたし。
「まぁ、とにかく櫻は温室育ちのお嬢様とは一味違った。僕はそんな彼女に惹かれていったわけです」
これ以上は不味いと漸く分かってくれたのか、申し訳なさそうに明さんはあたしを見ると本題に戻った。
「そこからは彼女を口説いて口説いて口説き落として、見事に結婚したわけです。世間一般的には政略結婚と言われていますが、きちんと恋愛したんですよ」
出会いはさておき、最終的に二人は愛し合って結婚したと言う。だったらどうして帝君は明さんを薄情な夫なんて言ったんだろう。
「ただし、彼女は結婚するにあたり、一つの条件を出しました。それは、どんな時も自分よりも仕事を優先すると言うものでした」
「へ?」
「え?」
「は?」
綺麗に三人の声がハモッてしまった。だって、意味分からない。普通逆の事を条件にするはずなのに。
「僕も最初、耳を疑いましたよ。櫻は本当に僕を好きで結婚するのかと悩んだりもしました」
櫻さんの実家は相当大きなグループ会社だったけれど、過去に一度、倒産の危機にまでいったらしい。その時に大幅なリストラを行って、多くの人が路頭に迷う事になったとか。
櫻さんはそれを間近で見ていて、自分の父が何千という人の人生を背負っている事を実感したとか。
「自分一人よりも桐堂財閥で働く何万と言う人を優先して欲しいと涙ながらに言うんですよ・・・頷くしかありませんでした」
そのせいで帝が生まれる時も傍にいてあげられなかった、と後悔を滲ませる明さんに、帝君は唇を戦慄かせた。
「だったら、あの時も・・・?でも、だからって・・・」
「・・・櫻が事故にあった事を僕は知らされなかった」
櫻さんは交通事故で亡くなったと言う。その時明さんはアメリカに重要な会議のために赴いていた。
「会議が終わったのを見計らったように秘書が知らせてくれたよ・・・急いで日本に帰った時にはもう遅かった。櫻が僕に知らせるのを拒んだ事を後から聞かされました」
その会議がどれほど重要なものかを分かっていたからこそ、櫻さんは涙を呑んだんだ。最期だと分かっていたはずなのに。
櫻さんの想いを想像してしんみりしていると、隣にいた帝君が勢い良く立ち上がった。その漆黒の瞳は不安定に揺れている。
「か、母さんは、最期まであんたの名前を呼んでいた・・・俺は心細くて、父さんに傍にいて欲しかった・・・なのに、あんたは来なかった」
呆然と当時の気持ちを吐露する帝君は、きっとその時から明さんの事を恨んでいたんだ。確かに二人の事情を知らなければ、妻の死の間際にも仕事を優先する冷酷な夫、と思われても仕方ない。
「何で、言わなかったんだよ・・・!言ってくれたら、俺は・・・!」
「・・・きっと僕は誰かに責めて欲しかったんだよ。例えどんな理由があるにせよ、櫻の最期を看取れなかったと言う負い目に苛まれていたからね。何度あんな約束をしなければ良かったと後悔したか・・・。愚かな僕は帝に憎まれても仕方ないと思った」
すまない、と頭を下げる明さんを前に帝君は唇を戦慄かせたが、すぐに顔を背けて力無く椅子に座り込んだ。
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