「それで、鞍馬の歴史の一体何が知りたいんだ?」

 場所を移そうと言う椎名に従い、3人は保健室に移動していた。
 椅子に座り、小首を傾げる青年に、紫織は少し緊張しながら口を開く。

 「朱里さんとお話をして、私達九条側と鞍馬さん側に大きな歴史認識の違いがある事が分かったんです。それで、一体鞍馬さん達の方ではどんな風に歴史が伝わっているのかが気にかかって・・・」

 これでは単なる歴史オタクのようだ、と話しながら紫織は恥ずかしく感じたが、椎名は意外にも真剣に聞いてくれていた。

 「それは俺も気付いていたよ。まぁ、歴史なんて言うものは結構都合のいいように歪められて伝わる部分もあるから深く考えていなかったけど」
 「ですが、その歴史のために私達は何百年も戦いをしてきたんですよね?それが誤った歴史のせいだとしたら、真実を見つける必要があると思うんです」

 真摯な紫織の瞳を受け止め、椎名はしばらく考え込むように口元に手を当てると、

 「・・・確かにそうかもしれないな。それに俺自身、日本史の教師としても鞍馬御三家の人間としても興味がある」

 少女の言葉を肯定するように頷くと、静かに語り始めた。

 「九条が裏切った、とか実は証拠なんて何も持ってないんだ。こちらは裏切ってないんだから、そっちが裏切ったんだろうって認識に過ぎない。そんな風に、鞍馬で伝わって来た歴史は酷く曖昧なものなんだ。何百年も経って、当時の書物とかも多く失われてしまったしね」

 だけど――と、椎名は表情を引き締める。

 「曖昧な中に確かな事が一つだけある。それは、橙吉郎と紫姫が愛し合っていたと言う事だ。姫に宛てた恋文や二人が交わした恋の歌がいくつか残されているからね」
 「それは・・・私も祖父から聞きました。とても仲睦まじかったと。ですが・・・」
 「そう。二人の間には肝心の子供が出来なかった。でも僅かに残されていた文からは姫の苦悩と橙吉郎の気遣いが見えたよ。それは側室を迎えた後も変わらなかった」

 だが、ある時を境に文のやり取りは途絶えてしまう。それが敵に攻め込まれる時期と重なっていた。

 「戦のどさくさで、文が消失してしまったのでは?」
 「最初の敵襲の時、鞍馬の館はほぼ無傷だったと記録にあるし、姫は夫からの手紙を大切に保管していたから消失の可能性は低いんだ」
 「大切に保管・・・」
 「それを姫の死後、橙吉郎が持ち出して今まで残っているんだ」

 その瞬間、紫織はある事に気付いた――紫姫の死は確か・・・

 「姫は、殺されたと聞いています。密通を疑われて鞍馬に殺されてしまったと」

 祖父は確かにそう言っていた・・・憎しみに顔を歪ませて。姫を殺した者が果たして姫の遺品を持ち出すだろうか。

 「姫は自害したとこちらでは伝わっている。その原因は密通だったとも。だけど、その証拠はさっきも言ったようにないんだ」
 「では、どうして密通などと・・・」
 「ちょうど敵襲の前、姫が敵の領土近くへと出かけているんだ。今まで出かけた記録も無かった姫なだけに十分怪しいだろう」
 「姫はどこに出かけたんですか?」
 「それが分かっていないんだ。東の方、としか。内密に、ごく一部の者しかお供をつけずに出かけたみたいで」

 確かに姫の行動は怪しまれても仕方がないのかもしれない。だが、反論しようにも、紫織はあまりにも姫を知らない。祖父から少し聞いたくらいなのだから当然だろう。
 だが、紫織は自身の無知を恥ずかしく感じた。こちらから聞いておいて自分は何も知らないなんて失礼だとも思った。

 「あの・・・そのような歴史的書物は普通はどこにあるのでしょうか」

 だから知ろうと思った。姫は鞍馬に嫁いだのだから多く書物が残っているのは当然だが、九条でもある程度は存在するはずだ。

 「九条の事は分からないが、普通は九条本家にあるんじゃないか。鞍馬も本家に保管されているし」
 「本家・・・」

 最初に連れて行かれたきり、本家には行っていない。祖父に会うのはあまり気が進まないが、今度機会を見て一度帰ろうか。

 そんな事をぼんやりと考えていると、予鈴が保健室に鳴り響いた。

 「あ、次の授業が・・・」

 慌てて立ち上がる紫織とは正反対に朱里は優雅に頬杖をついており、一向に立ち上がる気配を見せない。

 「つまらない話を聞かされて、何だか眠くなったわ・・・もう授業なんて受けずに寮にでも戻りませんこと?」
 「えぇ?でも・・・あの・・・」
 「私、あなたに無理やり付き合わされたせいで疲れましたの。だけど、あなたと行動しなければならないし・・・」

 言いながら、わざとらしく大げさに溜息を吐く朱里に反論する力は紫織には無い。ここに案内させたのは事実なのだから。

 渋々頷くと、朱里は満足そうに紅い唇を持ち上げ、疲れはどこへやら、勢い良く立ち上がった。
 授業を受けるのがそんなに面倒だったのかと呆れつつ、椎名へと向き直る。

 「あの、突然押しかけてすみませんでした。貴重なお話を聞けて嬉しかったです」

 ありがとうございました、と頭を下げる紫織に椎名は何かを差し出した。
 小さなメモ用紙に何か書いてある。咄嗟に受け取って見ると、それは携帯電話の番号だった。

 「何か分かったり聞きたい事があったら連絡してくれ」
 「え?」
 「個人的に歴史の真実ってやつを知りたいからさ」

 微笑する椎名からの提案はありがたいものだったが、同時に不安になる。敵である紫織と連絡を取り合ったりして、大丈夫なのだろうか。

 「何をしていますの」

 受け取ってもいいものかと、紫織が手の中のメモ用紙を見つめていると、背後から朱里の急かす声がかかった。

 「は、はい!今行きます」

 慌ててポケットにそれをしまい、最後にもう一度椎名に頭を下げると、紫織は保健室を後にした。











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