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「紫織様!今からでも遅くありません!お考え直し下さいませ!」
涙目で訴えかける蒼司に紫織は内心では溜息を吐きながらも顔に笑顔を乗せて、
「そうはいきません。約束はきちんと守らなければいけませんから」
何度目とも分からない台詞を口にした。このやり取りもゆうに10回は超えているように思う。
だが、蒼司は何度繰り返しても納得せず、さらに彼女に詰め寄った。
「ですが!2週間も・・・奴ら何をするか分かったものではございません!私は心配で心配で・・・昨日も一睡も出来ませんでした!」
言われて見れば、少年の切れ長の目の下にはクッキリと隈が出来ていた。ここまで心配させて申し訳ないと思うが、決まってしまった事を今更どうこう出来はしない。
もしもここで紫織が約束を反故にすれば、さらなる対立が生まれる可能性もある。何よりも信用の失墜に繋がる――それは避けなければ。
「私は、この2週間で出来るだけ色んな方とお話したいと思っています。もしかしたら私と同じ様に和解を願っている人がいるかもしれませんし」
紫織はこの機会を前向きに受け止めていた。一度じっくり話し合う必要性を感じていたからだ。
「蒼司さんにはご心配をかけますが、私がいない間、皆さんをお願いします。こんな事蒼司さんにしか頼めないですから・・・」
言いながら、彼の両手を握り締めた――これで完璧だと翠から教えてもらっていた。
このままでは蒼司が乗り込んで来そうな勢いだったので、どうにか納得させられないかと翠に相談した結果がこれだったのだ。
こんな事で本当に大丈夫なのかと不安が過ぎった刹那、凄い力で手が握り返された。
「お任せ下さい!紫織様のお留守はしかと承りました!ご安心して2週間お過ごし下さいませ!何かあった場合、我ら一同すぐにお傍に馳せ参じます!」
「あ、りがとうございます・・・?」
取り敢えずは送り出してくれるらしい様子に感謝を述べる。少年の後ろでは翠が苦笑し、黎が無言でこちらを睨んでいた。
「早くしないと時間に遅れちゃうわよ。遅刻したら鞍馬君達怒って銃乱射しに来ちゃうかもしれない」
翠にとっては助け舟だったのかもしれないが、紫織はぎょっとした。彼らならば本当にやりかねないと思った。
慌てて手を離して傍に置いてあったスーツケースを手に取り、改めて3人に向き直る。
「・・・気をつけて。何かあったら携帯に連絡ちょうだいね」
翠が気遣わしげに目を細めた。こう言う顔をするとなぜか紫織は母を思い出す。物心付く前に亡くなってしまい、記憶も残っていないのだが母とはきっとこう言うものなのだろうと思っている。
1つ上の少女に母などと失礼極まりないと承知しているので口には出さないが、翠は紫織にとって姉であり母であった。
「・・・はい」
胸に温かいものがこみ上げてくるのを感じながら頷くと、彼女の斜め後ろにいた黎と目が合った。
まさか彼が見送りに来てくれるなんて思ってもいなかった紫織は何と言って良いのか分からず、しばらく無言で見詰め合ってしまった。
非常に気まずい思いをしながらも目を背ける事も出来ずに悶々としていると、
「・・・あんた、馬鹿だろ」
溜息と共に黎がボソリと言った。
これまでの厳しい言葉を思い出し、紫織は反射的に肩を震わせたが、黎の瞳に怒りの色は見えなかった。代りに今まで見たことの無い光が浮かんでいる。
おや、と思った時には蒼司が怒り狂って黎に掴みかかっていた。
「お前はまた・・・!馬鹿とは何だ!紫織様の知能は低くなどない!調査によると少し理数系が苦手のご様子だが、問題は無い!それに・・・」
「蒼君!!」
翠が素早く後ろから羽交い絞めにしなければ、紫織の成績は完全に暴露されていただろう。
「ぐぅ!翠、傷口に当たっている!」
「当ててるのよ」
どこかで聞いた事のある台詞を全く違う場面で使う翠と悶絶する蒼司を横目に、黎は右手で眼鏡の位置を軽く直した。
「・・・本当に一人で行く気か」
「あ、はい。そのつもりですが・・・」
「・・・リレーといい、何であんたはそうなんだ」
「え?」
何を言いたいのか掴めずに小首を傾げる少女に、少年は難しい顔をした後、苛立ったように顔を背けた。
訳が分からない紫織は何かしてしまったのかと必死に記憶の糸を手繰り寄せたが、どうにも思い当たらない。
そこで勇気を振り絞り、彼に尋ねようとした直後、校舎中に予鈴のチャイムが鳴り響く。
慌てて腕時計で確認すると、鞍馬が指定した時刻まで後5分に迫っていた。日本人らしく5分前行動を心がけていた紫織としては最悪の事態だった。
「すみません!もう行かないと!では、皆さんまた2週間後に!」
スーツケースを引っ張りながら、挨拶もそこそこに渡り廊下を行こうとする紫織の背中に声を掛けたのは意外のも黎だった。
「おい!」
ぶっきら棒な声に振り返ると同時に黎が何かを放り投げて来た。
「!?」
咄嗟にスーツケースから手を離して両手でキャッチする。しかし、何を投げたのかと紫織が確認している間に黎は用は済んだとばかりにその場から離れて行こうとする。
「あ、ありがとうございます!」
小さくなっていく背中に慌ててお礼を言うが、黎はそのまま階段を降りて行ってしまった。
だが、それでも紫織は嬉しくて仕方が無かった。不思議そうな顔をしている二人に笑顔を向けると、今度こそ歩き出す――左手に湿布を握り締めながら。
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