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「止めて下さい!!!」
腹に渾身の力を込めて叫ぶと、思った以上に大きな声が出て紫織は自分自身で驚いていた。
殴り合いをしていた生徒達は彼女の声に一斉に動きを止めた。大声に驚いたせいでもあるが、何よりその声が不思議と人を従わせる力を持っていたからだ。
ひとまず喧騒がおさまった事に紫織は安堵しつつ、痛む背中に耐えながら、
「体育祭では争いは禁止したはずです。今すぐ応援席に戻って下さい」
毅然と言い放った。
彼女の臣下達はハッとして相手から手を放して距離を取った。
鞍馬側の者達は紫織の言に従うつもりは無かったが、肝心の主は既に応援席へ戻ってしまっており、完全に興をそがれて争う気持ちも無くなっていたため、大人しく引く事にしたのだった。
双方が争いを完全に止めた事を確認し、紫織は傍にいた朱里に言った。
「怪我人の手当てをしたいので少し競技を中断したいのですが、いいでしょうか?」
「ふん。こちらも怪我人はいるのよ・・・当然ですわ」
僅かな小競り合いだったがそれでも怪我人は続出していた。かすり傷や打撲程度の者から立ち上がれない者まで、傷を負っていない者はいないのではないかと言う有様である。
「皆さん、大丈・・・っ」
あまりの状況に思わず駆け出そうとしたが、背中に鋭い痛みが走り、その場に座り込んでしまった。
「紫織様!」
すぐさま彼女のそばに駆けつけた蒼司は今にも泣き出しそうに顔を歪めていた。紫織が落ちるところを目の前にしながら何も出来なかった事に酷くショックを受け、今まで放心していたのだ。
「痛むのは背中ですね!?」
紫織の異変にようやく我を取り戻した蒼司は何を血迷ったのか、右手で彼女の体操服の裾を掴んでそのまま捲り上げようとしたのだ。
「やっ、蒼司さん!?」
「もしや骨に異常があるのかもしれません。すぐに手当てを・・・!」
「止めて下さい!ちょっと!」
下着を校庭の真ん中で晒す事だけは避けたい紫織は痛む背中を庇いながらも必死に抵抗した。
蒼司の心配は紫織にとっては大体において、大げさでありがた迷惑だった。
「本当に、大丈夫ですから!手を、手を放して下さい!」
一瞬にして敵味方を問わず従わせた紫織だったが、最も彼女を主と慕う蒼司には通用しないようだった。
「いえ、怪我を軽く見てはいけません。さ、早く・・・」
「その手を今すぐ放さないと本気で殺るわよ〜蒼君」
背後にただならぬ殺気を感じた蒼司は振り向こうとしたが、首筋に鋭い痛みを感じ、動きを止めた。
「・・・なぜ刃物を持っているんだ」
「武器用じゃないわ。救急セットに入っていた包帯切るための医療用のやつよ」
「その医療用をなぜ俺に向けるんだ・・・少し切ったではないか」
「変態セクハラ野郎には良い薬でしょう。さ、とっととその手を放しなさい。私もいい加減この展開には飽きたのよね〜つっこむのも疲れるんだから」
最後の方は完全にただの愚痴になっていたが、彼女の本気を感じ取った蒼司は頭に疑問符を浮かべながらも素直に紫織から手を放した。
「せくはらなどとまた意味の分からない事を・・・紫織様のお怪我の手当てが先だろう」
「蒼君がいる限り手当てなんてずっと出来ないわよ。いいから蒼君は皆の傷の具合を見てあげて、一応医学の心得はあるんだから」
「・・・分かった」
蒼司は反論を試みたが、翠の手にあるハサミが鈍く光るのを見て断念せざるを得なかった。
しょんぼりと肩を落として去って行く少年を横目に、翠は紫織を丁寧に立ち上がらせると、そのまま校内の保健室へと連れて行った。
「皆さんもお怪我をされているのに私だけなんて・・・」
「重傷者は後で連れて行くから大丈夫よ。紫織ちゃんは服を脱がせなきゃ手当て出来ないから誰も来ない内にささっとやっちゃいましょう」
「・・・私のせいで、本当にすみません」
歩くたびに痛みが走るのをやり過ごしながら、少女は俯いた。元はと言えば、先程の喧騒の原因は自分にあるのだ。暴れて落ちなければこんな事にはならなかったかもしれないのに。
「さっきまでの勢いはどこに行っちゃったの?紫織ちゃんカッコ良かったわよ?思わず拍手しそうになったくらい」
それは紫織自身不思議に思っていた事だった。鞍馬に反論したり大声を出したり命令をしたり・・・普段の自分からは全く考えられない事だ。
昔から父には頑固で大人しいが時折凄い事をする、と言われていたが、今回の事がその凄い事なのだろうか。
「さっきは・・・あの・・・まぐれ、です」
恥ずかしそうに声を震わせながら俯く紫織だったが、あの時の彼女からは確かに九条家直系の威厳が感じられた。
現当主である紫郎を髣髴とさせるあのオーラは幻だったのだろうか――いくら考えても答えなど出るわけもなく、気付いた時には保健室の前まで来ていた。
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