「鞍馬・・・!あいつ、必ず殺してやる・・・!紫織様に触れるなど・・・いや、殺すだけでは生ぬるい・・・捕らえて拷問にかけて・・・」
 「蒼君、その拷問には私も付き合うけど今は紫織ちゃんを迎えに行く方が先よ」
 「何?」

 怒りに燃えていた蒼司だったが、翠が指で示した先にはいまだ鞍馬の腕の中で固まる主の姿があった。

 「返すって言っていたけど信用出来ないし・・・って!?」

 彼女の言葉を聞くや否や、すぐに駆け出した蒼司に翠は唖然としたが、すぐに笑いながら後を追いかけたのだった。


 「鞍馬ぁー!!紫織様から今すぐ離れろ!!」

 鬼のような形相と鬼のようなスピードで近付いて来る蒼司に、けれども鞍馬は怯む事無く面白そうに口の端を持ち上げた。

 「あぁ、蒼司。怪我なんて嘘のように元気だね。この分ならリレーに出場出来るんじゃない?」
 「そんな事はどうでもいい!早く紫織様から汚らわしい手を離せ!」
 「今手を離したら怪我をすると思うけど、いいんだ?」

 俺って蒼司と違って背が高いからさー、と楽しげに加える鞍馬の挑発に、蒼司は乗ってしまった。

 「背が高いからなんだと言うのだ!貴様は栄養が全て身長に行って脳へと行かなかっただけだろう!」
 「橙夜様に向かって何て暴言を!こちらが大人しくしていればいい気になって・・・!」

 何時の間にやらやって来ていた朱里が、今度は蒼司の挑発に乗る。
 憎憎しげに美しい顔を歪ませて蒼司を睨むと紫織に視線を移した。

 「それとあなた、いつまで橙夜様にしがみ付いているおつもりですの?いい加減に離れたらどう!?」

 彼女を睨みながら、悔しそうに真っ赤な唇を噛み締める朱里に、漸く状況を理解した紫織は顔を真っ赤にしながらもがいた。

 「あああの!降ろして下さい!」

 よく考えたら今の格好がどんなに恥ずかしいか。大衆の面前でお姫様抱っこをされるなんて――今更ながらに背中や膝の裏に回った彼の手を感じて心臓が早鐘を打つ。
 以前蒼司にも同じように抱えられた事があったが、あの時はそんな事を気にしている余裕がなかった。だが、これは予想以上に恥ずかしい。

 「あぁ、危ないよ」

 鞍馬は暴れる少女を嗜めるが、慌てていた紫織は少しでも早く彼から離れようともがく一方だった。そして――

 「危な・・・っ!」

 案の定、体勢を崩した鞍馬の腕の中から紫織の体は放り出されてしまった。
 蒼司はすぐに動こうとしたが、完治していない肩に激痛を感じ、主に手が伸ばせなかった。

 彼の目の前で地面へと体を打ちつけた紫織は小さく呻いてその場に蹲ってしまう。

 「ぅぐ・・・」

 背中が酷く痛む。幸い頭は打たなかったが、一瞬息が止まり、次の瞬間激しく咳き込んだ。

 「紫織ちゃん!大変・・・大丈夫!?」

 素早く彼女を抱き起こした翠が鞍馬を振り仰いだ――その茶色の瞳には確かな怒りが見えた。

 「どういうつもり?紫織ちゃんに怪我をさせて・・・最初からそれが目的だったのかしら」
 「何を言っているの!その子が勝手に暴れて勝手に落ちただけですわ!」
 「何ですって!?」

 翠は立ち上がり、朱里と対峙する。どちらかが動けばすぐにでも戦闘が始まりそうな緊張感に周囲は包まれた。
 殺気立った雰囲気に触発されるように集まってきた生徒達はお互いに睨み合う――そこにはすでに平和な体育祭の姿は無かった。

 「・・・100メートルの時、お前俺を押したよな」
 「あのレース、てめぇ妨害しただろ」
 「ずっと私の事睨んでいるわよね」

 一人が口を開くと、それが波及し、今まで不満を積もらせていた生徒達が次々にそれを爆発させ始めた。
 そして徐々に文句から口喧嘩、そして罵倒へと発展して行き、手が出るまでにはそう時間はかからなかった。

 「う・・・止めて・・・」

 何とか起き上がった紫織は苦しげに息を吐きながら懇願するが、それは臣下達にさえ聞こえなかった。

 「お願い、だから・・・」
 「無駄だよ」

 彼女の横に鞍馬はしゃがんで、興味無さそうに目の前の喧騒を眺めた。

 「これまで大人しくしていただけでも十分だったんじゃない?これじゃぁもう体育祭は・・・」
 「続けます!」

 弱々しげに見えた彼女の大声に、鞍馬は驚いて思わず少女に目を向けた。
 いつもは頼りなげに逸らされる漆黒の瞳が、今は涙を溜めながらも懸命に鞍馬を見返していた。

 「この体育祭を成功させるって・・・皆さんと約束したんです!」

 加えて、この体育祭が両家の和解のきっかけになれば、とも考えていたのだ。それなのに――

 ポロリと涙が地面に零れ落ち、小さな染みが出来るのを見た鞍馬はつい、と視線を逸らし、

 「泣いてても仕方ないだろ。続けたいんなら、これを止めないと」

 彼女を励まそうと思っているのか、ただ自らが楽しみたいだけなのか、そう言うと、立ち上がり応援席へと帰って行った。

 「止める・・・」

 柔らかそうなオレンジ色の髪が風に靡くのを無意識の内に見つめながら、紫織は背中の痛みに耐えて立ち上がると、意を決して大きく息を吸い込んだ。  











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