「体育祭ですか?」

 持っていた竹刀を置いて、汗を拭っていた紫織は思いがけない言葉に思わず聞き返してしまう。
 紫織の驚いた様子に翠は満足そうに頷くと、一枚の紙を彼女の前に差し出した。そこには色守学園高等部春の体育祭、と大きくカラフルにプリントされており、スポーツをする動物がかわいらしく描かれていた。

 「こんな学校だけど、一応行事はあるのよ。5月の22日なの」
 「春の、と言う事は秋にもあるんですか?」
 「秋は競技大会があるわ。これは結構特殊で、銃の早撃ちとか剣術披露とかなの」

 いかにも一色学園らしい物騒な競技の数々に驚くどころか妙に納得しながら紫織はタオルを再び鞄にしまった。

 あの事件以来紫織は毎日朝と夕方、剣道を習っている。ようやく素振りが様になって来たばかりでまだ試合など到底出来ないのだが、部下達は皆そんな彼女を温かい目で見守っていた――黎を除いては。

 武道室では用事の無いほとんどの九条家の臣下達が己の技術を磨くためにやって来ていた。だが、紫織が通い始めてから一度も黎の姿を見た事は無い。

 グルリと武道室を見渡し、最後に扉を見たが、彼はいなかった。どうやら今日も来ないようだ。
 がっかりした少女が武道室の扉から目を離し、そっと溜息を落とした時だった。

 「紫織様!」

 聞き慣れた、凛とした声が武道室に響き渡る。
 名前を呼ばれた少女はすぐに声の持ち主に気付いたが、すぐにそんなはずはないと脳裏に浮かんだ人物を否定する。だって彼はまだ医務室のベッドの上にいるはずだ。

 だが、再び目を向けた扉の前には――

 「蒼司さん!?」

 車椅子の少年が紫織に向かって微笑んでいた。
 あの事件からまだ1週間程しか経っていないのに動いて大丈夫なのだろうか。

 慌てて駆け寄ると、彼の顔が随分と青白い事に気付く。そして着崩された浴衣の胸元からは痛々しい包帯が見え隠れする。

 「動いて大丈夫なんですか?」
 「そうよ。まだ寝ていた方がいいんじゃないの?」

 翠も心配そうに幼馴染を見やるが、肝心の本人は大丈夫だと言わんばかりに大きく頷いた。

 「紫織様に剣術を教えるのは私の役目でございます。いつまでも寝てはいられません」
 「でも・・・」
 「それに、もうすぐ体育祭もございます」
 「え?」
 「体育祭までに何とか走れるようにしたいのです」
 「た、体育祭・・・」

 蒼司はこんなにも学校行事を大切に考えるスポーツ少年だったのだろうか。

 呆然とする紫織の表情を横目で見た翠は慌てて言葉を挟む。

 「ごめんね、まだ紫織ちゃんには詳しく説明していなかったわね。実はこの体育祭は九条と鞍馬で争うのよ」

 日頃の血生臭い争いの場を運動場へと移して高校生らしく健康的に戦う事を目的に始められた体育祭であった。
 だが、平和的にスポーツに興じるはずも無く常に体育祭では怪我人が続出している。まさに血の体育祭であり、運動場は戦場と化していた。

 「重要なのは、勝った方が負けた方の言う事を1週間何でも聞かないといけないと言うルールなのよ」
 「え?でもそれじゃぁ・・・」
 「誰かが誰かを傷付ける、とかそう言う命令はルール上駄目な事になっているから安心して」

 言いながら翠はチラリと蒼司の方を見ると、噴出した。

 「あくまでお遊びの範囲内なのよ。去年だって・・・」
 「翠!」

 彼女が言い終わるより先に蒼司の声が鋭くそれを遮る。彼の顔は心なしか赤くなっていた。
 翠は未だ楽しそうに少年を見ている。その瞳にはからかいの光があり、酷く楽しそうに輝いている。

 紫織はとても気になったが、気まずそうに顔を背ける蒼司を気の毒に感じ、詮索をするのを止めた。

 「・・・今年は紫織様がいらっしゃいます。負けた場合鞍馬は紫織様に何か要求をしてくるはずです。それは避けなければなりません」

 気を取り直すように咳払いをすると、蒼司が口を開いた。翠も彼の意見に頷いて、神妙そうに眉を寄せる。

 「確かに。彼の事だからとんでもない事を要求してくるでしょうね」

 その時、紫織の脳裏に明るいオレンジ色の髪の少年が酷薄そうに微笑む姿がよぎった。何を考えているのか分からない彼だからこそ紫織も不安になる。

 「ご心配なさらずとも、私が必ず勝ちます」

 主を安心させようと蒼司が強気に言うが、青白い顔で言われても全く説得力が無い。
 翠は仕方ないとばかりに溜息を吐くと、

 「その怪我で出ようなんて無理だわ。蒼君は休んでなさい」
 「しかし・・・!」
 「足手まといよ」
 「・・・っ」
 「それに、今は怪我を治す事に専念するべきだわ。体育祭に出て怪我が悪化して、いざと言う時紫織ちゃんを守れなかったら後悔するのは蒼君なのよ」

 翠の諭しに蒼司が不本意ながら納得したのか小さく頷いたのを見て、紫織は密かに二人の力関係が分かったような気がした。

 いつもは頼もしい蒼司が急に幼く感じられ、おかしくなりながら、もう一度紫織は体育祭のプリントに目をやった。
 きっとプリントされているような、動物達が楽しげにやるものとは程遠い事になるのだろう。

 言い知れない不安を感じつつ、これが両家の融和のきっかけになれば、と考えて少女はプリントを握り締めた。











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