ガラリと音を立てて蒼司が扉を開けると、中にいた生徒達はおしゃべりを止めて一斉に扉の方へ目を向ける。

 今まで大勢から注目される事など新学期での自己紹介くらいしかなかった紫織は反射的に後ずさって蒼司の背中に隠れてしまう。
 多目的室と書かれた部屋は広く、中には100人ほどの生徒がいた。おそらくこれが九条家側の生徒全てなのだろう。紫織が通っていた高校は一学年360人ほどで全校では1000人を超えていたので少ないと感じたが、蒼司曰く鞍馬側も人数はほぼ同じらしい。

 「紫織様、どうぞ中へ」

 いつまでも室内へ入ろうとしない主に、蒼司は安心させるように笑むと優しく手を引いた。

 「あ・・・」

 ますます集まる視線に身を縮こまらせながら目を泳がせていると、目の前の生徒達が突然身を屈めた――いや、額づいたのだ。

 いわゆる土下座に紫織は目を丸くした。きちんと整列して頭を下げる姿は時代劇で殿様にするそれに酷似していたが、彼女は優越ではなく恐縮しか感じてはいなかった。

 どうしたらいいのか分からずにうろうろと目をさ迷わせていると、教室の隅に一人だけ額づかずに立っている生徒を見つけた。
 皆が頭を下げている中で堂々と顔を上げて紫織を見つめる黒い眼差しに彼女は震えが走った。

 ――何・・・?

 彼の、フレームなしの眼鏡の奥で光る鋭い一重の目は主を見るものではない。慈しむ蒼司のそれとは真逆で、侮蔑と嘲りが見て取れた。
 明らかに歓迎されていないと分かったが、紫織は不思議にホッとしていた。もしも全員から額づかれて、期待に満ちた目で見られたら逃げ出していたかもしれない。


 「あの・・・どうか顔を上げて立って下さい」

 少年から視線を外すと、そっと頭を下げる人々に声を掛ける。果たしてこれで良いのか分からないが、いつまでもこのままでは落ち着かない。
 少女の言葉に従うように一人、また一人と顔を上げて立ち上がる。

 全員立ち上がると、教室の隅にいた少年の姿は完全に見えなくなってしまったが、まだ彼は自分を睨んでいるだろう、と紫織は何となく考えていた。

 ぼんやりしている少女の横で、蒼司が一歩前に進み出た。

 「もう分かっていると思うが、こちらに居られるのが九条紫織様だ。いずれ九条家を継がれるお方である。今日からこの学校で学ばれる事となった」

 転校生を紹介するようなそれに、紫織は慌ててお辞儀をした。

 「は、初めまして。九条紫織と言います。これからよろしくお願いします」

 あまりにも主である威厳を感じさせない挨拶に蒼司は苦笑したが、他の生徒達は一様に困惑した表情を見せていた。彼らからすると主が臣に頭を下げる事などありえないのだ。
 だが、紫織は時期当主としての教育を受けていないため、そんな事情など知らない上に彼女自身未だに時期当主としての自覚が足りなかった。

 「紫織様は最近お家の事情を知ったばかりで戸惑っておられる。我らの使命は彼女をサポートすると共に鞍馬から必ずお守りする事だ」

 凛とした少年の言葉に、身を引き締めた生徒達が声を揃えて肯定の意を表す。
 まるで軍隊のようなそれに、紫織は息を呑みながらも心中ではある思いを抱えていた。

 ――言わなければ。

 夢物語に過ぎないのかもしれない。現実が見えていない理想なのかもしれない。だが、それでも。

 このままでは何も始まらないのだから。


 「あの・・・私、皆さんに言わなければならない事があります」

 緊張で声は震えていたが、歪みない決意を込めて紫織は拳を握り締めた。

 「私は鞍馬さんと争うつもりはありません」

 ざわっ、と目に見えて色めき立つ生徒達に彼女は続けて言った。

 「出来れば和解したいと考えています。今まで戦ってきた方々にしてみたら勝手な言い分だろうと思います・・・だけど私は―――」

 紫織が言い終わるより先に、荒々しく壁を打ち付ける音が教室中に響き渡り、彼女の言葉をかき消した。

 刹那、水を打ったように静寂がおとずれるが、我を取り戻した者から順に音源を辿るようにして振り向いていく。
 紫織も言葉を続けようとはせずに、皆が見る視線の先を追いかけてハッとした。

 それは、一人平伏せずに紫織を睨んでいたあの少年であった。


 「・・・戦う気が無い?ふざけるな」

 声変わりをしたばかりの、少し低いその声は少年らしさが滲み出ていたが、少女を恐怖させるには十分すぎるほどの怒気を孕んでいた。

 「おい、無礼だろう。彼女は我らの主になられるお方だ」
 「俺はあいつが主だなんて認めない」

 すぐさま蒼司が進み出て、少年を制そうとするが、彼は全く意に返さず漆黒の瞳で鋭く少女を射抜いた。

 「っ・・・」

 しかし、脆弱な少女は言い返す事も出来ずに戸惑うばかりだ。その様子に少年はますます苛立ったように眉を寄せると一人、教室から出て行ってしまった。

 再びざわつく教室内で、少女は自分が行おうとしている事がどれほど無謀であるのかを改めて悟ったのだった。    











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