10
ドアの向こうから現れたのは意外な事に蒼司ではなく黎であった。鞍馬は一瞬目を見開いたが、すぐに楽しげに目を細めると足を組みなおす。
「やあ。この部屋、ちょっと借りてるよ」
「何・・・?」
あまりにも緊張感の欠片もない物言いに、戦闘体勢に入っていた黎はやや拍子抜けした。鞍馬に会うのはこれが初めてだったが、正直意外だった。
情報によると、当主である父の代わりにほぼ全ての業務を行っていると聞いていた。頭も切れる厄介な相手だと。それなのに――
戸惑う様子を感じたのか、鞍馬は意地の悪そうな笑みを浮かべると、少し長めの癖毛を無造作にかき上げた。
「この髪を見れば分かるだろ?俺が、鞍馬橙夜だよ。君とは初めましてだよね」
黎の鋭い漆黒の瞳が鞍馬のオレンジ色に脱色された髪を捉える。
色の名を冠しているからと言って、その色に髪を染める者がいるとは。黒を冠する黎の黒髪はもちろん自然色である。
格好といい、おどけた調子といい、ふざけているとしか思えない。
「・・・目的は何だ」
「目的?んー、特には無いんだけどね。しいて言うなら、暇だったからかな」
「は?」
「二人に九条のお嬢さんを紹介したかったってのもあるけど、これも思いつきだしね」
意味が分からない、と黎は困惑しつつも、もしかしたらこれは相手を油断させる罠かもしれないと疑う。
様々な憶測が脳内を駆け巡り、一瞬少年の気がそれた。
その瞬間を、鞍馬は見逃さない。素早く銃を手にとると少年に向かって1発放った。
その弾丸は、わざと外したのだろうか、黎の左の頬を掠めると、そのまま壁にめり込んだ。
「・・・っ!」
熱い痛みと共に、ドロリとした液体が頬を伝うのも構わずに、黎は腰の刀を抜いた。3対1で、銃と日本刀ではかなり不利だが仕方ない。情報を聞いて慌てて駆けつけたので刀以外の武器を持って来なかったのだ。
「鞍馬・・・お前は俺が殺す」
乱暴に零れ落ちる血を拭いながら、地を這うほど低い声で言った言葉には底知れぬ憎しみがあった。
普段は冷静な黎が無謀にも応援を待たずに一人でやって来たのは彼が鞍馬に個人的な恨みがあったためだ。
それを、果たす時が漸く来たのだ。
高まる感情に、武者震いをしつつ足を踏み出そうとした刹那、
「止めておけ」
背後から感じる恐ろしいほどの殺気が黎の体を凍り付かせた。
慌てて振り向くと、いつからいたのだろうか、蒼司が紫織には決して見せない目をして立っていた。
「今のお前では犬死するだけだ。下がっていろ」
「・・・っ・・邪魔をするな!」
圧倒的な力の差を感じながらも黎は食い下がった。この機会を逃したくは無い。
「聞こえなかったのか?俺は下がれと言ったんだ」
だが、蒼司のこの一言で黎は下がらざるを得なくなった。彼と黎は同じ御三家であり、従う必要性はないのだが、その言葉には有無を言わさないものがあった。
悔しげに唇を噛みながらも刀を収める黎を見て、鞍馬は満足げに蒼司の闇よりも暗い漆黒の瞳を見る。
「ようやくいつもの調子に戻ったみたいだね。あの子の前では猫被ってたわけ?」
「黙れ」
「みっともないくらいベタ惚れってわけだ・・・一緒の部屋で夜を過ごすくらいには」
「!やはり、貴様・・・」
目に見えて殺気が色濃くなる蒼司に鞍馬は臆する事無く、飴玉をわざと音を立てて口中で転がしてみせる。
「そんなに怒るなよ。いくら俺でも敵の女に手を出すつもりは無いって」
「・・・」
信用出来ないとばかりに睨む蒼司に鞍馬は内心で苦笑する。確かに彼の女遊びは有名だが、一族とは関係の無い女しか、面倒事にならない女しか相手にしてこなかったのに。
昨晩の事は彼にとっては冗談だったのだ。
「それに、俺はもっとセクシーな方がタイプだしね」
とってつけたような言葉に、蒼司は過剰に反応を示した。
「何を言う!紫織様は大変魅力的だ!せくしぃだ!」
「・・・襲って欲しいわけ?」
「そんなわけあるか!」
「どっちだよ」
相変わらず彼女の事となると盲目的だと呆れながらも鞍馬は気付いていた、廊下から近付いて来る気配に。
しかし、頭に血が上っている蒼司は気付かなければならないのに、気付いていなかった。
本当に盲目的だと考えながら、鞍馬は内心で笑みを浮かべる。暇つぶしに持って来いの遊びを思いついたのだ。
「・・・本当に君は俺を飽きさせないね」
そして、薄茶色の瞳を細め銃を少年へと――正確には彼の後ろにあるドアへと向けた。
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