広い和室に敷かれた布団の中から紫織はぼんやりと障子の隙間から漏れる月光を眺めていた。
 ひたすら眠気に襲われるのを待っていたが、1時間経っても何も変わらない事に少し溜息を零すと諦めたように起き上がる。

 普段は6畳ほどの自室のベッドでパジャマを着て寝ていたが、今夜は何もかもが違う。20畳はあろうかと言う和室は眠るのには広すぎたし、寝巻き代わりの浴衣にも違和感を感じる。

 慣れない環境と今も耳にこびり付いて離れない祖父の言葉が睡魔を奪って行く。

 春だと言うもののまだ肌寒い空気に震えが走るが、紫織は布団から抜け出した。障子を開けると美しい日本庭園が月光の下に広がっている。

 「綺麗・・・」

 思わず零すと、吐き出された息が僅かに白くなって消えた。
 縁側に腰を掛けて、目を瞑る。そうすると水の流れる音、鯉の跳ねる音、葉が騒ぐ音など様々な自然の声が聞こえて来て、心が落ち着いてくる。


 どのくらいそうしていただろうか、ふと背後に人の気配を感じて振り返ると、蒼司が険しい表情で立っていた。

 「あの・・・」

 慌てた紫織が立ち上がるより先に、彼女の寒々しい格好を見咎めた蒼司が無言で自分の羽織を脱ぐと少女の華奢な背中に掛けた。

 「お体に障ります」

 しばらく状況が飲み込められずに呆けていた紫織であったが、背中に感じる温もりにハッとして立ち上がった。

 「それではあなたが風邪をひいてしまいます。私はもう部屋に帰りますから・・・」
 「いえ。眠れないのでしょう?私でよろしければお付き合い致します」
 「でも・・・」
 「私は武士です。寒さなどには屈しません」

 脱ごうとした羽織を押しとどめられて、それ以上反論出来なかった。縁側に座る蒼司に促されて横に座ると明るい光に釣られる様に二人で月を眺める。

 「・・・今夜は満月でしょうか」
 「明日あたりが見頃だそうですよ」

 他愛も無い話が心地良い。何を言われるかと緊張していた紫織だったが、徐々に肩の力が抜けていく。それを感じ取ったのか、一瞬沈黙が訪れると、蒼司は意を決したように口を開いた。

 「・・・不安ですか」

 何が、とはお互い明言せずとも分かっていた。紫織が戸惑いながらも小さく頷くと、蒼司は淡く笑んだ。

 「無理もない・・・あなたは今まで戦いとは無縁な生活を送っていらっしゃったのだから」
 「戦いだなんて、私には無理です・・・」

 話を聞いて、鞍馬家の行いを酷いとは思ったが、憎いとは思えなかった。殺し合いを行う事についても理解出来ず、お互いを滅ぼし合う以外にも道はあるのではないか、と思ってしまう。そして何よりも、自分が剣を取る事が恐ろしい。

 「やっぱり私には・・・」
 「紫織様が不安になる事はございません」
 「え?」
 「私が命に代えてもお守り致しますから」

 優しく、けれど信念を持って言う少年を月が煌々と照らし、漆黒の瞳がまるで黒曜石のように美しかった。少年が心の底からそう考えて言っているんだと伝わって来る。

 だが、紫織は彼の言葉で微笑む事は出来なかった。安心よりも、むしろ不安が心に渦巻き、唇を噛み締める。

 「命に代えて、なんて・・・言わないで下さい。蒼司さんは一人しかいない・・・代わりなんていないんですから」

 きっと、彼は言葉通り紫織が危険に晒されれば何の迷いも無く盾になるだろう――それが使命だとして何の憚りも無く。それが酷く恐ろしく思えた。

 「ご心配なさらずとも、私には弟がおりますので、間宮家の血が途絶える事は無いと思います」
 「そう言う事じゃなくて、私は蒼司さん自身の身を心配しているんです・・・!」
 「?私はあなた様の臣です。ご心配頂けて光栄ですが、私の事など捨て置いて下されば結構です」
 「ですから―――」

 さっぱり自分の話を理解してくれない蒼司に、紫織はさらに続けようと身を乗り出したが、きょとんと切れ長の目を瞬かせる彼を見ると、

 「・・・いいです、分かりました。私が危険な目に合わない様に努力します」

 諦めて、乗り出していた体を戻した。
 蒼司に止める様に言ったところで仕方が無い。紫織さえ安全ならば彼も危険な事はしないだろう。敵対しているとは言え、本家に篭っていればそこまで危険はないはずである。学校の登下校さえ何とかなれば――

 そこまで考えて、ふと気付く。紫織が九条家本家に住む事は確定した。だが、高校はどうなるのだろう。本家まで車で何時間もかかったのだから、ここから高校へ通うのは不可能に近い。祖父も学校の話まではしていなかった。

 まさか高校にこのまま通えなくなるのでは、と不安に駆られ、蒼司に聞いてみると色よい答えが返って来た。高校へは通えるらしい。
 それを聞いてホッとした紫織であったが、続けて彼が予想だにしていなかった言葉を口にして、目を丸くする事となる。  











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