「私が、ひ、め・・・?そんな・・・人違いではないんですか?」

 困惑で声を震わせる紫織を仰ぎ見ると、少年は酷く事務的に答えた。

 「いえ。あなた様は間違いなく、私がお仕えすべき主であり、九条家を継ぐお方でございます」

 目の前で今にも泣き出しそうに大きな瞳を揺らす少女は写真で見た時よりも一層儚げに見えた。
 今まで戦いとは無縁で生活して来たのに突然命を狙われたのだから仕方がないだろう。本当なら詳しい説明をして彼女を落ち着かせべきだと分かっているが、今は一刻の猶予も無かった。

 警察や新手の敵が迫っているかもしれない。少しでも早く紫織を九条家へ連れて来るようにと命を受けている少年にとって、それは避けたい事態であった。

 これ以上ここに留まる事は得策ではない。少年は洗練された動作で立ち上がり、彼女の前に右手を差し出す。

 「すみません。詳しい説明は後で致しますので、今は私を信じて付いて来て下さいませんか?」

 それは申し出と言うよりは命令に近かった。少年の漆黒の瞳から有無を言わさぬ強い光を感じて紫織は思わず目をそらしてしまう。
 いけない、と本能が勢い良く警鐘を鳴らす。彼に付いて行ったら何かとんでもない事件に巻き込まれそうな、自分の人生が大きく狂って行くような不思議な確信が紫織にはあったのだ。

 「あの、私は・・・」

 断ろうと思い、口を開いたのだが、突然玄関から飛び込んで来た罵声で彼女の声はかき消されてしまう。

 「警察だ!誰かいるか!?」

 この騒ぎに誰か通報したのだろう、警察が駆けつけて来た。
 紫織はホッとして警察の元へ行こうとしたのだが、

 「えっ?」

 いつの間にか、差し出されていた少年の手が少女の手首を掴んでいたのだ。

 「申し訳ございません」

 そして、一言謝ると素早く紫織を横抱きにして持ち上げた。

 「きゃぁ!?」
 「口を閉じていて下さい。舌を噛みますよ」

 言葉少なに注意を促すと、割れて、既に機能を果たしていない窓から勢い良く外に飛び出す。

 混乱しながらも振り落とされないように必死に意外に逞しい少年の体にしがみ付いていると、

 「蒼司様、こちらです!」

 突然高級車が目の前に止まり、運転席から一人の男性が降りて来た。そして恭しく二人に頭を下げると後部座席を開ける。

 「乗って下さい」

 言いながら少年は抱きかかえていた紫織を後部座席に下ろすと自らも素早く乗り込んだ。

 展開について行けずに呆然と男がドアを閉めて運転席に向かうのを見て、紫織は漸く事態が最悪の方向へ向かっている事を理解する。

 車に乗せられたら終わりだ。どこへ連れて行かれるか分からない。

 「待って下さい!私は行きません!降ろして下さい・・・!」

 ドアを開けようにもロックが掛けられているのか、ビクともしない。
 僅かな望みに縋って隣に座る少年に詰め寄るが、彼は表情一つ変えずに運転席に向かって残酷に言い放った。

 「出せ」
 「しかし・・・」

 運転手の男は迷うようにミラーを、いやミラーに映る紫織を見る。あんなにも嫌がっている少女を無理やり連れて行くことに少しばかり罪悪感を感じているらしかった。

 だが、少年は無情にも再び車を出すように促し、念押しとばかりに、

 「これは紫郎(しろう)様のご命令だ」

 この一言で運転手は意を決したように頷くと車を発進させる。

 「止めて下さい!私をどこへ連れて行こうと言うのですか!?」
 「・・・姫様」

 襟を掴む紫織の手を包み込むように握り、彼女を落ち着かせるように優しく撫でる。
 困惑と恐怖から溢れ出る涙を痛ましげに見つめながら、彼女の手を己の額に押し当て、懇願に近い声で少年は言った。

 「このような無礼を働いて申し訳ございません。ただ信じて下さい、私は姫様に危害を加えるつもりなど決してございません」
 「でも・・・」
 「私は姫様をお守りしたいだけなのです」

 なぜだろう、不思議と心が落ち着いていくのを紫織は感じていた。それは少年の手が温かかったためなのか、彼の声が少し震えていたためなのかは分からなかったが、どうしても少年が悪人だとは思えなかった。

 彼は殺されそうになった紫織を助けてくれた、いわば命の恩人である。奴らの仲間ならばそんな事をするはずはないだろう。警察から逃げたのも、こうして車に乗っているのも何か事情があるからではないだろうか。

 ではその事情とは何だろうか。そして、そもそも彼らは何者なのか。

 状況を理解するにはあまりに情報が足りない事に気付き、紫織は胸に渦巻く疑問を素直に少年にぶつけてみる事にした。











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