仏壇の前に座る少女は、しばらく無言で目を瞑って手を合わせていたが、8時を告げる時計の音でゆっくりと目を開いた。

 昨日で春休みは終わり、今日から新学期である。少女もこの春、高校二年生になった。8時には家を出ないと電車の時間に間に合わない。
 急かすように鳴り続ける時計の音に一抹の寂しさを感じながらも脇に置いてあった鞄を取った。

 「・・・行って来ます、お父さん、お母さん」

 仏壇に飾られているのは2枚の写真――少女、九条紫織の両親である。

 母は、まだ紫織が幼い時に病気で亡くなった。物心も付いていなかった彼女に母の記憶はほとんど無かった。
 だが、寂しさを感じた事は一度もなかった。母の分も父が愛してくれたからだ。

 しかし、その父も先日事故でこの世を去った。彼女には他に兄弟もおらず、親戚も祖父母もない。頼れる者は誰一人いない、天涯孤独になってしまった。

 残された保険金と慰謝料で何とか生活していけるが、それでも広い家で一人きりは寂しくてたまらなかった。
 笑い声の無い家、一人きりの食事。家にいるのが辛く、新学期は紫織にとってありがたかった。学校に行けば家にいる時間が短くなり、友人との会話で気が紛れる。

 「・・・行って来ます」

 玄関を開けてからもう一度室内を振り返って呟く。当然返事など返って来ない。
 その事に、少しだけ傷付いたが、すぐに思いを断ち切るようにドアを閉めた。

 そして、鍵をかけてから、駅に向かおうと足を踏み出した瞬間、


 ガシャーン


 「!?」

 誰もいないはずの家の中から何かが割れるような、物凄い音が聞こえて来たのだ。
 その後も、立て続けに鳴り響く破壊音に、紫織は無意識の内に後ずさりをする。

 もしかしたら泥棒かもしれない。いや、何かの事件で追われている犯罪者なのではないか。

 様々な憶測が瞬時に頭を駆け巡る中で一つの結論が出た。

 「警察・・・!」

 そうして震える手で鞄の中から携帯電話を取り出して110番をしようとした時、背後に一陣の風が吹いた。

 ――え・・・?

 自分の長い黒髪が巻き上がるのを呆然と感じながら首筋に硬くて冷たい物を押し付けられる感触に息を呑む。

 「・・・九条家の者だな」

 低い男の声で尋ねられるが、紫織は恐怖で返事すら出来ずにいた。
 彼女が答えない事に男は小さく舌打ちをすると、玄関のドアを蹴破って中に紫織を押し込んだ。

 「きゃっ」

 段差に足を取られて倒れこむ紫織を気遣う事無く、男はすぐに少女の華奢な二の腕を掴んで立ち上がらせた。

 「痛いです・・・!」
 「おい、本当にこいつが九条家跡取りなのか!?」

 苦痛を訴える少女を無視して男はぶっきらぼうに室内に向かって怒鳴った。

 男の声に答えるように、部屋の中から数人の男が姿を現して、紫織はゾッとした。
 彼ら全員が、今まで紫織が目にした事も無い、銃やナイフと言った武器を持っていたからだ。

 ――彼らは一体何なんですか・・・!?

 少女の叫びは、しかし声にはならず、唇が震えるに留まるのみだった。
 彼女の怯えは中にいた男達にもすぐに知れたようで、侮蔑を含んだ眼差しで紫織を見下ろす。

 「情報が間違っていなければその女で間違いない」
 「拍子抜けだな。これなら俺一人でも十分だった」
 「こんな小娘だとはな。で、誰が始末する?早くしないとポリ公が来るぞ」
 「派手に窓を割るからいけないんだろ。だからお前とは組みたくないんだ」

 紫織を無視して会話の応酬を繰り広げる男達を前に、ようやく彼女は口を開いた。

 「あの・・・あなた方は一体どなたなんですか?何のためにこんな事を・・・」

 紫織からしてみれば、当然の疑問をぶつけたのだが、男達は呆れたように少女を見やる。

 「何だ?まさか何も知らないのか?」
 「それも仕方ないんじゃねぇか?噂によると次期当主が女と駆け落ちして家を出たって話だったし」
 「家を捨てたのか。じゃぁこの女も九条家とは関係ないって事にならないか?」
 「家を捨てても俺達にとっては憎い敵に違いない。それに、その女はちゃんと色を受け継いでるだろ」
 「まぁとにかく女を始末すればいいんだろ。そう言う命令なんだから」

 男達の話を聞きながら必死に理解しようとしていた紫織だったが、会話が途切れ、突如向けられた殺意に思考が停止した。

 「恨むなら自らの生まれを恨むんだな」

 残酷に最期を告げると、無感動に少女の小さな額に銃口を押し当てる。
 ゾッとするほど冷たいそれに、体中の熱が奪われるような錯覚に陥る。

 「あ・・・」

 血の気が引いていき、指一本動かせない。叫び出したいのに、喉がカラカラに乾いて言葉が出てこない。

 「じゃぁな」

 こんな、訳のわからない状況で何も理解出来ないまま死ななければならないのか。

 男の指が引き金を引いていく瞬間が、まるでスローモーションを見ているように鮮明に視界に映る。


 ――もう駄目・・・!


 体を震わせ、堅く目を閉じた紫織に訪れたものはしかし、死ではなく、彼女の人生を変える、運命の邂逅だった。











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