「帰ったかクラウン、どこぞへ出かけておったのじゃ?まだ太陽も出ておるに」

 クラウンが城に帰って来た時、いつもは寝ているはずのヴェルが自室でまったりと紅茶を楽しんでいた。青年は珍しい光景にほんの一瞬眉を寄せたが、すぐに無表情に少年に向かって行く。

 「・・珍しいな・・いつもは寝ている時間なのに」
 「余もたまには食後の紅茶が飲みたくなるのじゃ・・それに面白い遊びを思いついて気分が高揚しておる」
 「遊び・・・?」

 語尾を少しだけ上げて疑問だと示すクラウンの表情は少しも怪訝そうではなかったが、ヴェルは気にもせずに同席を促すように手に持ったティーカップを掲げながら、

 「あのフィードの娘と勝負をする事になったのじゃ。満月までの僅かな時間の余興にでもなるだろうと思うてな」
 「・・・一体どんな遊びを?」
 「簡単な事じゃ。単なる鬼ごっこ・・娘が逃げ切れば余の負け、逃げ切れねば余の勝ちと言うわけじゃ。娘が勝てば元の世界に返してやる事になっておる」

 まぁ勝負にもならぬだろうが、と呟き優雅に紅茶に口をつけるヴェルにクラウンは今度は顔に出して怪訝を露にした。
 今までヴェルがフィードに興味を示す事は無かった。ただノーブルに、自分に殺されるためだけに存在し生きているに過ぎない無意味なものであると思っていた。暇つぶしの道具に過ぎないと。

 「・・それなのになぜ・・」

 思いがけず言葉に出てしまった事に自ら戸惑いながらチラリと少年を見るとちゃんと聞こえていたようだ。

 「?先程から申しておるだろうに。遊び、いつもの余の暇つぶしに過ぎぬ事ゆえ、そう気にする事ではなかろう」
 「・・だが、いつもの暇つぶしとは違う」
 「そうであろう。余はあのフィードを殺さぬのだから・・殺しなしの遊びと言うのも初めてゆえ何やら新鮮に思えるだけじゃ」
 「・・・ああ」

 頷きながら、しかしクラウンは全く納得していなかった。確かに今までのフィードを相手とする暇つぶしに比べれば異なるものであるが、何よりもヴェルの心の変化を感じ取った。

 長年傍にいたから分かる、僅かな違いだが青年にははっきりと分かっていた。今までは単に殺しを楽しんでいたヴェルが、殺さない遊びを提案する事自体奇妙だったのだ。
 聖は殺してはならない理由があるから仕方ないとは言え、それほど少年は苦痛に思っていないように思う。最初は呪いなど関係なく手に掛けようと思っていたようだが、今は違う。勿論少年がノーブルの力を失っている事は関係しているだろうが、それでも本性は変わっていない。残酷で冷酷な快楽主義者。

 ヴェルは突然一気に紅茶を煽るとカチャンと音をたててそれを置く。

 「実はもう遊びは始まっておる。今頃あの娘、城から出ようと躍起になっておるだろう」

 









 ヴェルの予想通り、聖は城を抜け出そうと必死に走り回っていた。もうかれこれ1時間近く経っているのだが、一向に出口が見当たらないどころか下に降りる事さえ困難になっていた。
 果てしなく続く螺旋階段に目が回りそうになりながらもヨロヨロと下っていく。元から体力はない方なのですぐに息が上がってしまう。

 「どこまで続くのよ・・・っ!」

 この調子では夜になってしまうかもしれない。月明かりで足元は見えるだろうが、心細い事に変わりはない。ただでさえ恐ろしげな城なのだから。

 一度どこかで休もうと階段から外れ、どこで休もうかと考えていると廊下の突き当たりにとても豪勢に装飾の施された扉が目に入った。
 他の扉とは大きさも豪勢さも異なり、誰か貴人が住んでいた部屋なのだろう。

 少し迷ったがどうせ誰もいないのだから、と思い切ってドアのぶを捻ると、軋んだ音を立てながらすんなりと開いた。
 むわっと埃が立ち上がり、咳き込みながら昼でもカーテンのせいで薄暗い室内に入る。

 まずは光を遮っていたカーテンを開けると一瞬にして光で満ち溢れる。埃もより見えやすくなったのだが、聖はあるものに目を奪われていて気付いていなかった。

 「・・・ヴェル・・?」

 思わず呟いたが、そうでは無い事はすぐに分かった。部屋の中央の壁に飾ってある肖像画の人物は20歳前後の青年である。
 だが本当によく似ている。ヴェルが成長した姿を映し出しているように、髪の色も目も、勿論その美貌も全てが同じ。

 「・・お父さんか何かかしら・・」

 おそらく血縁者か何かだろうと言う思いがそのまま口に出ただけだったのだが背後から突如、

 「違う」

 不機嫌そうな声に振り向けばやはり肖像画の青年にそっくりの少年が眠そうに目を擦りながら立っている。
 驚いている聖の脇をすり抜けて太陽の光に目を細めつつ肖像画の正面まで来た。

 「これは余本人じゃ」
 「・・・は?」
 「だからこれは余だと言っておるのじゃ!」

 不機嫌そうな少年はどこからどう見ても10歳そこそこ。肖像画の人物は20歳前後の青年である。

 「冗談・・」
 「ではないぞ。これが余の本来の姿じゃ」
 「え・・だって年が・・・」
 「我らノーブルをフィードの観点で見るでない。余はもう500歳を超えておるのだぞ?一人前の青年じゃ」

 自信満々に言い放たれても日本人の平均的な身長の少女より遥かに小さい位置にある頭を見ていると納得出来る筈もなく、疑いの眼になってしまうのは仕方ない。
 ヴェルはますます不機嫌そうに少女を睨むと大仰に溜息を吐いて見せた。

 「これも余にかけられた呪いの一つなのじゃ・・こんな脆弱な姿では皆の前に顔を出せぬ・・」
 「・・呪いで幼い姿に変えられたと言う事・・?」
 「そうじゃ。最初からそう言っておろう?」

 分かったか、と言われてもやはり理解に苦しむ。非現実的過ぎて現実主義者を名乗る聖には頭が麻痺しそうなほど受け入れ難い事なのだ。
 だがもうとっくに現実離れした世界に来てしまった彼女なので、深く考えようとはせずに無理に自分を納得させながら今だ不機嫌そうに肖像画を見るヴェルに尋ねた。

 「・・ところで、あなたは私を追ってきたの?もう鬼ごっこは始まっているのよね?」
 「もう城を抜け出しておるかと期待したのだが、このような場で何をしておったのじゃ?」
 「・・疲れてどこかで休もうかと・・」
 「その程度でよくも城から逃げ出そうとしたものじゃ・・呆れても物も言えぬ」

 確かにその通りなので返す言葉もない。まさかこんなに大変なものだとは思っていなかったのだ。ヴェルの言った意味がようやく分かった気がした。

 ヴェルはしばらく呆れたように横目で少女を見ていたが、ふいに大きく欠伸をすると、

 「・・余はもう寝る。寝ておっても勝てる事がよう分かった」
 「え!?」

 完全に興味が失せたとばかりに涙目になりながら部屋を出ていく少年と呆然とその場に取り残された少女。

 勝負の行方はもう決まっているのかもしれない。    











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