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その後、クラウンに送られて部屋に戻った聖であったが、一睡も出来るはずがなかった。禍々しく光る月を避けるようにシーツの中に潜り込み体を丸めて夜が明けるのを待つ。
先程のヴェルの悲痛な叫びが耳に残っており、酷く胸騒ぎを覚えるのだ。どうしてか自分でも分からないのだが、あのまま少年を放っておくわけにはいかないと強く思う。
使命感にも似た感情の理由が理解出来ずに聖はますます苦しんでいた。
ようやく落ち着いたと思った時にはあれほど存在感のあった月は影を潜め、太陽が顔を覗かせていた。
「朝・・・」
耳を澄まして、ようやく聖は安堵の息を吐いた。大丈夫、もうあれは聞こえない。
緊張から解き放たれた刹那、強烈な眠気が襲い掛かってきた。気が抜けたのかがっくりと体の力が抜ける。スプリングのよく効いたベッドが悲鳴を上げつつ少女の体を包み込む。
もはや薄れゆく意識を保つ術など、彼女にありはしなかった。
どれくらい時間が経っただろう。ようやく眠りから覚めた時、日はまだ高く上っていた――昼頃だろうか。
ぼんやりとそれだけ考えると再び目を閉じ、そのままもう一度眠りの世界へと旅立とうとしていた聖であったが、
「おい!いつまで寝ている気じゃ」
耳元で聞こえた少年特有の澄んだそれにより、強制的に現実へと連れ戻されてしまった。
その声と話し方は霞がかかった頭でも人物が特定でき、瞬時に少女は青くなった。
がばり、と起き上がり見上げた先にいたのは紛れもなく――
「ヴェ・・ル・・」
昼に見る少年は夜とは違いフィード、人間にしか見えなかった。苦しんでいた姿とは想像もつかないほど涼しげな顔で忌々しそうに聖を見ている。
「馴れ馴れしくヴェルなどと呼ぶでない。余はセイクリードの王、ヴェルトリィト・ローズベルムなるぞ」
相変わらず偉そうではあったが、蔑むような響きは感じられなかった。聖にぶたれ、怒鳴られた事が効いているのだろう。
突っかかるわけでもなく謝るわけでもなく、ただぼんやりと自分を見詰める聖に気まずさを感じたのか、ヴェルは軽く咳払いをすると、
「ほら、食事だ。余が直々に持ってきたのだぞ、有難く食すがいい」
持っていた盆を突き出す。そこにはいつものようにパンと温かいスープ、飲み物が乗っていた。
朝を食べていなかった聖は素直に盆を受け取るが、一つの疑問も同時に芽生えていた。いつもはクラウンが持ってくるのに、どうして今日はヴェルなのだろう、と。
「・・クラウンは何やら用事があるそうじゃ・・それで余がこのような事をせねばならず・・フィードとは一日食事を摂らぬだけでも死に至る弱い生き物なのだと・・」
だからわざわざ余が持って来てやったのじゃ、とあくまで自分の本意では無い事を必死に告げる少年にようやく聖は安堵し、胸を撫で下ろした。
「別に一日食事をしないからって死にはしないわ。そこまで弱くないわよ」
「なぬ!?だが、クラウンは・・・」
「騙されたか、勘違いね」
「ぬぅ・・・」
ヴェルは前者だと判断したのだろう、悔しそうに唇を尖らせる姿は本当に愛らしい子供に少女には映った。
可愛い、と素直に思う。こんなに可愛らしい子が化け物であり、王であり、いつか自分を殺す存在だとはやはりどうしても思えない。
だが、少年の本性は違うのだ、と昨夜まざまざと知ってしまった。あのヴェルならば化け物と言われても納得出来る。
「・・このお城にはあなた達二人しかいないの?」
頭に過ぎった考えを振り払うかのように話題を変えるとヴェルはきょとんとしたが、思いの外素直に答えてくれた。
「そうじゃ。今は余とクラウンと・・そなただけじゃ」
「どうして?王様なんだからもっと仕える人が沢山いても・・」
「前はいた・・・だが、今はいらぬ・・いつ寝首をかかれるか分からぬゆえ」
そしてしばらく目を伏せてから顔を上げ、太陽の光に眩しそうに目を細めた。
「毒であるはずの太陽に当たる事がこれほど苦痛とはのう・・」
独り言のように呟いて、悔しげに歯を食いしばる。
「そなたの申す通り、今の余にさした力はない・・・ノーブル正統血統の余が・・」
「・・あの時は言い過ぎた、とは思うけど謝らないわよ。あなたも私を傷付けたんだから」
母性本能をくすぐられたのか、悲しそうな瞳に心が揺らいだが、これだけは譲れなかった。あの時ヴェルは聖に散々酷い言葉を吐きかけたのだ。喧嘩両成敗と言ってもいいだろう。
ヴェルは一瞬何を言われたか分からない、と言うように呆けたが、
「そなたはほんに変わっておる。今まで余が見てきたフィードとは大違いじゃ。異世界から来たからか・・」
「今までのフィードって?」
「皆、余を見るとまず逃げた。そして逃げても無駄だと分かると泣くか歯向かうかして来た。無駄だと分かっておろうに、何て愚かだ、と呆れたものじゃ」
ヴェルの言葉を聞き、聖が嫌そうに眉を寄せる事を、少年は気付かなかった。ただ本当に驚いて感じたままに話しているのだ。
「だが、そなたは違う。余が力を失っているとはいえ怯えもせず向かってくる・・・ほんに不思議じゃ。奇異と言っても良い」
「奇異とか失礼ね・・・私って現実主義者なのよ。突然ここは異世界であなた達は人間じゃなくて・・自分がいつか死ぬなんて言われても納得出来ない」
本当は認めたくないだけだ。もう十分現実を打ち壊すものを見させられてきた。だけど、それを信じたら壊れてしまいそうになるから――心が。
だから今は――
「信じないから。信じていないんだからあなたの事も怖くないわ」
怖い。死ぬのは嫌だ。帰りたい――矛盾する心を凍らせるしか自分を守る術が見付からないから。
精一杯の強がりでも、ヴェルには通用したらしく新しいおもちゃを発見した子供のような目で聖を見た。
「信じておらぬから怖くない、か・・・だが、そなたはこのままでは確実に死ぬのだぞ?それでも信じておらぬと言えぬのか?」
「逃げるわよ、ここから。まだ死ぬわけにはいかないんだから私」
「城から出られても街に出れば確実に生きては帰れぬぞ?」
「それでも逃げるのよ」
無邪気に聖の希望を打ち砕いていく少年に悪意は感じられない。だが、それ故に残酷だ。子供の純粋な心は時に人を傷付けるものだ。
気取られぬように必死に平静を装う聖に気付いているのかいないのか、ヴェルは楽しそうにニヤリと笑った。
「鬼ごっこだな?そなたが逃げて、余が捕まえる役じゃ」
「は?」
「そなたもただ死を待つのは退屈であろう?良い余興だと思わぬか?そなたが逃げ切れば国に帰してやろう」
「はぁ!?」
「城から出て、街の中央まで行けたらそなたの勝ちじゃ。どうだ?良い案だと思わぬか?」
「そんな事・・信じられるわけないでしょう?そこまで逃げても連れ戻されるかもしれない」
ヴェルの笑みが深くなると同時にルビー色の目が一層濃くなり鋭い光を放つ。昨夜見たそれに良く似た輝きに思わず身震いがした。
「その心配はない。逃げられる可能性など皆無なのだから。これは遊びと申したであろう?・・そなたは余の退屈しのぎのおもちゃに過ぎぬ。余を楽しませてくれよ?フィードの娘」
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