「よく眠れたか・・・?」

 朝、クラウンはと聖の元へやって来た。彼女にあんな事を言った後であるのに青年の顔は相変わらず憎たらしいほど平然としていた。
 少女は少し充血した目で男を睨んだ。

 「こんな場所で眠れるほど私は図太くないです」

 言いながら、彼女の脳裏に昨日のクラウンの言葉が蘇る。予想していたとは言え、死は思いの外恐ろしく彼女に襲い掛かってきた。まだ信じられない部分が多々あったが、それだけは不思議と確実に思われていた。

 「しかも、あんなに騒々しいんだもの・・・眠れるわけない」

 聖の言葉通り、昨夜は何が起こったのかと慌てるほどの騒ぎだった。騒ぎと言っても耳を突き破るほどの悲鳴と何かが割れたり倒れたりする音で祭などで騒ぐにぎやかなそれでは決してなかった。

 「一体あれは何なんですか?」
 「・・・罰」
 「罰?罰って何の?」

 だが、クラウンはそれ以上答えようとはせず普段の寡黙な男に戻ってしまった。聖もそれ以上追及しても無駄だと分かっていたので問い詰めたりはしなかった。
 短く溜息を落とすと男の手元に目をやる。そこにはパンとコップを乗せた盆があった。
 彼女の視線に気付いたのだろう、クラウンは素っ気無くそれを聖に差し出す。

 「食べろ」
 「・・・いらない」

 ショックのあまり食事も喉を通らないなんて事はなく、体はありありと空腹を訴えていた。だが、どうしても素直にそれを受け取る気にならないのはやはり昨日の言葉のせいだろう。
 食用の牛や豚に餌をあげて太らせるような錯覚を覚え、柔らかく美味しそうなパンにさえ嫌悪感を覚える。

 拒絶を表すように食事から顔を背けると、クラウンは僅かに顔を曇らせた。

 「いつかそのヴェルとか言う子に血を吸い尽くさせるくらいなら餓死を選ぶ権利くらい私にだってあるわ」

 言いながら聖には全くそんな気はなかった。死にたいわけでもないし、まして自殺なんて出来る度胸もなかった。だがこのまま死を待つだけなんて癪だったし何か困らせてやりたいと言う気持ちがあったのだ。
 チラリ、とクラウンを見ると少しだけ困ったように目を伏せていた。

 これは予想外の反応だ。少女の抵抗くらい簡単にねじ伏せられる力くらい持っているだろうに。
 しかしクラウンは怒りも強要もせず、ただ一言、
 「・・・どうすれば食事をするのだ」
 と言った。驚いた聖は目を丸くしたが、これはチャンスだと思い始めた。彼は自分が今死んでしまっては困るようだ。なぜかは分からないが、時が来るまで生きていて欲しいらしい。
 それを利用しない手はない。何か要求をしてやろうと身を乗り出したが、はたと彼女は考えこんでしまった。

 自分の一番の望みは勿論元の世界へ帰る事だが、そんな事言ったところで叶えられるはずがない。それならばもっと望みの持てるものを――

 「ここから出して。こんな所じゃ食欲もなくなるし不眠症で死んじゃいます」

 牢から出されれば少しは逃亡の望みも持てる。こんな牢で最後の時を待つ事だけは耐えられない。
 半分以上は無理だと思う要求だった。勿論聖も断られるだろうと思っていたのだが、驚いた事に男はあっさりと頷いたのだ。

 「・・すぐに部屋を用意する」

 そう言いながらも鍵を取り出して聖を牢から解放する。もしかしたらこの男――

 「最初からこれが目的だったんでしょう?」
 「何の話だ・・付いて来い」

 素っ気無い態度だったが聖は確信していた。クラウンと言う男は最初から聖を牢から出すつもりでいたのだ。鍵を持っている事や部屋を用意すると言いながら、聖を待たせる事もなく牢から出した。おそらく部屋も昨日のうちに用意したのだろう。

 何が目的なのか、さっぱりと分からなかったが、少なくともヴェルと言う少年よりは余程好意的のようだ。今はそれに甘えておこう。









 城の中は予想と違い華やかとは言い難かった。すれ違う者は誰もいなかったし、手入れも行き届いていないのか、そこら中に埃や蜘蛛の巣があり不気味さを醸し出している。そう言えば彼らはヴァンパイアもどきなのだ。城も不気味だとしても不思議はない。

 この分だと部屋も期待出来ないだろう。だが、牢よりはマシなはずだ。それに隙を見て逃げ出すつもりだから長居するつもりは最初からない。

 無言で歩いていると前からようやく人の姿が見えた――諸悪の根源である人の姿が。

 「クラウン・・・これはどう言う事じゃ」

 少年、ヴェルは顔を厳しく引き締めた。その大きな瞳は聖を射る様に見ている。その目が伝えてくる、お前なんて・・・と。
 ムッとしながらも黙っていると青年がゆっくりと話し始めた。

 「・・あの牢では食事は出来ないらしい」
 「食事をせぬなら出さねばよい。元よりフィード風情にやるものなどないのじゃ」

 相変わらず人を蔑んだ物言いに眉が釣り上がる。

 「・・死んでしまっては困るのはヴェルだろう。少しは・・」
 「こんな下賤な小娘を必要とせねばならぬとはな・・ほんに煩わしい・・」

 ブチッ。堪忍袋の緒が切れた音がした。

 聖を無視して口論をしている二人の間に割って入るときょとんとしている少年の頬に向かって思い切り手を振り上げた。

 パン!と言う景気の良い渇いた音が静寂な城に鳴り響く。自分でも凄い事をしたと言う実感はあった。現にクラウンは目を見開いて固まったし、叩かれた少年は呆然と頬に手を当てている。
 真っ白な肌が赤みを帯びていくごとにヴェルも状況が分かってきたのか、今度は怒りのために顔を赤らめた。

 「貴様・・・っ!」
 「何よ!あんたが悪いんでしょう!?昨日から下賤とか卑しいとか・・いい加減にしなさいよ!」
 「な・・っ」
 「大体何よ!王様だか何だか知らないけど偉ぶって・・話を聞けば今は何も力がないらしいじゃない!?負け犬の遠吠えにしか見えないのよ、みっともない!」
 「ななな・・」

 言ってしまった。ヴェルはずっと壊れたように「な」を繰り返すばかり。心なしか目元も潤んでいる、子供に少し言い過ぎてしまったかもしれない。
 だが、謝る気はない。悪いのは彼であるし自分は彼らのせいで散々な目に合っているのだ。このくらいの復讐は許して欲しい。

 「貴様・・貴様・・余に・・余の顔に・・」
 「あんた、顔だけはいいものね。大丈夫よちょっと赤くなるだけ、すぐに治るわよ」

 お人形さんのような麗しい顔。白いだけあって赤みを帯びた頬がより痛々しく見える。少しだけ悪いな、と思った。
 そんな親切心を見せたのに、少年はお化けでもみたような顔をして黙り込んでしまった。

 「ちょっと?そんなに痛かったの?」
 「違う・・余に触れるでない」

 心配して伸ばした手を払ってヴェルはフラフラとそこかへ行ってしまった。

 「何なの?」
 「・・色々衝撃だったのだろう・・ああ見えて打たれ弱いんだ」
 「へぇ・・・まぁ、まだ子供だしね」
 「・・・ヴェルは500歳を超えている」
 「は!!?」
 「・・ここが部屋だ」

 少女の驚きの声を無視して部屋に案内される。その部屋は思ったよりも綺麗に整えられており、十分快適に過ごせると思われた。

 ろくに説明もせずにすぐに姿を消したクラウンに驚きつつ聖はこれならば、と思った。
 城は入り組んでいて迷路のようだったが人はほとんどいないようだ。これなら逃亡も思いのほかやりやすいかもしれない。

 何なら今からでも、と思ったがいつのまにかテーブルの上に置かれていた朝食に目がいく。ごくりと喉が鳴りお腹も素直に音を鳴らした。
 腹が減っては戦は出来ぬ、と言う言葉を思い出して素直に食事をする事にした。だが、食事をしたら今度は激しい眠気に襲われる。一睡もしていないので当然の現象だ。

 女の子なら誰もが憧れる、豪勢な天蓋付きお姫様ベッドにフラフラと近寄り勢い良くダイブする。

 「・・明日からにしよう・・」

 だから今は眠ろう。逃亡には体力が必要だから。
 そうして聖は数分もせずに眠りの世界へと旅立って行った。    











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