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「セイクリード・・・」
呆然と信じられないものでも見るようにクラウンを凝視する脆弱すぎる少女に男は無感動に頷いて見せた。
「・・あなたのいた世界はここには存在しない。この世界は今セイクリードのみ」
何度異世界だと言われても聖はやはり実感が湧かなかった。牢に閉じ込められているせいで外が見えないからだ。
だが、目の前の青年が冗談や嘘を言っているようには見えなかった。恐ろしさに震える体を必死に抱き締めていると、男の方から話しかけて来た。
「・・他に聞きたいことはあるか」
少し気遣うような響きを感じたのは気のせいだろうか。聖は混乱しながらもカラカラに渇いた口を開いた。
「ど、うして私が・・・私、噴水で誰かに引っ張られてここに・・」
「それはあなたが選ばれたフィードだからだ」
「フィードって何ですか?」
「・・あなたのような不老不死ではない者を指す。逆に我々のような不老不死の者をノーブルと言う」
聖はポカンと口を開いてしばし呆けてしまった。当然だ、不老不死とかそうでないとかそんな事夢物語だけの話。
「からかわないで下さい!私は真剣に聞いているんです」
「からかってなどいない。ノーブルはフィードと違い年を取らないし滅多な事では死なない」
至極真剣で真面目な顔をして言うので少女は笑いすら出てこなかった。本気で言っているのか、否か。
聖に疑惑の目を向けられ、クラウンは何を思ったのか突然腰に提げていた剣を抜いた。
ぎょっとしたのは聖だ。まさか疑われた事に怒って切ろうとするのではないか、と必死に後ずさりして刃の届かないところまで逃げる。
だが、彼女の予想に反して刃が向けられる事はなく、青年は静かにそれを掲げると何の前触れもなく自らの腕へと滑らせた。
「ちょっと何を・・・!?」
当然、切られた腕からは鮮血が流れ出て床に染みを作っている。遠く離れていても鉄の匂いが鼻について、思わず少女は顔を歪めて手で口を覆った。
どんどんと溢れ出る血をクラウンは全く興味がないように一瞬だけ目をやると、腕を少女の方へと差し出してきた。
「見ろ。傷が治っていく」
すぐに顔を背けたが、ほんの少しの好奇心から恐る恐る目を向けると、本当にあれほど溢れ出ていた血が止まっていた。
「え・・・!?」
血を拭うとそこにはうっすらと線が入っているだけで傷らしいものは見当たらない。
「ど、どうして・・・!?」
「言っただろう、滅多な事では死なない。このくらいの傷ならすぐに治る」
信じられないような現実を突きつけられて完全に聖は混乱していた。取り留めのない言葉ばかりが口につき、まとまらない。
無理もない、とクラウンは目を伏せるとどこから取り出したのかパンを一つ彼女に差し出した。
「食べるといい。フィードは空腹でも死ぬと言う・・今死なれるわけにはいかない」
「・・・ど、うして死なれてはいけないの?私が選ばれたフィードだから・・?」
震える声を抑えきれない。だが、どうしてもこれだけは聞いておかなければいけない気がしていた。自分の命運がかかっているのだから。
今は死んではいけないと言う。ではいつかなら死んでもいいのだろうか。そのいつかが過ぎれば自分は一体どうなるのだろう。
言葉を選ぶ事も出来たが、クラウンはあえてそうはしなかった。下手な希望を与える事はそれ以上に酷だと感じたからだ。
「フィードとは我が国では餌と言う意味に使われている」
「え、さ・・・?」
「そう・・我々ノーブルはかつてフィードの生き血を啜って生きていた」
「――――――!!?」
飛びのくばかりに餌と言うフィードの少女はノーブルの男から離れた。男の小さな口から鋭い牙が見えたのだ。
「あなた達・・・ヴァンパイアなの・・!!?」
不老不死で人の血を吸う化け物。あれは空想の世界ではなかったのか。だがヴァンパイアと言う単語に男は不思議そうに眉を寄せた。
「ヴァンパイア・・・?」
「そうよ!人の血を吸って、日の光やにんにく、十字架に弱い――」
少女はそこでようやく気付いた。胸にまさしくそれが揺れているではないか。
迷わずそれを首から外すと男に向けて高らかに掲げた。
「滅べヴァンパイア!!」
「何の冗談だ」
クラウンは目の前に向けられた見慣れないそれをいぶかしみながら手に取って繁々と眺める。
「どうして!?」
ダメージを受けるどころか十字架に触っても平然としている。ヴァンパイアではなかったのか。
「我々はノーブル。そのヴァンパイアとは違うものだろう。血を啜っていたのも昔の話で今は赤ワインなどで十分なのだ」
「日の光やにんにくには弱くないの?」
「にんにくが何なのか分からないが、日の光にはあまり強くないな。だが、それで死んでしまう事はない」
「・・ヴァンパイア・・に似た生き物って事ね。でも、今は血とかいらないんならどうして私がこんな所に・・」
刹那、クラウンの顔が僅かに曇った事に聖は気付かなかった。
「ヴェルの呪いを解くために、フィードの血が必要なんだ」
「・・どう言う事?だってフィードは他にもたくさんいるんでしょう?」
「いや・・この世界にフィードは一人として存在しない。ヴェルが全員殺してしまった」
ヴェル、とはおそらく先程までここにいたお人形のような美少年だろう。その彼がフィードを皆殺しにした?
必死に頭で考えても分かるはずもなく、青年の言葉を待つより他に出来ることなどありはしなかった。
「その残虐非道の行いがフィードの神の怒りに触れ、ヴェルに呪いが施された。それを解くためにはフィードの生きた血が必要だ」
「待って・・呪いって一体・・」
「・・・ヴェルはセイクリードの王。ノーブルの血を最も濃く受け継いでいる・・その血を今は封じられている・・ヴェルは怒るだろうが、彼は今フィードと言っても差し支えないだろう」
聖も数分だけであったがヴェルと言う少年を見た。自分を見詰める少年の瞳には明らかな侮蔑が含まれており、心底フィードを憎んでいると言ってもいいだろう。
「彼をノーブルに戻すために私の血が必要と言う事・・・?」
勝手だと思う。フィードがノーブルよりも劣っているのならそれは完全な弱いもの虐めの大量虐殺である。非は勿論ヴェルにあるのに。
「血を与えると私はどうなるんですか?」
クラウンの様子から何となく想像はついていたが聞かずにはいれなかった。
ノーブルはその美貌を歪める事無くただ一言、
「死ぬ」
それだけ口にした。この男もやはりノーブルと言う事なのだろう。
薄暗い日の光の一切を遮断した豪勢な一室にそれはいた。
華奢で小さな体を一層丸めて大きすぎるベッドに横になって目を閉じていたが一向に眠気は襲ってこない。何度も何度も寝返りしても変わらないのでとうとう体を起した。
寝崩れた己の髪を撫で付けながら窓辺に近寄り、勢いよくカーテンを開けるともうすぐ夕方だというのに眩しい日差しが部屋に入ってきた。
「・・眩しい・・」
目を細めながらしばらく太陽を眺めると沸々とこみ上げてくるものを感じた。
日を浴びても何も感じない。昔は太陽の中を歩きたいと強く望んでいたが、今ではそれが憎たらしくすら感じる。鋭い牙も爪もない今の己は先程見た小娘と何も変わらない。
ノーブルに誇りを持っていた自分に対する最大の屈辱だ。
「忌々しい事よ・・・!」
だが、それももうすぐ終わる。次の満月の夜までの辛抱だ。夜が来る事の恐れも苦しみももうすぐ消えるのだ。
この貧弱な小さな体も幼い顔も――
「あと少しの辛抱じゃ」
だから今は眠ろう。もうすぐ辛い夜の闇が襲ってくる。
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