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22
ヴェルは呆然と駆けて来る少女を見つけていたが、
「来るな!」
後数歩のところで本能的に叫んでいた。反射的に立ち止まる聖の困惑した貌を見つめてドクドクと高まる心臓を無理やり押さえつける。
「・・・なぜ戻って来たのじゃ」
「もう一度、ヴェルに、あなたに会いたかったから」
迷いの無い漆黒の瞳から、真紅のそれが耐えられないとばかりに逸らされた。そして、乾いた喉で必死に言葉を連ねる。
「余は、余は会いたくなどなかった。もうそなたは必要ないのじゃ。呪いは・・・解けた」
フィードの、何の力も持たないはずの少女の瞳を直視出来ないのはきっと嘘が見破られてしまうと分かっていたから。
そして本当は、叫んでしまいたかったから。自分もだ、と。自分ももう一度会いたかったと。
「・・・嘘」
青年の心を読んだように、核心を持って聖は言った。
驚いて顔を上げると、いつの間に近くに来ていたのだろうか、目の前に微笑を浮かべる愛しい少女がいた。
ドクン
「・・・駄目だ、離れるのじゃ」
「ヴェル?」
首を傾げると現れる白い喉元に目が釘付けになる――あの首筋に牙を突き立てたら・・・
「・・・っ!」
心臓が大きく脈打ち、揺れる瞳が薄く浮き出る血管に釘付けになる。
「ヴェル・・・ッ!?」
気が付くと青年の大きな手が華奢な少女の肩を掴んでいた。長い爪を服越しに感じ、聖は眉を寄せる。
だが、ヴェルはそんな事にも気付かずにその血色の眼はひたすらに彼女の首筋を見つめていた。
段々と頭に霞がかかっていき、体中の血が騒ぐ。このままではいけないと分かっていても喉の渇きは止められなかった。
「逃、げよ・・・」
僅かに残った理性で呟いて、尖った牙を暴れさせまいと歯をかみ締めて苦悶の表情を浮かべる彼の頬にふと温かさが宿る。
驚いて見下ろしたフィードの少女はやはり笑みを浮かべていて、頬の温もりが彼女の手なのだと気付く。
「辛いの?ヴェル」
「!そなた・・・」
「・・・飲んで。私の血で私の思いがヴェルに伝わるなら」
そう言って目を閉じて顔を上げると、喉元がはっきりと現れる。
さらに力が加わる男の指に、覚悟を決めていずれやって来るだろう痛みに備えて目を閉じると――
サラリ、とヴェルの滑らかなプラチナブロンドが顔に降りかかり、くすぐったさを覚えた刹那、唇に密やかな感触。
「・・・?」
驚いて目を開けると、間近でぼやけて見える、彼の髪と同色の長い睫が視界いっぱいに広がった。
その時初めてキスされていると知った聖だったが、意識した時にはもう唇は離れていた。
「・・どうして?」
キスをした事に対してか、血を吸わなかった事に対してか聖自身分からなかったが、ヴェルは先程まで苦しんでいたのが嘘のように優しく微笑んだ。
「分かっていた事じゃ・・・こうするしかない事を」
「え?」
「そなたは今度こそ元の世界へ帰るのじゃ」
「ヴェ、ル?」
儚く微笑む美貌の青年の様子がおかしい事に気付いていながら体が凍り付いたように動かない。今頃になって死の恐怖に囚われたのだろうか。
どんどんと離れて行く彼を引き止めたいのに。距離を縮めたいのに。手を伸ばして抱き締めたいのに。
――嫌・・・。
「そなたをこの手にかけるくらいならば、余は死を選ぼうぞ」
ありがとう。最期に顔を見れて良かった。
「止めて!!」
やっと、体が動いて手を伸ばした時には、彼の体は後方へ倒れていた。
そこに壁はなく、大きく開かれた窓から不気味なほど大きな満月が見えて、まるで彼の体を吸い寄せているような錯覚を覚えて聖は全身が震えた。
そのまま闇夜に体を預けて、重力に逆らわず落ちて行こうとする体。
必死に手を伸ばして指先を掴んだが、今のヴェルは華奢な子供ではなく、大人の男である。体格の差から、聖の体も引っ張られてそのまま二人で夜の闇の中に飛び込んでしまう。
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
意識を失っているのか、動かないヴェルの体を引き寄せて必死に胸に抱きながら、共に落下する。
このまま二人で落ちたら待っているのは死のみである。だが、無意識のうちに聖はヴェルを守ろうと必死に腕の力を強めた。
階段で降りようとしていた時にはあんなにも高く感じた城だったが、今はとても低く感じる。地面が目前に迫って来て聖もついに諦めたように目を堅く閉ざした時だった。
思わずむせ返るほどの強い衝撃に襲わた。
意識が遠退きそうになりながら、体がもう落下していない事が分かると恐る恐る目を開ける。
「げほっ・・・うっ・・・く、草?」
暗がりの中、黒く見える草が風に揺れてサァァと音を立てていた。いつのまにか地面に着いていたらしい。だが、それにしては衝撃が小さすぎる気がした。
確かに呼吸が一瞬止まったが、実際あの高さから落下したら命はないはずだ。だが、軽い擦り傷程度でこうして生きている。
「あ・・・ヴェル!」
慌てて腕の中の青年を見ると、未だ気を失っていたが、きちんと呼吸をしていた。
「良かっ・・」
「今、すぐに自分の世界に帰りなさい」
ホッとしたのもつかの間、冷めた声が頭上から降って来て、敵かと身構えたが――
「あなた・・・クラウン、さん」
「早く」
「でも――!!?」
月明かりの下に浮かび上がった男の姿に聖は息を呑む。返り血なのか自らのものなのか、服は元の色が分からないほどどす黒い赤に染まり、地面に血溜まりを作っている。
「は、やく・・」
声も切れ切れに急かす青年の顔は白を通り越して青くさえ見えた。いくら彼がノーブルの血を色濃く受け継いでいようとも、血を失いすぎていた。
「ごめんなさい・・・でも、私は・・・」
全身に走る鈍い痛みに耐えながら体を起こすとしっかりとクラウンと向き直る。
「帰らないわ」
彼の、ヴェルの呪いを解くまでは。
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