19
「・・・のむら・・園む、・・・さん・・・」
誰かに呼ばれている、と聖は混濁した意識の中で思った。初めはヴェルかと思ったが、意識が浮上してくると、彼の声ではないと分かった。
「園村・・・・園村さ・・・」
ヴェルは彼女を苗字である園村とは呼ばない。そもそも苗字を知らないだろう。では、聖を呼ぶのは一体――?
「園村さん!!」
「!!?」
耳元で怒鳴られて、ようやく聖は目を開いた。
「・・・え?」
ここがどこなのか、いまいち状況の飲み込めない少女が目を白黒させながら起き上がる。
「もう授業は始まっていますよ!いつまでこんな所で寝ているのですか!」
「シ、スター?」
今まで聖を怒鳴っていたのは、学校の教師であるシスターであった。
セイクリードにいるはずのないシスターがどうしてこんなところにいるのか。
「何をぼんやりしているのです?まだ寝ぼけているのですか?」
「シスター?あの、ここはどこですか?」
「寝ぼけているのですね・・・。いいですか?ここはセイント光女学園ですよ。あなたはここの生徒でしょう?」
言われて、初めて今自分が寝ていた場所が学園内にある庭のベンチの上である事が分かった。ヴェル達のいる異世界、セイクリードに行く直前に彼女がいた場所である。
「戻って来た・・・?」
「はい?」
「あ、あの・・・私、今まで何日くらい行方不明になっていましたか?」
「何を言っているのです?それよりも園村さん、あなた今朝のミサも来なかったですね」
その後、シスターが長々と説教を始めたが、既に聖の耳には入っていなかった。混乱する頭で必死に今までの事を振り返る。
――今朝のミサ・・・連れて行かれたあの日のままって事・・・!?
異世界に渡って、10日以上経っていたはずだ。しかし、まだこちらでは数分しか過ぎていないらしい。この時間の差はどう言う事だ。
「夢・・・?」
そう考えれば全てが繋がると思った。やけに現実味のある夢だと思ったがそう言うこともあるのかもしれない。
「そうよね・・・あんな事、ありえないわ」
ホッと息を吐いてベンチから降りようとした瞬間、ドサリと地面に何かが落ちた。どうやら寝ている聖の上に乗っていたらしい。
不思議に思いながらも身を乗り出して手を伸ばすが、それより先にシスターがそれを拾い上げて、繁々と眺める。
「あなたでも読書をするのですね、しかもこんな古い洋書を」
「それ・・・!」
シスターが拾った本を見て、聖は驚愕で息が止まった。それは、ヴェルが持って来た呪いの内容が書かれた本だったのだ。
「ど、うして・・・」
夢だったなら、その本は存在しないはずなのに。どうしてこの世界にあり、こうして聖が持っているのか。
――やっぱりあれは夢なんかじゃなかった・・・!!
「シスター・・・私、気分が悪いので寮で休んでいます」
「え?あ、園村さん!?」
シスターから本を奪うように取り上げるとそのまま駆け出した。背後からシスターの怒鳴り声が聞こえた。後で必ず呼び出しで説教だと思ったがそんな事は今は問題ではなかった。
動きにくいロングスカートを靡かせながら寮の私室まで急いで来ると、飛び上がる心臓を落ち着かせながら、机の上に本を置いた。
しばらく本を開かずに眺めていると、プラチナブロンドの少年を思い浮かべる。夢だと思ったが、彼は本当にいたのだ。
だが、あの世界が本物なら、なぜ聖はこうして現代日本に戻って来ているのだろうか。この本を見た後から記憶が酷く曖昧で、あの後何があったのか思い出せない。
奇妙に思いながらも、恐る恐る本を開けると、埃が顔にかかって、勢いよく咳き込んだ。この本が100年以上開かれていない事を失念していた。
口に手を当てながらティッシュで埃を取り除きながら文字をよもうとするが―――
「分からない・・・」
英語でもない、フランス語でもない。もしかしたらこの世界には存在しない言語なのかもしれない。話は出来たのに、言葉は分からない不可思議さに首を傾げながら、諦め半分にページをめくっていると、
「あれ?」
よめる部分があった。その文字はどう見ても漢字とひらがな――日本語であった。
「どうして・・・」
混乱しながらも文字を追っていく内に聖の鼓動は高鳴りを増していた。そこには信じられない言葉が書いてあったからだ。
――そんな・・・だって・・・。
「呪いには私の血が必要じゃないの?」
確かにヴェルはそう言った。だが、ここに書かれている言葉が真実であればヴェルは大きな勘違いをしている事になる。
これは日本語で書かれている。ヴェルはこの文字をよめない。もしこれが本当にのろいを解く方法だとしたら――
「・・・ヴェルの所に行かなきゃ」
もう満月までほとんど時間が無い。呪いが進行すれば命に関わると言っていた。
「・・でも、どうやって?」
なぜ戻ってこれたのかも分からない。もし向こうに行けたとしても、命の危険に晒されるかもしれない。それを考えると、ヴェルの事は忘れて、このまま平穏にこの世界で暮らしていく事が良いと思われた。
――そうよ。あんなにも帰りたかったんじゃない。これでいいのよ。
自らを納得させようと何度も胸中で繰り返して、吹っ切るように本を閉じた。
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