16
「呪いが解けてない・・・?」
呆然と、オウム返しする聖にヴェルは悲痛な面持ちで頷いて見せた。
「・・牙も爪も戻っておらぬ。そして太陽の日を浴びても苦痛を感じぬのじゃ・・これは、ノーブルに戻っておればありえぬ事」
「そんな・・」
喜びで膨らんだ気持ちが一気に萎んでいくのを感じた。呪いが解けていれば聖もヴェルも死ぬ事はなく全て円満に解決出来るはずだったのだ。
「落ち込んでいる暇はない・・・ゆくぞ」
「・・どこに?」
「城じゃ」
素っ気無く言うと、聖の頭に布を被せる青年は自らも美しいプラチナブロンドの髪を布の下に隠し、すっかり小さくなってしまった服を隠すため、シーツを体に巻いた。
「その格好じゃ、目立たない?」
少女にしてみればヴェルの普段着もどこかの民族衣装のように奇妙に見えたが、それにも増して青年の今の格好は――
「・・変」
呆れたような目で見やると憮然とした眼差しが返って来たが、自らもおかしいと自覚しているのだろうか、特に反論はなかった。
「城へ戻り、もう一度呪いについて調べる。確か、文献があったはずじゃ」
足早に部屋を出るヴェルの後を慌てて付いて行く。今までとは違い、体――足の長さが全く違うので自然駆け足になる。
ヴェルも焦っているようで、宿を出てもそれに気付かず一人ズンズンと進んで行く。
「ちょっ・・待って・・」
ついに上げられた声は息切れをして掠れていた。
背中に受けたそれにより、ようやくヴェルは足を止めて振り向くと、
「いかが致した?どこか苦しいのか?」
胸を押さえる少女に困惑気味に駆け寄って来る。
「少しは歩調を考えてよ。今あなたは大人なんだから」
「え・・・あっ・・・すまぬ」
案外素直に謝って、すまなそうに眉を寄せる姿はまるで子供のようだ。
しかし態度は子供でも姿形はまるで違う。見上げなければいけないほどの長身の先にいる精悍な顔立ちも聖には不思議に感じる。
呆けたように見詰めてくる少女に青年は何を思ったのか、気まずそうに視線を逸らす。
「・・気が急いていたのじゃ。もしかしたらそなたの血を飲まずとも良いのではないかと・・」
「え・・・?」
聖は純粋に驚いた。まさか自分と同じ事を非情で残虐なノーブルの青年も考えていたとは思っていなかったからだ。今まで彼は聖が死ぬ事などまるで頓着していない様子だったはずなのに。
「初めはそなたなど、余の呪いを解くための道具に過ぎぬと思っておった。初めから生かすつもりなどないのに、勝負などと称してそなたで遊んでおったくらいじゃ・・・」
やはり、と聖は密かに嘆息する。初めから逃げても意味がなかったのだ。例え勝負に勝っても約束が果たされる補償など初めからどこにもなかった。
「だが・・だが今は違う。そなたを殺して呪いを解く事に疑問を感じておる」
なぜだろうか、と問う透き通ったルビーの瞳が漆黒のそれと交わる。
思わず心臓が飛び跳ねて、無意識の内に後ずさろうとする少女の華奢な腕を掴むと、二人の体に電撃でも落ちたかのような衝撃が走った。
「・・・っ!?」
驚いてその手を跳ね除けると、パシンと渇いた音が空気を振るわせた。
同じような衝撃は既に何度となく体験していたが、今回のそれはこれまでとは比べようもないほど強烈であった。
「一体何だったのかしらね、ヴェル・・・!?」
今だピリピリと感じる腕を擦りながら顔を上げて、少女はハッとした。
見上げた先には誰もいない。しかし視線を下にずらすと見慣れた美貌の少年がそこにいた。
驚愕に見開かれる漆黒の瞳を見上げながら、ヴェルはようやく自身に起きた変化に気付いた。
両目に映る手は赤子のように弱弱しい。そして体に巻きつけたシーツが肩から滑り落ちると小さな体が露になった。
「なっ・・どう言う事じゃ・・・?なにゆえまた小さくなったのじゃ!?」
せっかく元の体に戻れた矢先である。少年の澄んだボーイソプラノには悲痛な色が混じっていた。
一方、聖はヴェルが嘆く傍で、もしかしたら、と痛みの消えた腕に手をやった。先程の衝撃の後、ヴェルは再び呪いの通り子供に戻った。
ではあの衝撃が原因なのだろうか?――いや。答えは、否だろう。
本来の姿に戻ったヴェルと初めて視線が交わったあの時も同じような体験をした。しかし彼は今のように子供に戻る事はなかった。
では、一体何が原因で――?
刹那、脳裏に青年の傷付いた眼差しが過ぎった。彼の手を思い切り拒絶した時、一瞬垣間見たヴェルは酷くショックを受けていたようだった。
「まさか・・私が、拒絶したから?」
真実はどうであるか分からない。あくまで可能性に過ぎない。
その上、それが真実であるとしたら理由が分からない。彼女自身、呪いについて詳しく聞いていないが、聖とヴェルとの間に生贄と捕食者と言う関係以上の何かが必要なのだろうか。
いくら考えても答えなど出るはずはない。彼女には圧倒的に知識が足りなかった。呪いを解くためにはヴェルの言っていた文献を見る必要があった。
「ヴェル・・・行こう」
「聖!?」
黙りこんでいた者が突然口を開き、その上自分の手を取り走り出したものだから、ヴェルは目を丸くした。
「きゅ、急にどうしたのじゃ!?」
「私も呪いについてもっと詳しく知りたいと思ったの!」
そうしてヴェルの小さな手を握り、引っ張って行く。
今度は少年の方がコンパスの違いに苦労しながらも彼女の手から僅かな熱を感じ、目を細めた。が、すぐに悲しげにそれは伏せられた。
「・・・やはり、この姿の方がよいのか・・」
しかし、ヴェルの声はあまりに小さかったため、前を行く聖の耳に届く事はなかった。
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