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 夜の騒ぎから一転、太陽が昇り始めた早朝には街は静けさを取り戻していた。
 カーテンの隙間から零れる光で聖も気持ちよく目覚めるはずであったのに、彼女を覚醒させたのは少年の呻き声であった。

 現実へと引き戻されたばかりの聖は初め、それが何であるのか分からなかったが、ぼんやりと顔を横に向けた瞬間、

 「ヴェル!?」

 隣で寝ていた小さな少年の体が苦しげにのた打ち回り、その口からは耳を覆いたくなるほどの悲鳴を上げているではないか。

 「ヴェル・・ヴェル!?」

 耳元で叫んでも、体を揺らしても少年は少女に気付いていないようだった。今、彼を支配しているのは信じられないほどの痛みだけだ。

 「やだ・・どうして・・?」

 必死に抱き締めても、腕の中の小さな子供はもがき苦しむばかり。太陽が出ていて今はノーブルの力が失われているはずなのに。
 昨夜の傷も全て癒えているし、苦しむ要素が分からない。それに、今日のそれはいつもの苦しみ方とは少し異なっているように見えた。

 牙も爪も変化は見当たらず、深紅の瞳も狂気を帯びてはいない。ただ、体だけがギシギシと聞いた事のない音を上げ、少年に苦痛をもたらしているようだった。
 聖に出来る事は苦しむヴェルを抱き締める事だけだった。いつもはこうしていれば落ち着いてくれるはずなのに、一向に落ち着く気配はなく、むしろ刻一刻と苦しみが倍増しているようだった。

 「うぐ・・・っ・・あぁぁぁ!!」

 そして一際大きく悲鳴を上げると意識を失ったのか、聖にぐったりと凭れ掛かる。
 ハッとして支えようとした彼女だったが、

 「え・・あ・・きゃっ!?」

 どう言うわけか、ヴェルに押し倒される格好になってしまった。いくら女と言えど華奢な少年くらい支えられるはずであったのに。
 しかも、押しつぶされながら目を開くと視界いっぱいに広がる逞しい胸元が映って少女は驚愕した。

 細くて白いばかりだった少年のものとは明らかに違う筋肉質のその下から、聖は顔を真っ赤にさせながら何とか這い出ると、

 「・・・だ・・れ・・?」

 呆然と呟く。そうだ、これがヴェルであるはずがない。けれども、腰まで届く、長く伸びたプラチナブロンド。スラリとした長い手足にゾッとするほど整った美貌――彼女はそれに見覚えがあった。

 「!・・あの肖像画・・!」

 前に見た肖像画に描かれた青年と目の前の彼の姿がダブって見える――おそらく同一人物なのだろう。

 同一人物、と口中で呟いて聖はハッとした。あの肖像画を見てヴェルは何と言っただろうか?

 少年と同じ髪の色、似通った美貌、そして今は閉じられているがその瞳もルビーのように光っているのだろう。やはり、この青年は――

 「ヴェル・・なの・・?」

 瞬間、名前を呼ばれた事に反応するように青年の瞼がピクリと動いた。
 ニ、三度震え、ゆっくりと持ち上がった瞼の下から現れた瞳はやはりルビーをはめ込んだような美しい深紅だった。

 「う・・・ひ、じり?」

 まだ体が痛むのか、苦しげに眉間に皺を寄せながら起き上がる、大きくしなやかな背中。
 顔にかかる、長くなった髪を鬱陶しげに払ってその双眸が少女のそれと交わった瞬間、まるで体に電流が流れたような衝撃を彼女は感じた。

 どうやら青年――ヴェルも同じであったようで、二人ともしばらく衝撃を受けたようにその場で固まってしまった。
 昔からお互いを知っているような懐かしさと同時に強烈に湧き上がる名前の付けられない不思議な感情。以前にも感じた事のある不思議な感覚に聖は胸を押さえ、俯く。

 彼女のその行動がヴェルには具合が悪いように映り、どうしたのかと手を伸ばしたところでようやくいつもと何かが違うと気付く。
 いつもは見上げる形の少女を、今は自分が見下ろしている。そして、視界に移る自らの腕がか細いものではなく、筋肉質で勇ましいものに変わっている。

 だが、違和感はなかった。むしろそれはずっと前から知っている体の感覚であり、部屋に備え付けられていた鏡を見て彼は確信する。

 鏡の中には呪われた10歳ほどの脆弱な少年ではなく、随分と昔に失ってしまったはずの20歳前後の青年がいた。
 驚愕に目を見開いた青年は腕を伸ばし、そっと鏡、いやそこに映る自分に触れた。

 「これは・・・余じゃ」

 確認するように何度も繰り返す内にようやく実感が湧いてきたのか、自然と笑みが零れた。

 「聖!余は戻ったのじゃ!呪いは解けたのじゃ!」

 叫んで、嬉しさのあまり今だベッドに項垂れる少女に抱き付いた。
 ヴェルにとって、それは聖と喜びを分かち合おうとの行動に過ぎなかったのだが、聖はそうではなかったようで、

 「ヤダ!」
 「!?」

 必死に腕を突き出して青年と距離を取ろうとしたのだ。まさか拒まれるとは思わなかったヴェルはあからさまな拒絶に目を白黒させる。

 「なんじゃ?一体どうしたのじゃ?今まで普通にしていたであろう」
 「それはあなたが子供だったからよ!その姿で私に触らないで!」
 「なんじゃと!?」

 カッとなって一歩踏み出したヴェルだったが、瞬間恐れたように体を震わせる聖に気付き思い止まる。

 「・・・余が怖いか?」

 子供の姿の時は狂気に支配されてもヴェルを恐れなかった聖が、大人になった姿を恐れる事がショックであった。本来の自分を否定されたようで、やり切れない思いが込み上げて来る。

 「・・怖い、と言うより驚いたの。だって急に大人になるんだもの。」

 言い過ぎた、と聖も十分すぎるほど分かっていたため自然と出た言葉であった。

 「・・それに、その姿でいきなり抱き付かれてパニックになったのよ。私、男性に慣れてないから」
 「そうか・・確かに余も子供の姿の頃のまま行動してしまった・・すまぬ」
 「私もごめんなさい・・ところでさ!どうして急に戻ったの?呪い、解けたって事?」

 早く気まずい空気を払拭したくて出来る限り明るく切り出すと、ヴェルも忘れていた、と言う風に口を開いた。

 「それが余にも分からぬのじゃ。満月の夜にそなたの血を飲む事により呪いは解けるはずであったのに・・」
 「もう何でもいいじゃない!これで全て解決でしょ!?ノーブルの力も戻ったんだよね?」

 当然肯定されると思って発した言葉に、しかしヴェルは頷いてくれなかった。
 それどころか急に青褪めると再び鏡の前に立ち、口を開いたり顔を左右に振ったりと奇妙な行動に出た。

 「・・あの、どうしたの?」

 恐る恐る聞く聖にも答えず、ヴェルは次にカーテンを開くと太陽の光を体中に受ける。

 「・・ヴェル?」
 「・・けておらぬ」
 「え?」

 首を傾げる少女にヴェルは振り返り、絶望とも言える真実を告げた。

 「呪いは解けておらぬ・・余は・・まだ、フィードじゃ」











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