14
しばらく呆然と男が消えた方向を見つめていた聖であったがすぐに我に返って振り向いた。
「ヴェル・・・!!」
手を触れると血の温かさとそのどす黒い赤に一瞬眩暈がした。だがこのまま傷だらけの少年を放っておくわけにはいかない。
まず医者に見せなくては、と考えたがすぐにその考えを否定する。医者がどこにいるのか分からない上に今は夜である。街に長居をするのも危険だ。
それに――――
今は意識を失っているが、目を覚ましたらどうなるか分からない。いつものように正気を失ったら止める術はないのだから。
やはりあの男が言ったように城へ連れて行くのが一番いいのだろう。しかし、血だらけの少年を抱えて果たして無事に着くかどうか。
「どうしよう・・・」
取り合えずヴェルを抱き上げても聖は一歩を踏み出せない。どれが自分達にとって一番良いのかが分からない。このままここにいても危険だと言うのに、焦りは募るばかりだ。
「・・・う・・」
「ヴェル!?」
腕の中の華奢な体が身じろぎしたのを感じて慌てて覗き込むと、プラチナブロンドと同色の長い睫毛が震えて暗闇でも光るルビーの瞳がゆっくりと現れる。
「良かった・・大丈夫!?」
「・・・うむ・・」
「ねぇ、これからどうすればいいの!?城に戻るにはちょっと・・」
「・・・宿・・宿に行け」
「何?宿?」
「・・・そう、じゃ・・ここから真っ直ぐ行った・・突き当たり、にある」
言うと、力が抜けたように再びぐったりと動かなくなった少年に焦ったが、少し早いが規則正しく上下する胸にホッと息を漏らす。
だが、いつまでも安心してはいられない。早くヴェルの言った宿に向かわなくては。
街の明かりを睨みつけて、ヴェルを抱きなおすと聖は大きく足を踏み出した。
驚く事に宿ではヴェルの血まみれ姿を特に気にも留めず、着替え用の衣服をそっと出してくれた。
この姿では宿に泊まれないんじゃないかと言う聖の危惧など全く必要なかったようである。少しばかり面食らったが日本での常識は通じないのだな、と妙に納得した少女は大分この世界に溶け込んでしまったようである。
部屋に入ってベッドにヴェルを横たえようとしたが、さすがにこの姿では不味いと思い、まずは着替えをさせる事にした。
「・・・・・・ヴェル?」
当然返事はない。つまりは自分で着替える事が出来ないわけだ。
相手は子供だし仕方が無い、と言い聞かせるがやはり気まずいものである。何でこんなに緊張しなければいけないのか、と自分自身に問いかけながらボロボロになった服を脱がして驚いた。
真っ白な肌には確かに所々血がこびり付いていたが痛々しい傷跡は見当たらない。
――あぁ、そうだった。
目の前で横たわる少年はしかし人間ではない。ノーブルと言うヴァンパイアに似た生き物なのだ。
だけど、どうしてだろう。姿は昼間とどこも変わらないのにノーブルの力が戻ったのだろうか。
「おかしい・・・」
月に狂わされる呪いではなかったのか。だが、空には大きな月が浮かんでいるのにヴェルはいつものように狂気に陥ったりはしない。
だが、先程は確かにノーブルの力が働いていた――突然倒れるまでは。
「・・・呪いの進行・・」
前に言っていたのはこの事なのか。彼にはもう時間がないといつか、耳にした気がする。その時は気にも留めなかったがそれが本当なら・・・
「・・私が逃げれば・・ヴェルは死ぬ・・?」
胸が締め付けられるような錯覚を覚える。これは一体何の苦しみなのか少女には判別が付かなかった。
初めは逃げる事しか考えていなかった。だが、ヴェルと接する内に不思議な感覚に囚われるようになった。
その感覚に明確な名前は付けられないが、ヴェルが死ぬと聞いて黙って見ていられるほど非情にはなれない。
だが、もう時間はなかった。月は確実に満月に近付いている。後数日で聖はヴェルのためにその命を捧げるのだ。
濡れたタオルで血を拭き取りながら聖は眉を顰めてもう一方の手で首筋を撫でた。
勿論死にたくはない。だが――
「・・・聖?」
服を着せ替えた頃、ヴェルの意識が戻った。ドキリとしたが彼の目は正気できちんと少女の姿を映している。
起き上がる背中を支えるとぼんやりとした顔で少年は聖を見詰める。
「余は・・どうしたのじゃ?あの連中はいかがいたした?」
「あ・・えっと・・」
突然現れた男に助けられた、その男はクラウンのようだった、なんてとてもじゃないけど言えるはずもない。ヴェルにとってクラウンが唯一の友人と呼べる人で二人で長年城で暮らして来たのだ。
必死に考えをめぐらせていると、軽い衝撃が胸にあった。はっと下を見るとヴェルが頭を少女に預けていた。
「ヴェル?」
「・・・酷く眠いのじゃ・・余は、眠る」
「ここで!?ちょっと、ベッドで寝ないと風邪ひくわよ」
果たしてノーブルが風邪をひくのか疑問であるが、ヴェルは素直に従った。
ゆらゆらと危なっかしい足取りでベッドまで行くとそのまま倒れこむ。
「ちょっと、布団被らないと・・・うわ!?」
突如腕を引っ張られてベッドへダイブしてしまう。起き上がろうするとヴェルに抱き付かれる。
「何考えて・・・」
「・・・不思議じゃ・・そなたとこうしていると心地良い・・夜であるのに落ち着いていられる」
「え・・」
「ここに、余の傍にいよ・・これは命令じゃ―――」
すぐに規則正しい寝息が聞こえ、聖は自然と微笑んでいた。
「何が命令よ、全く」
起さないように慎重にベッドから抜け出すと部屋の明かりを消す。月明かりと共に外から聞こえて来る人々の楽しげな笑い声。彼らはこれから一日が始まるのだ。
だが、聖とヴェルにとってはようやく長かった一日が終わる。
「・・・疲れた」
本当に今日は色々あったなぁ、と思いながら欠伸をして少年の隣へと再び滑り込む。
まるで待っていたかのように縋り付く腕に心地良さを感じながら聖も目を閉じた。
今は眠ろう。全て包み込んでくれる闇夜に身を任せて。朝日が昇る頃にはまた困難が待ち受けているだろうから。
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