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 がむしゃらに走って、走って、走り抜いて、心臓が壊れそうになったところでようやく足を止めた。
 胸を押さえて荒い呼吸を繰り返しながら辺りを見回し、一言。

 「・・ここ、どこ?」

 とりあえずヴェルとは逆方向に真っ直ぐ走って来たが、どうやら大通りを抜けてしまったらしい。所々ひび割れた小さな家々が並ぶ風はどこか不気味で聖の脳裏にアメリカのスラム街の光景が浮かんだ。
 勿論そんな場所に目的の噴水など見当たるはずもなく、聖は青褪めた。咄嗟に逃げ出して来てしまったが、もうすぐ夜、このまま一人でウロウロしていたらどんな目に合うか分かったものではない。

 だが、今更後悔しても時既に遅し、である。案の定ベールも付けずに泣きそうな顔をしている小さな少女の周りにはいつのまにか柄の悪そうなノーブル達が集まってきてしまった。

 ますます小さくなる少女を中心に長身の彼らは口々に何か話し合っている。恐らく見知らぬ顔なので誰か知っているか、と言うような内容であろう。

 外見だけではノーブルかフィードか見分けがつかない事は有難かった。だが、東洋人の聖は洋風の顔立ちの彼らの中ではどうしても異質である。

 必死に逃げようと身を翻したが、あっという間に肩を掴まれ正に絶体絶命の状況に陥ってしまった。

 「おいおい、あんたみたいな子が来るようなところじゃないぜ、ここは」
 「まぁとりあえず金、出しな」
 「お金なんて持ってません」

 内心かなり怯えていたが、おもてに出しては駄目だと必死に冷静を装うが、声は素直で微かに震えていた。
 確かにお金は持っていなかった。持つと言う以前にこの国の貨幣がどのようなものか分からないのだ。昼食代も勿論ヴェルが出したのだから。

 お金がないと分かればどこかに行くだろうと高をくくっていたが、どうやら間違いであったようだ。
 彼らはまずは聖を調べ、本当に金が無い事を知ると別の事を思い付いたようだ――金を巻き上げる事よりもおぞましい事を。

 厭らしい男の笑みは清らかな聖職の世界にいた聖でも本能的に危険を感じる類のものであった。

 「じゃぁオレ達の相手をしてもらおうか」

 信じられない気持ちで男達を仰ぎ見たが、彼らの目が本気だと告げていた。
 聖の中の女の部分が激しく警鐘を鳴らすが、恐怖のため足が完全に地面に張り付いてしまい逃げ出す事も出来なかった。

 まさか、と言う思いであった。ニュースで聞き嫌悪していたが自分には無関係だと思っていた現実が我が身に降りかかろうとしているなんて。
 異世界召還、などと言う非現実的過ぎる問題とは違い、現代日本でも起こりうる事に酷く怯えた。

 「っ・・いやぁ!!」

 強引に胸元を掴まれてようやく声が出た。だがか細い悲鳴では状況は全く変わる事はなく、むしろ口を塞がれて悪化する事となる。
 もがきながら、聖は必死に考えた。どうやったら助かる。どうすれば逃げられる。

 だが、周りに人もおらずどう考えても助かる見込みなどないのに彼女は脳裏に過ぎった人物の名を一瞬手が口から離れた瞬間に叫んでいた。

 「――ヴェルッ!!」
 「なんじゃ?」

 まさか返事が返ってくるなど聖も男達も思ってもいなかったので一様にぎょっとして声のした方を見ると小さな少年が一人立っていた。

 ――嘘・・・。

 確かに彼の名を呼んだが本当に助けに来てくれるとは露ほどにも思っていなかったのだ。

 「こんな所にいたか、聖よ。もうすぐ夜じゃ、はよう城へ帰るぞ」
 「何言ってんだ小僧!?」

 少女を掴んでいた男とは別の男がヴェルに詰め寄る。近くで並ぶと愕然とする体格差だ。しかもヴェルは今はノーブルの力が失われている――勝てるわけが無い。

 だがヴェルはそれを分かっているのかいないのか、相変わらず自分を見下げてくる男に不遜だと言わんばかりに鼻を鳴らすと、

 「無礼な、貴様ごときが余を見下ろすなど・・跪かぬか」
 「はぁ!?」

 当然男は怒り心頭にヴェルに詰め寄り胸倉を掴むと簡単に少年の体は宙に浮かぶ。

 「ヴェル!今のあなたじゃ無理よ!逃げて!」

 隙を見て男を押しのけるとそれだけ叫んだが、ヴェルは苦しげに顔を歪めながら口中で嫌だ、と呟いた。
 少年とて今の自分では敵うわけがないと分かっていた。だが、このまま怯えて震える少女を放っておく事など――

 「出来ぬ!」

 渾身の力で体を振り、足を突き出すと男の腹に運良く命中した。呻いて腹を抱える男から逃れ、ヴェルは今度ははっきりと聖に向かって言った。

 「そなたは余の物じゃ!そなたの血も肉も・・全て余の物なのじゃ!勝手に他の奴にやるなど許さぬ!」

 何も知らない者が聞けば赤面するほどの愛の告白だと思うだろう。だが、聖は勿論そういう意味合いではないと分かっていた。

 「このガキが!」

 だがそんな事も解さない男は腹を蹴られた事で猛然とヴェルに向かって行く。

 ――危ない!

 反射的に目を閉じるが、痛々しい音も少年の呻き声も聞こえず不思議に思い、目を開けるとヴェルは無傷であった。どうやら攻撃を避けたようだが、どうも様子がおかしい。

 先程までは感じなかった威圧感を小さな体から感じる。いつのまにか薄暗くなった空の下、ルビーの瞳が禍々しく輝く。

 まさか、と思い空を見上げて愕然とした。夕暮れ時はいつのまにか去り、闇夜が訪れようとしていた。

 少年がノーブルの力を取り戻し、その強大な力に飲み込まれる夜が、来てしまったのだ。      











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