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 ドキマギする聖の前でヴェルは大きく伸びをすると唐突に、

 「そなた、腹は減らぬか」
 「はい?」
 「腹は減っておらぬかと聞いているのじゃ。もう昼であろう?朝も食べておらぬゆえ」

 言われてみれば、である。しかも聖の場合は昨日はずっと城からの脱出のため螺旋階段を降りていた為空腹は既にピークを越えていた。
 今まで空腹を感じる余裕もない程であったが、ようやく落ち着いた今になってお腹が盛大に空腹を訴えてきた。

 顔を真っ赤にしてお腹を押さえる少女にヴェルはルビー色の目を瞬かせた。

 「なんじゃ、そなたも腹が減っておるのか・・・だが、肝心の食事がない」
 「・・・だっていつも持って来てくれるじゃない」
 「あれはクラウンが用意してくれるもので余は全く関与しておらぬ」
 「・・・クラウンさんは?いないの?」
 「最近昼にはどこかへ出かけておるようじゃ。余はいつも眠っているゆえ詳しくは知らぬが」

 難しい顔をして一体どこへ行っておるのか、と考え込む少年にもはや食事の事しか頭にない少女は焦って言った。

 「じゃぁこのまま食事なしって事!?そんな・・・あ、そうよ!食堂とか調理室とかないの?そこに行けば食料が・・」
 「しょくどー・・・?知らぬな。余はいつも部屋で食べているゆえ・・どこかにあるとは思うが場所が分からぬ」

 数え切れない程部屋がある城の中から食堂を探し出す気力など聖には到底残ってはいない。
 がっくりと項垂れる少女からは絶えずお腹が空腹を叫ぶ声が聞こえており、ヴェルも仕方ないとばかりに、

 「・・・そうじゃ。外へ食べに行こうぞ」
 「外って・・お城の外って事?」

 脳裏に過ぎるのはあの崖と橋である。
 みるみる青褪めて聖は鮮やかに蘇る恐怖の光景を振り払うように頭を振った。

 「でも外に出るにはあの長い螺旋階段を降りなきゃいけないわけだし、街には崖に架かった橋を渡らないといけないんでしょう?」
 「何ぞ問題でもあるか?」

 大有りだ。またあの地獄の階段を降りなければいけないと思うだけで眩暈さえしてくる。だが、空腹も勿論だが外へ出ればヴェルとの勝負に勝てるかもしれない。

 「行くわ」









 「詐欺よ。詐欺だわ・・こんなのってない・・」
 「いつまでブツブツ言っておるのじゃ。階段を降りたくないと言ったのはそなたであろう」
 「そうだけど・・」

 だが、まさか本当に階段を降りなくても城から出る方法があるなんて思ってもいなかった。

 「あれってエレベーター?」
 「?なんじゃ、それは」
 「・・・きっと機能的には同じなのね」

 確かにエレベーターと呼べるほど機械的ではなかった。木製で降りるときあちこちギシギシ言うから、それこそ落ちるんじゃないかと気が気じゃなかった。
 無事1階に着くまで要した時間、およそ1分。現代のエレベーターに比べると大分時間がかかるものの昨日聖がかかった時間とは比べようもない。

 「私の頑張りって何だったの・・・」

 項垂れながら歩いている内に螺旋階段以上の困難が待ち受けている事を思い出してますます聖はげんなりする。

 昼見ても不気味さを放つ橋は風に晒されて左右に揺れて軋んでいる。
 息を飲み込んで立ち止まる聖に前を歩いていたヴェルは不思議そうに振り返る。

 「どうした?これを渡れば街はすぐじゃ」
 「やっぱりこれを渡らないと無理よね」
 「何じゃ?古い橋だが作りはちゃんとしておるゆえ壊れたりせぬぞ?」

 一応彼なりの気遣いだったのだが聖はそれに気付く余裕などなく青褪めながら崖を覗いては震えていた。
 高所恐怖症なわけではない。しかし誰でもこの光景を見れば震えがくるだろう。

 いつまでも動こうとしない少女にヴェルはこれ見よがしに溜息を吐くと小さな右手を彼女に差し出した。

 それを目の端で捉えた少女は青褪めた顔で美貌の少年と手とを交互に見詰め首を傾ける。

 「な、に?」
 「余は腹が減っておるゆえ早く行きたいのじゃ」
 「?」
 「この余の手を取らせてやると言うておるのじゃ!余が手を引いて橋を渡ってやるぞ」

 少し頬を薔薇色に染めてむきになる様子があまりに可愛らしくて聖は一瞬恐怖を忘れた。そして気付くとその小さな手を取っていた。聖の方が包み込む形で握られたそれは冷たくひんやりと心地良く感じられた。

 「怖ければ目を瞑っておれ」

 聖より華奢で小さな体で、高い声だったが少女を安心させるには十分だった。
 ヴェルと聖は言わば食う者と食われる者であり決して相容れないはずであるのにどう言うわけか聖は彼を嫌いきれずにいた。それどころか今、目を瞑り少年に全てを委ねようとさえしているのだ。

 ヴェルもフィードである少女に触れられる事はもはや厭わず、むしろ自ら手を差し伸べた。

 ――なぜだろう。

 それは共通する感情であったがいくら考えても答えは見付からない。




 その後何とかヴェルに引かれて橋を渡った聖は遠くに見える町並みに無意識の内に感嘆の息を漏らしていた。

 中世ヨーロッパのような美しい建物が綺麗に並び、近くには森や湖もあり、化け物達が住んでいるとは到底思えない。

 「どうじゃ?なかなかであろう?夜など明りがあちこちに灯されてそれは美しいのじゃ」

 嬉しそうに話すヴェルはやはりこの国の王だった。

 「まだ太陽が出ておるゆえ人通りは少ないだろう。怪しまれぬようなるべく日陰を通って行く」

 そして真面目な顔で薄いベールを取り出した。

 「これは?」
 「顔を隠すためと日差しを避けるためじゃ、被っておれ」
 「うん・・・そう言えば私、この服で大丈夫なのかしら?シスター服なんだけど・・」
 「問題ない。奇抜な格好をしている者も多く、統一性など皆無なのだ」

 言われてみるとヴェルの服もミニのワンピースの下からズボンをはいているような聖から見るとかなり可笑しな格好であった。これが普通であると思っていたがどうやらそうでもないらしい。

 「よし、行くぞ」

 聖がベールを付けた事を確認すると歩き出す。
 こちらへ来てから初めての城以外の景色に少女ははやる気持ちを抑えきれないが、頭の冷静な部分では逃げ出す方法をひたすら考えていた。    











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